友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分でも不思議だな

2009年08月11日 18時56分10秒 | Weblog
 午前5時過ぎ、グラグラッと来た時はビックリした。とうとう地震、東海沖地震か南海沖地震かわからないが、大きな地震が襲ってきたと思った。揺れはさらに大きくなるだろうと覚悟をして、家具の下敷きにならない位置に身を置いた。揺れは続いたけれどそれで収まっていった。テレビをつけると震源地は駿河湾の沖と報じていた。津波がすでに来ている地域もあるとか、長雨が続いているので土砂崩れにも注意するようにとか、同じ内容を繰り返しアナウンスしていた。

 午前7時過ぎに、一人暮らしをしている姉が心配になって電話を入れた。「ああ、もしもし」と寝ぼけたような声が聞こえた。何事もないようだと安心した。「地震があったけれど、大丈夫だったかなと思って‥」と言うと、「えっ、地震があったの?」とまた素っ頓狂なことを言う。「結構、大きな地震だったけれど、知らずに寝ていられたなんて幸せな人だよ。テレビつけてみて、地震のことをやっているよ」。それからいろいろ、長女のことや9月に行く秋川雅史さんのコンサートのことなど話した。

 朝食を済ませると、誕生日会で行く「小瀬鵜飼」の計画を詰めておきたいから、「お邪魔していいか?」と電話があった。打ち合わせを済ませて、NPO「おたすけ」の理事会に行く。今日は作業を中止し、盆休み明けからの計画などを話し合った。会議の後、私は参加できなかった7日に掘った現場を見せてもらう。屋敷の一角に掘ったこの井戸は豊富な水量で、依頼主からは喜ばれていると聞いた。

 午前中は穏やかな台風一過の夏空であったが、お昼からはまるで気が狂ったように、西から強い風が吹き続けている。一定のリズムで吹き続けるのではなく、強くなったり弱くなったり、そうかと思うと突然に強烈な風となる。窓を開けたいのに、開けられない。西側のベランダに置いてある小鉢が強風のためにひっくり返っている。

 夕方になって、夜になると目が痒くなるので眼科に行ってきた。やはりアレルギーとの診断であったけれど、この眼科で昔、マンションの自治会の役員を一緒にやったことのある人に出会った。「終わったら飲みに行こう」と言うので、一緒に飲んできた。「いい人生だった」と繰り返すその言葉に間違いはないだろう。昭和一桁の男性たちは日本の高度経済成長を支えてきたから、文字通り楽しかったであろうし遣り甲斐があったであろう。その後の、団塊の世代の先駆けである私たちはただ楽しかっただけではすまないように思う。

 世界のリーダーはもう確実に次の世代に移った。私たちは自分が生きてきた時代について整理できるかどうかに過ぎない。小説の雑誌など買ったことはなかったのに、今読んでみようかなと思っている。太宰治と山崎富栄の心中にそれほどの関心はなかったのに、この事件を小説にならばどう表現するのかと思っている。自分でも不思議だなと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする