私の後、地域新聞の編集長を務めている女性が「難病?」のようなので、心配している。17日に手術と言っていたが、ブログは更新されているので、きっとそのうちに現場に復帰してくるだろう。ちょっと変わった女の子だったけれど、編集長となってからの彼女は、ブログで見る限り「普通の編集長」である。私と一緒に仕事をしていた時はまだ若かったせいか、お酒を飲む機会はなかったけれど、最近はよくお酒を飲んでいるみたいだ。取材ではそんな機会はないから、たまたまお付き合いが広がったのだろう。
私は「取材ではまず、相手の話に感心することだ」と説いてきた。この人は素晴らしいという気持ちで取材に当たれば相手は心を開いてより多く話してくれる。次に、テレビでは記者たちがマイクを突きつけて録音しているが、地域新聞を担う私たちは「取材ではノートを使って書き込むこと」と教えてきた。その場で自分が書き込むことで、何が自分の心を揺さぶったかが分る。取材ノートを眺めながら記事が書けないようなら、記者としてはもっと腕を磨かなくてはならない。
大新聞の記者なら、「取材に来てやった」でも成り立つかも知れないが(大新聞には意外にそういう記者がいるが)、私自身はそういう記者を「バカモノ」と思っている。地域新聞は地域に密着した新聞だから、そんな態度では取材など出来ない。ましてや記事を書くだけでなく、広告も地域の店や企業からいただかなくては存続できない。こんなに素敵な人がいると光を当てて紹介し、そうすることで地域全体の文化を高める役割の一翼を担うことが地域新聞の役割だと考えてきた。
今日、若い寺の住職からこれからの寺の役割は「寺コミュニティではないかと思っている」という話を聞いた。団塊の世代である住職は、葬式仏教の現状に危機感を抱き、寺での法話やコンサートを開き、地域活動に寺を開放するなど、斬新な活動を展開している。「けれどもなかなか周りに開かれていかない」と嘆く。活動の担い手は寺の檀家たちというよりも遠くの人が多いと言う。日本人の性質からそういうことはどこでも見られるから、寺の有り様を変えていくことを先行させた方がいいと思う。
寺には広い境内があり、そこには豊富な緑がある。人々が気楽に集える公園の要素を持っている。広い本堂があり、幾部屋もある書院や庫裏がある。西洋の教会が人々の集会の場であるように、寺もまた地域に開放された施設であるべきだろう。戦国時代に、寺は軍事的な要塞の役割を担わされてきたけれど、本来の寺は人々の救済の場であったはずだ。観光地の寺のような「見せる寺」ではなく、地域の公園であり公民館であるような、そんな「寺コミュニティ」が出来上がっていくと面白いと思う。
私は「取材ではまず、相手の話に感心することだ」と説いてきた。この人は素晴らしいという気持ちで取材に当たれば相手は心を開いてより多く話してくれる。次に、テレビでは記者たちがマイクを突きつけて録音しているが、地域新聞を担う私たちは「取材ではノートを使って書き込むこと」と教えてきた。その場で自分が書き込むことで、何が自分の心を揺さぶったかが分る。取材ノートを眺めながら記事が書けないようなら、記者としてはもっと腕を磨かなくてはならない。
大新聞の記者なら、「取材に来てやった」でも成り立つかも知れないが(大新聞には意外にそういう記者がいるが)、私自身はそういう記者を「バカモノ」と思っている。地域新聞は地域に密着した新聞だから、そんな態度では取材など出来ない。ましてや記事を書くだけでなく、広告も地域の店や企業からいただかなくては存続できない。こんなに素敵な人がいると光を当てて紹介し、そうすることで地域全体の文化を高める役割の一翼を担うことが地域新聞の役割だと考えてきた。
今日、若い寺の住職からこれからの寺の役割は「寺コミュニティではないかと思っている」という話を聞いた。団塊の世代である住職は、葬式仏教の現状に危機感を抱き、寺での法話やコンサートを開き、地域活動に寺を開放するなど、斬新な活動を展開している。「けれどもなかなか周りに開かれていかない」と嘆く。活動の担い手は寺の檀家たちというよりも遠くの人が多いと言う。日本人の性質からそういうことはどこでも見られるから、寺の有り様を変えていくことを先行させた方がいいと思う。
寺には広い境内があり、そこには豊富な緑がある。人々が気楽に集える公園の要素を持っている。広い本堂があり、幾部屋もある書院や庫裏がある。西洋の教会が人々の集会の場であるように、寺もまた地域に開放された施設であるべきだろう。戦国時代に、寺は軍事的な要塞の役割を担わされてきたけれど、本来の寺は人々の救済の場であったはずだ。観光地の寺のような「見せる寺」ではなく、地域の公園であり公民館であるような、そんな「寺コミュニティ」が出来上がっていくと面白いと思う。