お墓参りに行った時に、姉が「来年はお父さんが亡くなって50年になるから、そのことをみんなに言わなくてもいいかね」と聞いてきた。私は親不孝者で、自分の父親が何年何月何日に亡くなったのか、覚えていない。父親の誕生も明治42年なのか、44年なのか、自信がない。母親についても全く同じで、正確な日付を知らない。知ろうとしなかったというべきかも知れない。特に知りたいという気持ちがなかったのだ。
父の死は高校3年の1月、3学期が始まるとすぐだった。隣の部屋で妙に咳き込んでいたので、「どうした?」と声をかけた時は、父の意識はもうかすかなものだった。翌朝、医者が来て診察していったけれど、入院もかなわない状態であった。それから3日目だったか、4日目だった。不思議だった。涙は少しも出なかった。長いこと苦労して、いや実際に苦労などはなかったかも知れない。父がどんな人生を歩いてきたのか、私は何も知らなかった。
父が残した日記を読むと、なんとまあ世間知らずの人かと思う。小学校の校長で退職したけれど、その退職金は家業である材木屋の資金繰りに全部注ぎ込んでしまった。無理やり自分の代わりに跡継ぎにさせた兄を不憫に思ったのだろうか、それとも自分が手助けすれば家業は上向くと思っていたのだろうか。父も兄も、世の中に悪い人はいるはずがないと思っているようなお人好しだった。材木屋のような大きな金が動く商売など出来るはずのない人だった。好きだった本を売る書店が一番似合っていたのに、父は日記で、自分が息子を助けて店を立て直すと書いているから、世間知らずとしか言いようがない。
父は夢を追う人だった。校長室の花瓶に新しい花が生けてある。「あなたが生けてくれたものだとすぐに分りました。運動場からあなたの軽やかな声が聞こえてきます。小鳥のさえずりのように美しい声です」。馬鹿らしいくらいにのぼせている。この文章から確かに父はこの若い女の先生に恋していると思う。私は知らなかったけれど、姉の話では父と母との間は「それはもう大変だった」というが、家ではそんなことは全く感じなかった。感情の激しい母だが、父を嫌っている様子はなかった。母がガンに侵され、苦しい闘病生活を強いられることになると、父は献身的に看病していた。たとえそれが、母に免罪を求める気持ちからであったとしても、私は父を尊敬している。
問題は姉が「50年になる」と言うその意味だ。50回忌で仏事は完了するらしいけれど、墓参はもともと口実に過ぎないから、みんなが集まる機会は残しておいた方がいい。姉は来年を最後にしたいと考えているのだろうか。それとも自分自身が来年を最後と思っているのだろうか。まだまだ、母のことも父のことも姉から聞かなくては分らないことがある。姉の知っている父や母のことを語って欲しいと思う。
父の死は高校3年の1月、3学期が始まるとすぐだった。隣の部屋で妙に咳き込んでいたので、「どうした?」と声をかけた時は、父の意識はもうかすかなものだった。翌朝、医者が来て診察していったけれど、入院もかなわない状態であった。それから3日目だったか、4日目だった。不思議だった。涙は少しも出なかった。長いこと苦労して、いや実際に苦労などはなかったかも知れない。父がどんな人生を歩いてきたのか、私は何も知らなかった。
父が残した日記を読むと、なんとまあ世間知らずの人かと思う。小学校の校長で退職したけれど、その退職金は家業である材木屋の資金繰りに全部注ぎ込んでしまった。無理やり自分の代わりに跡継ぎにさせた兄を不憫に思ったのだろうか、それとも自分が手助けすれば家業は上向くと思っていたのだろうか。父も兄も、世の中に悪い人はいるはずがないと思っているようなお人好しだった。材木屋のような大きな金が動く商売など出来るはずのない人だった。好きだった本を売る書店が一番似合っていたのに、父は日記で、自分が息子を助けて店を立て直すと書いているから、世間知らずとしか言いようがない。
父は夢を追う人だった。校長室の花瓶に新しい花が生けてある。「あなたが生けてくれたものだとすぐに分りました。運動場からあなたの軽やかな声が聞こえてきます。小鳥のさえずりのように美しい声です」。馬鹿らしいくらいにのぼせている。この文章から確かに父はこの若い女の先生に恋していると思う。私は知らなかったけれど、姉の話では父と母との間は「それはもう大変だった」というが、家ではそんなことは全く感じなかった。感情の激しい母だが、父を嫌っている様子はなかった。母がガンに侵され、苦しい闘病生活を強いられることになると、父は献身的に看病していた。たとえそれが、母に免罪を求める気持ちからであったとしても、私は父を尊敬している。
問題は姉が「50年になる」と言うその意味だ。50回忌で仏事は完了するらしいけれど、墓参はもともと口実に過ぎないから、みんなが集まる機会は残しておいた方がいい。姉は来年を最後にしたいと考えているのだろうか。それとも自分自身が来年を最後と思っているのだろうか。まだまだ、母のことも父のことも姉から聞かなくては分らないことがある。姉の知っている父や母のことを語って欲しいと思う。