友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

強いものが生き残ったわけではない

2010年08月06日 21時24分52秒 | Weblog
 どうやらこの暑さはお盆まで続きそうだ。子どもの頃に、お盆過ぎたら海に入ってはダメだと言われた。お盆を過ぎると海温も下がる、するとクラゲが多くなって刺されるよとも教えられた。「海のお化けに海中に引きずり込まれるゾ」とも脅された。波も高くなって危険だとも言う。昔の人は自然現象をよく観察していて、そこから法則を見つけ出したのだろう。夕焼けの次の日は天気がよいとか、朝焼けなら雨が降るといった一般的なものから、雷が鳴ると梅雨が明けるとも聞かされた。でも、最近の梅雨明けはそうばかりではないような気がする。

 おそらくここ50年くらいの間で、気象は大きく変わってきたように思う。冬といえばこの地方は伊吹おろしで震え上がった。最近はそんなからっ風は吹かない。伊吹おろしに乗って雪雲も吹き飛ばされてきていたのか、雪もよく積もったが、この頃は滅多に積雪しない。一時的な異常気象であって永久的なものではないそうだから、また寒い冬が来る時があるだろう。生物の進化をテレビが放映していたけれど、強いものが生き残ってきたわけではなく、環境に適したものが生き延びてきたのだという。

 環境に適するために生物は何か努力をしたのかというと、そうでもないようだ。たまたまの偶然が進化の道を歩ませた。海中で生まれた生物の中に、どういうわけか陸に上がったものがいた。再び水中に戻ったものもいたけれど、陸上で生きたものはその後、多種多様に生まれ変化し進化した。その原因が分かれば面白いのだろうが、いくつかの系統に分かれて進化したと「整理」されているだけだ。この広い地球上になぜどこへ行っても同じような生物がいるのか、不思議だ。同じでないのはどうやら環境の違いによる進化の結果らしい。

 今年はサルビアの種を蒔くのが遅れたけれど、発芽してきた苗を見ると、どんどん大きくなるものとなかなかならないものがある。蒔かれた土壌のせいか、あるいは日当たりのせいか、いろんな要素がかかわっているのだろう。何時までも大きくならなかった苗だけを集めて、同じ土で育ててみたけれど、やはり大きくなるものとならないものに分かれた。植物など、特に花は、きれいで元気なものだけを取り入れたくなる。そうやって改良されてきたのかもしれない。人間が人間にとって「有益」なものだけを育てていくことが本当によいことなのだろうかと思う。

 在来種に対して外来種という言葉がある。在来種が絶滅すると危機感を煽る報道がされている。もちろん、私も昔から知っている在来種がなくなってしまうことに寂しさを感じる。でも、よく考えれば、地球の歴史は在来種が外来種に代わっていくものだったはずだ。今日のように地球の距離が短くなってしまったのだから、当然、いろんなものが混ざり合うだろう。地球はそんな風に歴史を作ってきたのだから。強いものだけが生き残るわけではなく、環境に適したものが生き残ってきたのが地球の歴史であるなら、その法則はこれからも変わらないだろう。
コメント
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