友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ピース あいち」を見学しました

2010年08月04日 22時02分59秒 | Weblog
 名古屋市名東区にある「戦争と平和の資料館 ピースあいち」へ行ってきました。大和塾の次回の市民講座の講師をお願いするためです。資料館の展示も見ることが出来ました。夏休みだからでしょうか、中学生のグループが見学に来ていました。展示のひとつ一つを食い入るように見つめ、メモを取っていました。また、足の悪い高齢の女性とその家族も来ていました。受付での話を聞いていると、孫のふたりは中学生のようです。高齢の女性の足は義足で、子どもの頃にここ名古屋で被爆したのですが、孫たちに戦争を知ってもらうために東京から来たと話していました。

 私たち一行の7人で、私以外は全て戦争体験者です。ですから展示の品に話題が尽きません。私はもっぱら聞き役でしたが帰り道で、「昔のものを並べて見せる、回想法のようになっている」とポツリと言ったことが気になりました。それだけ、戦争は遠い昔のことになってしまったということなのでしょうか。広島の原爆資料館を孫娘にも見せたいと思って連れて行った時も、私が高校生の時に見たものとは違うなと感じました。どうにも納得がいかなかったので、そこにいたスタッフの方に尋ねると、「余りにも悲惨なものは展示しないようにしています」と聞き、ビックリすると共に自分の感じ方は間違っていなかったと思いました。

 修学旅行でこの原爆資料館を見学させたところ、気持ちが悪くなって吐いた生徒がいたと、最近まで高校に勤めていた友人が教えてくれました。「むごたらしい」とか「生々しすぎる」とかいう声はたくさんあったことでしょう。でも、だからといって、「きれいに展示する」ことは間違っていると私は思います。人々がつい先ほど、60何年前まで行なってきたことですし、現在も世界のどこかで行なわれていることです。戦争にきれいなところなどないはずです。勝つためにはどんな手段も許されるのが戦争です。スポーツと勘違いして、戦争にルールを設けようなどということはそもそもおかしいと思います。

 今、政権党の民主党は混迷しています。自民党は民主党に代わるだけの力がありません。自民党もダメ、民主党もダメ、ろくな政党はいない、そんな空気が昭和の初めにも漂っていたようです。国家の大事な時に、このように腐敗した政党は国民にとって不要なもの、障害でしかない、そんな風に人々は考えていったのでしょう。いやむしろ、人々が考えていったというよりはマスメディアがこぞって、政党政治の限界を指摘してリードしたのだと思います。その当時は戦争をすることは愚かなことだと指摘するマスメディアはいませんでした。でも、「ピース あいち」の展示を見て、日本にも戦争を愚かな行為と口に出して言った記者がいたことを知ってホッとしました。

 南太平洋で、あるいは沖縄で、軍は「玉砕」を指示しました。少なくともマスメディアはこれを賞賛し奨励しました。でも、そう指示した人々はなぜ、玉砕しなかったのか、私には疑問でした。もっと不思議に思ったのは、そう指示した人々が戦後、占領軍のアメリカの下で、国家の中枢にいて政治を行なったことです。大東亜共栄圏の夢を実現しようとした人々にとって、戦争は何だったのでしょう。死んでいった何十万もの人々の命は何だったのでしょう。理想のまえに犠牲は当たり前と言うなら、その理想とはどんなものだったのでしょう。
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