今日は総選挙の投票日。テレビは開票速報で持ちっきりだろう。「歴史的な日」となるであろう今日、私たちは朝からの井戸掘りでくたくたになった。昨年から続けているのにどうしても掘れないところだ。はじめは粘土層が固くなった地盤が掘れなかった。錐を大型化したような道具を作り、自動車のシャフトを改良して小さな力でも大きく伝えられる装置を造って掘った。ところが錐の先が磨耗するような石(?)にぶつかって進まない。
そこで今日は、槍状にした鉄管を上から錘で打ち込んでみた。500回も打ち込めば石を割って進むだろうとかなり楽観的に考えていた。鉄棒の上に自転車の輪を付け、これにロープをとおして片方の錘をつけて引っ張っては放す。「よいとまけ」の歌の要領で、引っ張っては放す。確かに鉄管は20から30センチは下がった。けれども何度打ち込んでもそれ以上は下がらない。太陽は昇り、暑さは最高になってきた。身体中の汗が流れ落ちていく。
「チャレンジ」をモットーに、やれることをやるまでは諦めないと言い聞かせてみんなでやってきたが、とうとうギブアップだ。依頼主には長い間いろいろと挑戦してみたけれど、どうしても掘れなかったことを告げ、騒がせたことを詫びた。水が出ないとなるといっそう疲れた気分が支配する。後片付けをしていても誰も口を利かない。冗談ばかり言い合っていたのにすっかり無口になっていた。
家に帰ってシャワーを浴び、少し眠ってしまった。まだ日差しが強いから投票は夕方にしようと読みかけだった『狂骨の詩人 金子光晴』を開く。「最近はどんな本を読んでいますか?」と尋ねられた時に、素直に「金子光晴の生涯を書いた本です」と言えなかったのは、金子をうまく説明できないと感じたからだった。私が金子光晴を知ったのは30年ほど前のことだ。ラジオで聞いた詩がとても面白かったので、翌日ラジオ局に電話をして何という本かを聞いてみた。ところが番組名も分らずに電話したので相手も答えようがなかったのか、調べようともしてくれなかった。
作者が金子光晴である記憶しかない。詩の内容は「(自分の)チンチンはもう何の役にも立たない。立たないばかりか、放尿すらままならない」といったものだった。金子光晴の詩集を探してみようとまでは思わなかったので、それっきり忘れていた。つい何年か前に、何の弾みで覚えがないが、金子光晴を思い出してエッセイ集を買ってきた。反骨とか気骨とか、とにかく普通の人ではないように思われているが、確かにそうだけれど、ややこやしいかも知れないが普通の人でもある。
竹川弘太郎氏が『狂骨の詩人』と題名をつけたのは、その生涯を見る限り、もっとも適した言葉なのかも知れない。私の父よりも17年近くも前にこの愛知県の地に生を受けた人で、こんなにも数奇な生涯を送った人がいたのだと関心を持った。今日の総選挙の結果を金子光晴なら何と評論するだろう。さて、そろそろ投票に行こうか。
そこで今日は、槍状にした鉄管を上から錘で打ち込んでみた。500回も打ち込めば石を割って進むだろうとかなり楽観的に考えていた。鉄棒の上に自転車の輪を付け、これにロープをとおして片方の錘をつけて引っ張っては放す。「よいとまけ」の歌の要領で、引っ張っては放す。確かに鉄管は20から30センチは下がった。けれども何度打ち込んでもそれ以上は下がらない。太陽は昇り、暑さは最高になってきた。身体中の汗が流れ落ちていく。
「チャレンジ」をモットーに、やれることをやるまでは諦めないと言い聞かせてみんなでやってきたが、とうとうギブアップだ。依頼主には長い間いろいろと挑戦してみたけれど、どうしても掘れなかったことを告げ、騒がせたことを詫びた。水が出ないとなるといっそう疲れた気分が支配する。後片付けをしていても誰も口を利かない。冗談ばかり言い合っていたのにすっかり無口になっていた。
家に帰ってシャワーを浴び、少し眠ってしまった。まだ日差しが強いから投票は夕方にしようと読みかけだった『狂骨の詩人 金子光晴』を開く。「最近はどんな本を読んでいますか?」と尋ねられた時に、素直に「金子光晴の生涯を書いた本です」と言えなかったのは、金子をうまく説明できないと感じたからだった。私が金子光晴を知ったのは30年ほど前のことだ。ラジオで聞いた詩がとても面白かったので、翌日ラジオ局に電話をして何という本かを聞いてみた。ところが番組名も分らずに電話したので相手も答えようがなかったのか、調べようともしてくれなかった。
作者が金子光晴である記憶しかない。詩の内容は「(自分の)チンチンはもう何の役にも立たない。立たないばかりか、放尿すらままならない」といったものだった。金子光晴の詩集を探してみようとまでは思わなかったので、それっきり忘れていた。つい何年か前に、何の弾みで覚えがないが、金子光晴を思い出してエッセイ集を買ってきた。反骨とか気骨とか、とにかく普通の人ではないように思われているが、確かにそうだけれど、ややこやしいかも知れないが普通の人でもある。
竹川弘太郎氏が『狂骨の詩人』と題名をつけたのは、その生涯を見る限り、もっとも適した言葉なのかも知れない。私の父よりも17年近くも前にこの愛知県の地に生を受けた人で、こんなにも数奇な生涯を送った人がいたのだと関心を持った。今日の総選挙の結果を金子光晴なら何と評論するだろう。さて、そろそろ投票に行こうか。