今日は孫娘の16回目の誕生日である。孫娘の下にもうひとり孫娘が生まれ、ジジババやママの関心は彼女にとって見れば妹にいってしまったと感じているだろう。それは妹が幼いからなのだが、これまでは自分が話題の中心であったからちょっと寂しい思いをしているのではないかとカミさんは心配している。しかし、彼女はもう16歳、自分から「結婚できるって知ってる?」と話しかけることができるほど大人になった。15歳も年下の妹は自分の子どものように可愛い存在なのだ。母親が手の足りない時は進んで面倒を見ている。
カミさんは「誕生日のお祝いを昨年はやったのだろうか?」と心配していた。受験生であったし、下の妹が生まれてわずか1ヶ月しか経ていない時であったから心配するのも道理である。孫娘は「昨年もここでやってもらったよ」と言う。今日、お昼にイタリア料理の店で、バーズディの昼食会を行なった時のことだ。今年は店員さんから写真まで撮ってもらったから、しっかり記録に残ることだろう。真っ黒く日焼けしている孫娘に、その若い店員さんは「部活は何をしているの?」と聞き、「水泳です」とはっきりと答える孫娘の姿に、ウン確かに大きくなったと感心した。
16年前のこの日も、最高気温は40度近かったそうだ。今日は、少し曇っていたし、時々はにわか雨もあり、風も吹いていたから過ごし易かった。16年前のことなど全く覚えていないけれど、こんな暑い日に生まれたのだ。昨日、「ピースあいち」の建物から出た時、空が真っ青だった。澄んだ青い空に真っ白な積乱雲が似合っていた。本当の夏の空だ。暑いけれど、清々しい。神々しささえ感じた。明日の8月6日は、広島に原爆が投下された日だけれど、何かの書物にこの日は真っ青な空に白い雲が浮び、そこにB29の機影がはっきり見えたとあった。
人は憎しみ合うように生まれてはいない。むしろ逆に、助け合ってきたからこれほど数の人類となったはずだ。助け合うためには愛し合わなければならなかっただろう。愛されるためには愛さなくてはならない。愛することの出来ない人は決して愛されもしないだろう。1歳になったばかりの下の孫娘はまだ言葉にはならない音を発しているけれど、どう見ても自分が愛されるために、周りの人々を赤子の方法で愛しているのだと思う。にっこり笑い、何か分からない音を発して。人間はどうやって言葉を得たのだろう。そう思っていたら、新聞広告に『言葉はなぜ生まれたのか』(文芸春秋)が出ていたので、早速買ってきた。
まだ、中身を読んでいないけれど、マンガが多いのでビックリしている。この本についてはまたいつか書くことがあるだろう。「ピースあいち」の斎藤孝さんの講演会は、9月25日(土)の午後2時から4時まで。まだ、題名は決まっていないけれど、戦争をどう考えるのか、なぜ「ピースあいち」を造ったのか、その辺りの話が聞けたらいいなと思っている。「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」による「地方議員年金の廃止へのアクション」は8月21日に、愛知県産業労働センターで開くけれど、その記者会見の記事がまだ新聞に載ってこない。言葉でどうつないでいくか。忙しい夏である。
カミさんは「誕生日のお祝いを昨年はやったのだろうか?」と心配していた。受験生であったし、下の妹が生まれてわずか1ヶ月しか経ていない時であったから心配するのも道理である。孫娘は「昨年もここでやってもらったよ」と言う。今日、お昼にイタリア料理の店で、バーズディの昼食会を行なった時のことだ。今年は店員さんから写真まで撮ってもらったから、しっかり記録に残ることだろう。真っ黒く日焼けしている孫娘に、その若い店員さんは「部活は何をしているの?」と聞き、「水泳です」とはっきりと答える孫娘の姿に、ウン確かに大きくなったと感心した。
16年前のこの日も、最高気温は40度近かったそうだ。今日は、少し曇っていたし、時々はにわか雨もあり、風も吹いていたから過ごし易かった。16年前のことなど全く覚えていないけれど、こんな暑い日に生まれたのだ。昨日、「ピースあいち」の建物から出た時、空が真っ青だった。澄んだ青い空に真っ白な積乱雲が似合っていた。本当の夏の空だ。暑いけれど、清々しい。神々しささえ感じた。明日の8月6日は、広島に原爆が投下された日だけれど、何かの書物にこの日は真っ青な空に白い雲が浮び、そこにB29の機影がはっきり見えたとあった。
人は憎しみ合うように生まれてはいない。むしろ逆に、助け合ってきたからこれほど数の人類となったはずだ。助け合うためには愛し合わなければならなかっただろう。愛されるためには愛さなくてはならない。愛することの出来ない人は決して愛されもしないだろう。1歳になったばかりの下の孫娘はまだ言葉にはならない音を発しているけれど、どう見ても自分が愛されるために、周りの人々を赤子の方法で愛しているのだと思う。にっこり笑い、何か分からない音を発して。人間はどうやって言葉を得たのだろう。そう思っていたら、新聞広告に『言葉はなぜ生まれたのか』(文芸春秋)が出ていたので、早速買ってきた。
まだ、中身を読んでいないけれど、マンガが多いのでビックリしている。この本についてはまたいつか書くことがあるだろう。「ピースあいち」の斎藤孝さんの講演会は、9月25日(土)の午後2時から4時まで。まだ、題名は決まっていないけれど、戦争をどう考えるのか、なぜ「ピースあいち」を造ったのか、その辺りの話が聞けたらいいなと思っている。「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」による「地方議員年金の廃止へのアクション」は8月21日に、愛知県産業労働センターで開くけれど、その記者会見の記事がまだ新聞に載ってこない。言葉でどうつないでいくか。忙しい夏である。