先日の日曜日、朝7時ごろルーフバルコニーで草木に水をやっていた。なにげなく、隣の運動場を見ると男性がひとり動き回っている。前日はこの地域の夏祭り、ステージが組まれ、沢山の屋台や即売所が設けられて大賑わいだったが、夜の内に撤去されて、朝には何ひとつ残っていなかった。そんな運動場を丹念に見て周り、腰のゴミ袋に拾い集めたものを入れている。
どうも、この学校の先生のようだ。誰も来ていないのに、たった一人で、校庭に残されているゴミを拾い集めているのだ。役目だからかも知れないが、朝早くからやって来て、自分たちが残したものでもないゴミを拾い集めるなんて、そうできることではない。この先生は本当に学校が好きなのだと思った。
バルコニーから眺めているといろんなものが見える。学校の一角に学童保育所があり、働いているお母さんたちが子どもを預けに来て、夕方には連れて帰る。働いているお母さんだから、帰りはできることなら早く帰りたいはずだ。そのため、グズグズしている子どもを大声で叱り飛ばしているお母さんがいる中で、子どもと一緒にかけっこしたり、鉄棒しているお母さんもいる。時間の余裕はきっとないのに、見ているだけで微笑ましくなってくる。
いつだったか、名古屋にある「ピースあいち」をたずねた時、夏休みだったから宿題なのか自由研究なのか、小学生や中学生あるいは高校生らが来ていた。お母さんと中学生の女の子が来ていたけれど、お母さんは絶えず文句を言っていた。女の子が資料をデジカメで撮っていたら、「そんなに撮って、何がわかるの?」と言う。女の子が資料を読んでいたら、「いつまで読んでるの!」と言う。女の子が悲惨な写真に目を見やると、「何が調べたいの?目的が何か、あんたはいつもあいまいだから」と言う。
お母さんは娘さんの宿題なり自由研究なり、その課題についてちゃんと娘さんと話し合って来たのだろうか。少なくとも一緒に来たのだから、お母さんも資料を眺めたり読んだりして、戦争がどういうものだったのか、娘さんと話し合えばよいのにと思った。狭い資料館の中だから、お母さんの言葉は周りのみんなに聞こえてしまう。優しいお母さんというよりも、なんとまあ口うるさい母親だろうとしか思えなかった。
介護施設でこんな話を聞いた。90歳近いお婆さんがひとり息子と暮らしていた。息子さんがガンに罹り、手術することになって、お婆さんは介護施設でお世話を受けることになった。夏祭りの小物作りをした時、「団扇に願いごとを書いておくと、叶いますよ」と職員が言うと、お婆さんは息子さんの名前を書いて「病気が早く治りますように」と添えたそうだ。いくつになっても母親は子どものことを心配すると職員は感心していた。
親がどんな気持ちで子どもを育ててきたか、その気持ちはきっと子どもにも伝わっていくだろう。