友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

南の小さな島の人々

2010年08月27日 19時21分21秒 | Weblog
 私の友だちに超物知りの人がいる。「お父さんは本当に何でもよく知っているよね」と私が感心して言うと、彼の息子は「新聞やテレビの、つまり他人の受け売りですから」と冷ややかに答えてくれた。その言い方も父親にそっくりだった。数字にめっぽう強くて、何年とか何箇所とか何トンとか、どうしてこんな数字まで知っているのだろうということを言う。話の中で必ず具体的な数字を持ち出すので、その知識には感服するが、何時もいつもこうして数字を聞かされると、知識のバーゲンセールにあったようで、感心が嫌味に変わってしまう時もある。

 そんな彼が水田としては利用されなくなった農地を見て、「日本は世界中で一番贅沢に暮らしているのですよ」と言う。「今、フランスやイタリアから日本に来る観光客の目的は食事です」と断言するので、聞いていた私たちも「えっ!そうなの?」と半信半疑になる。「彼らは富士山や京都が見たくて来ているのではなく、日本の居酒屋へ行くんです。なぜなら、日本の居酒屋は世界中の食べ物が揃っているし、お酒も世界中のものが飲める。これだけ品揃えが豊富なのに安くて美味しい。メニューには写真が添付してあるから、『コレ!』と指差すだけでいい。フランスやイタリアでちょっと美味しいものを食べようとしてもコースしかなく、好きなものが好きなだけ食べられる店はない。日本の居酒屋は最高!というわけです」。

 そこからまだまだ話が続く。「日本は食糧の大半を輸入しているけれど、その半分は残飯として捨てている。CO2の消費でアメリカは世界1と言われているけれど、日本の食品が育て作られるまでをも換算すれば日本は世界1のCO2消費国だ。つまり、世界1贅沢な国、消費の最高点にある国というわけです」。「こんな国はおかしい。いつかしっぺ返しを食らうだろうね」と結論する。そうか、私たちは狭い家で小さな風呂に入り、庭も猫の額ほどしかないので、贅沢な暮らしをしているとは全く感じていなかったけれど、日本全体を世界の各国と比較したなら、そういう指摘も当たっているかもしれない。でも、それは誰かのせいというものではなく、資本主義社会の中で真面目に努力してきた結果である。

 太平洋の小さな島で人々は不自由なことは何もなく暮らしていた。手漕ぎの船で魚を捕り、狭い畑でイモを育てていた。大きな船に乗った人々が「最後の楽園」を見つけたと言って、近くの島にリゾートホテルを建てた。島の人々もホテルで働くようになり、海で魚を捕ることも畑でイモを育てることも、年寄りだけの仕事になった。家は西洋風に建て代わり、電気が引かれ、冷蔵庫やエアコンが置かれるようになった。みんなで魚を捕まえる作業は無くなり、境界線などなかった土地もいつの間にか売買されるようになった。みんなで暮らしていた時は差などなかったのに、今ではお金持ちと貧乏な人とにはっきりと分かれた。そんな様子がテレビで報道されていた。その小さな島の人たちは、みんなが集まって集会を開き、土地はみんなのもので個人のものではないと決め、みんなで再び魚を捕り畑を耕す生活を選ぶことになった。

 それから彼らがどうなったのか判らないけれど、どういう生活やどういう社会が幸せなのか、人間はその智恵で切り開いていかなくてはならないが、果たしていけるのだろうか?
コメント
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