おや、どうも変だ。一昨日辺りから、朝方にクシャミが出るようになった。昨日は左目に何かが入り込んだような異物感があったし、昨夜は痒くて眠れなかった。そして今朝はクシャミが続き、目が痒い。明らかにアレルギー反応の前兆である。長女の家には3匹の猫がいる。これがまた人懐っこく擦り寄ってくる。猫アレルギーか?今日は松阪まで出かけたが、車窓から見える稲田はもう穂が出ている。するといつもなら9月に表れる稲アレルギーか?真夏が来ないうちにアレルギーだけが先にやって来るとは何という皮肉か。
人の力や智恵ではどうしようもないことは仕方がないと諦めることができるけれど、原子爆弾は人が造り出したものだ。ダイナマイトを発明したノーベルは、それが人を殺傷することに使われるとは思っていなかったと、子どもの頃に読んだ偉人伝には書いてあった。ところが原子爆弾はあくまでも大量破壊、大量殺人を想定した兵器だ。発明した科学者がいなければ造れなかったであろうし、使用を許可した政治家がいなければ投下はされなかったであろう。広島の原爆投下は人智を超えた結果ではなく、あくまでも人による行為なのだ。
科学者は自分たちが研究しているものが何に使われるのか、あるいは自分たちが研究しているものが万が一、人に被害を及ぼすものであれば、研究の一切から手を引くと宣言して欲しいと思う。科学者の良心こそが問われるし、良心を持った科学者でなくてはならない。また、政治家も自分たちがやろうとしていることに自ら責任を果たして欲しい。国家のため国民のためなどというキレイごとで本質を隠してしまう政治家は政治の場から追放しなくてはならない。国のため国民のためと口にした政治家は嘘つきが多い。
広島の原爆平和記念式典はいつもながら感動的だった。秋葉市長の演説は平和を実現するためにどうあるべきか、具体的で行動的だ。子どもたちの平和への誓いは聞いていて涙が流れてくる。「あきらめません。平和への思いを訴え続けます」と聞いて、ぜひともそう願いたいと思う。いや本当は、まるで他人事のように任せるのではなく、戦後の社会を形成してきた私たちの責任において、世界に対して平和を実現する手立てを発信する責任が被爆国日本の私たちにはあると思う。
残念ながら、式典に参加した麻生首相の口からは、通り一遍の原爆症認定の拡大により救済という選挙を意識した挨拶しか聞けなかった。原稿の読み間違いよりもましなどと陰口を言われていたが、ここまでが麻生さんとしては限度なのだろう。憲法第9条の意義も、世界平和に向けて日本がどのような価値を持っているか、麻生首相は考えたことはないのだろう。自民党が長く維持してきた政権の座を野党に明け渡さざるを得ないことも、ひょっとしたなら麻生首相は考えていないかも知れない。
「誰も話さなければ、何も変わらない」とテレビで誰かが言っていたけれど、それが真実だと私は思う。
人の力や智恵ではどうしようもないことは仕方がないと諦めることができるけれど、原子爆弾は人が造り出したものだ。ダイナマイトを発明したノーベルは、それが人を殺傷することに使われるとは思っていなかったと、子どもの頃に読んだ偉人伝には書いてあった。ところが原子爆弾はあくまでも大量破壊、大量殺人を想定した兵器だ。発明した科学者がいなければ造れなかったであろうし、使用を許可した政治家がいなければ投下はされなかったであろう。広島の原爆投下は人智を超えた結果ではなく、あくまでも人による行為なのだ。
科学者は自分たちが研究しているものが何に使われるのか、あるいは自分たちが研究しているものが万が一、人に被害を及ぼすものであれば、研究の一切から手を引くと宣言して欲しいと思う。科学者の良心こそが問われるし、良心を持った科学者でなくてはならない。また、政治家も自分たちがやろうとしていることに自ら責任を果たして欲しい。国家のため国民のためなどというキレイごとで本質を隠してしまう政治家は政治の場から追放しなくてはならない。国のため国民のためと口にした政治家は嘘つきが多い。
広島の原爆平和記念式典はいつもながら感動的だった。秋葉市長の演説は平和を実現するためにどうあるべきか、具体的で行動的だ。子どもたちの平和への誓いは聞いていて涙が流れてくる。「あきらめません。平和への思いを訴え続けます」と聞いて、ぜひともそう願いたいと思う。いや本当は、まるで他人事のように任せるのではなく、戦後の社会を形成してきた私たちの責任において、世界に対して平和を実現する手立てを発信する責任が被爆国日本の私たちにはあると思う。
残念ながら、式典に参加した麻生首相の口からは、通り一遍の原爆症認定の拡大により救済という選挙を意識した挨拶しか聞けなかった。原稿の読み間違いよりもましなどと陰口を言われていたが、ここまでが麻生さんとしては限度なのだろう。憲法第9条の意義も、世界平和に向けて日本がどのような価値を持っているか、麻生首相は考えたことはないのだろう。自民党が長く維持してきた政権の座を野党に明け渡さざるを得ないことも、ひょっとしたなら麻生首相は考えていないかも知れない。
「誰も話さなければ、何も変わらない」とテレビで誰かが言っていたけれど、それが真実だと私は思う。