友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「気骨のある人」

2009年08月19日 20時31分36秒 | Weblog
 一日中、テレビの高校野球を見ていた。見ていたのに時々他のことを思っていた。「おー!」という声で画面に集中し直す。高校生はまだ幼いが、プレーは真剣だからプロ野球よりも惹きつけられる。カミさんが「やっぱり、投手の違いね」とにわかに評論家のようなことを言っていたけれど、確かによい投手を抱えているチームは強いが、順当に行かないのが高校野球だ。解説者はよく「気迫が勝りましたね」と言うけれど、そういうことなのだなと思う。

 別の言葉でいうならば、「気持ちがこもっていた」とか「集中力」という言い方でもいいだろう。運不運はあると思うけれど、それも「気迫」が呼ぶものなのかもしれない。あんなに頑張って練習を積み重ねてきたのだから、「気迫が漲る」のも無理はないけれど、それはまた相手にもいえることなので、結果については「運」なのだろう。みんながみんなプロ野球選手になるわけでもないのだろうから、選手たちにとっては一生の思い出の場面となるだろう。

 スポーツのさわやかさに比べると政治の世界はやはりどす黒い。先日、NHKテレビで『気骨の判決』というドラマを見てビックリした。第2次世界大戦の最中、東條内閣が誕生し、戦争に勝つためには「挙国一致」だと国民のほとんどが思っていた時代に、こんな裁判官がいたことを初めて知った。「挙国一致」のため、大政翼賛会の推薦者に投票することが「国民の証」であるような時代に、大政翼賛会以外の候補への妨害活動を「有罪」とした裁判官の物語だ。

 「卑しくも天皇陛下がお決めくださったことに逆らうことは許されることではない」と、証言台に立った翼賛会の人々は、「選挙妨害は正しい行為だ」と胸を張って言う。裁判官である彼にも当然圧力がかかる。もっとも論理的に組織的な選挙妨害と主張していた若い判事はシンガポールへ左遷される。家の玄関には首を絞められたハトが置かれ、刑事に四六時中見張られる。法務大臣に直接呼び出され、時局を考えて判決を出すように強要される。

 それでも彼は、裁判で「有罪」を下す。やり直し選挙は先回と同じ結果であった。「意味無かった」と刑事にイヤミを言われるけれど、「いや、そうではありません」と彼は答える。戦時下の「挙国一致」の中にありながら、「法律に忠実」であった人がいたことを後世の私たちは誇りに思うし、勇気をもらうことになったと思う。大半の人々が信じていることと違うことをすることは勇気がいる。彼は「法律」に依拠したけれど、自分の良心とか信条となるとそこまでの勇気が出せない人の方が多いだろう。

 太宰治を思い出した。彼は「結核」のためか、あるいは「結核」を理由に、従軍しなかった。多くの文筆家が戦場に出かけて戦意高揚の記事を書いたのに、それをしなかったばかりか、この時期には幾編かの「御伽草子」を書いている。子ども向けの御伽噺を題材にしているけれど、話の中身は全く大人向けだ。太宰は女性にばかり甘えた「ならずもの」だけれど、戦争には加担しないと心で決めていたのだろうか。意外に「気骨のある人」なのかも知れない。
コメント
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