友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「まちづくりの原点」

2009年08月22日 22時43分07秒 | Weblog
 「行政というのは、肥大化はどんどん出来るんです」と高浜市長の森さんは言う。「行政マンは後追い型なんですね。後からやれば失敗はないわけですから」と行政職員の資質を分析する。私も議員の時によくぶつかったのは、行政の幹部たちの「失敗しない」あるいは「行政の維持」という考え方であった。「失敗しない」ためには先駆けしないことである。

 何時だったか、こんな話を聞いたことがある。職員の提案に対して幹部は「それでお前は責任が取れるのか?」と聞いたそうだ。提案が市民のためになるなら、「オレが責任を取るからやってみろ」と言うのが上司の立場であろう。地震に対して不十分だから役所を建て直すべきだと幹部は言う。阪神淡路大震災以前の鉄筋コンクリートの建物だが、市内の建物の中では耐震という点ではトップの類だろう。「庁舎がつぶれるようならば、市内の建物のほとんどがつぶれてしまう。そのための救済の方が必要ではないの?」と言えば、「庁舎がつぶれてしまっては救済も出来ませんよ」と言う。

 庁舎などなくてもテントでいいじゃないか。市民が安全とは程遠いところで働き生活しているのに、自分たちだけが安全な庁舎で仕事をするのか。避難所になっている学校や公共施設の安全確保が先決ではないのか。そもそも行政とは何か、考えたことがあるのだろうか。私は、行政というのは市民の代わりに仕事しているので、行政はまず何よりも市民を第一にしなくてはならないと思う。極端に言えば、市民を守るためにわが身を犠牲に捧げられる人が行政マンだ。

 もちろんそれは覚悟であって、何も市民の言いなりになる必要はない。高浜市長の森さんが言うように、「住民が出来ることは住民に任せればいい」わけで、それでは行政マンは不要なのかと言えば、不要になるくらいに市民自治が高まれば確かに行政に携わる人の数は少なくなるだろう。議員も同じで、情報公開の徹底と市民参加のシステムが出来上がれば、市民が自ら行政をチェック出来れば、不要だと私は思っている。市民が提案できる組織とチェックできる組織があれば行政の形は大きく変わる。

 森市長が言うように、小学校単位の自治組織コミューンが機能するようになれば、市民自治はうまくいくかも知れない。「権限とそれを保障する財政は切り離せない」と森市長は指摘する。財源は限られているわけだから、これをどのように使うかは、税を支払った市民が自ら決めるのであれば、不公平感は少なくなるだろう。中身がはっきり分っていれば、痛みを分かち合うことも出来る。「経済成長政策が大事」ではなく、成長しなくてもまた逆に成長しても、税をどのように使うかをみんなで決める仕組みをつくることだろう。

 「最終目標は住民自治」と森市長は言う。私たちもそう考えてきた。森市長は20年間、市長を務められてきたけれど、高浜市はどれだけ住民自治が進んだのだろう。しっかり検証し、次につなげていきたいと思う。「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」の第10回公開講座『まちづくりの原点』は、60人ほどの参加者があり盛会だった。
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