夕方になって、随分と涼しくなった。空も秋模様だ。私の部屋からは西の空がよく見える。養老山脈と伊吹山との間は低い谷になっている。関が原である。その谷間に、太陽が沈んでいくのだが、今日は夕日がきれいだった。そういえば、いつの間にかセミの鳴き声が途絶えた。寺の住職に言わせれば、「今年はセミが多かった」そうだ。夜中でもあんなにジージー、シャーシャーと鳴いていたのに、何時からかすっかり聞こえなくなった。
セミの鳴き声が途絶えた夜、耳をすますと、リーンリーンと虫の音が聞こえてきた。我が家は地上30メートルのところにある。ベランダに幾鉢かの植木鉢が置いてあるが、そこに虫がいるようには思えない。それでも以前、たくさんの植木鉢を置いていた時は、どこから来るのか分らないけれどキリギリスがいたことがある。植木鉢に飛んで来たのか、それともマンションの庭で鳴いているのだろうか。
秋は確実にやってきている。カリカリと照りつけるような真夏日を感じないままにもう秋が近づいてきている。時間の流れは正確で着実だ。私の親しい友人や知人も、久しぶりに出会うと驚くほど痩せていたり元気がなかったりする。人の一生は必ずしも元気な人が長く生きではないけれど、それでも急激に痩せたり元気がなかったりすると、なんとなく心配になる。心配したところで、どうにかなるわけではないし、考えるのは止めておこう。
今朝は早くから井戸掘りに出かけた。昨年から何度も挑戦している家の庭だけれど、どうしても成功しないところだ。4メートルほどのところに硬い粘土層がある。これを掘り進めるための道具を手作りで造った。自動車のシャフトを利用して小さな力を大きな力に変え、錐のような道具も造って、これを先端に備えて掘り進んだ。粘土層は掘れたけれど、その下に石があるようで、錐の先がつぶれてしまった。
今日は、それならば槍のようにした鉄管を打ち込んでみようというのである。しかし、鉄管を打ち込むための滑車がうまくいかなかった。再び挫折である。こう何度も失敗を重ねると、「もうダメじゃないのか」という気持ちになるものだが、多分、ひとりでやっていたならばいい加減なところでギブアップだ。ところが何人かでやっているので、「こういう方法でやってみたらどうだろうか」というアイディアが出てきて、なかなか諦め切れない。執拗に執着するのは年寄りの良いところなのかも知れない。今日はダメだが、もう一度やってみようということになった。
家に帰るとカミさんがボーとしている。「また車を傷つけてしまった」と言うのである。傷そのものはたいしたことではないが、傷つけたことがショックのようだ。先日も長女のところから「鍵がない。持っていかなかったか?」と電話してきた。結局は持っていた紙袋に入っていたけれど、なぜか近頃はこんなことが多いとぼやいていた。いや、そんなことはないよ。前からそうだったよと言うべきかと迷っている。
セミの鳴き声が途絶えた夜、耳をすますと、リーンリーンと虫の音が聞こえてきた。我が家は地上30メートルのところにある。ベランダに幾鉢かの植木鉢が置いてあるが、そこに虫がいるようには思えない。それでも以前、たくさんの植木鉢を置いていた時は、どこから来るのか分らないけれどキリギリスがいたことがある。植木鉢に飛んで来たのか、それともマンションの庭で鳴いているのだろうか。
秋は確実にやってきている。カリカリと照りつけるような真夏日を感じないままにもう秋が近づいてきている。時間の流れは正確で着実だ。私の親しい友人や知人も、久しぶりに出会うと驚くほど痩せていたり元気がなかったりする。人の一生は必ずしも元気な人が長く生きではないけれど、それでも急激に痩せたり元気がなかったりすると、なんとなく心配になる。心配したところで、どうにかなるわけではないし、考えるのは止めておこう。
今朝は早くから井戸掘りに出かけた。昨年から何度も挑戦している家の庭だけれど、どうしても成功しないところだ。4メートルほどのところに硬い粘土層がある。これを掘り進めるための道具を手作りで造った。自動車のシャフトを利用して小さな力を大きな力に変え、錐のような道具も造って、これを先端に備えて掘り進んだ。粘土層は掘れたけれど、その下に石があるようで、錐の先がつぶれてしまった。
今日は、それならば槍のようにした鉄管を打ち込んでみようというのである。しかし、鉄管を打ち込むための滑車がうまくいかなかった。再び挫折である。こう何度も失敗を重ねると、「もうダメじゃないのか」という気持ちになるものだが、多分、ひとりでやっていたならばいい加減なところでギブアップだ。ところが何人かでやっているので、「こういう方法でやってみたらどうだろうか」というアイディアが出てきて、なかなか諦め切れない。執拗に執着するのは年寄りの良いところなのかも知れない。今日はダメだが、もう一度やってみようということになった。
家に帰るとカミさんがボーとしている。「また車を傷つけてしまった」と言うのである。傷そのものはたいしたことではないが、傷つけたことがショックのようだ。先日も長女のところから「鍵がない。持っていかなかったか?」と電話してきた。結局は持っていた紙袋に入っていたけれど、なぜか近頃はこんなことが多いとぼやいていた。いや、そんなことはないよ。前からそうだったよと言うべきかと迷っている。