友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父親と息子の超克

2012年08月14日 18時37分41秒 | Weblog

 1年に2回の親族の集まりはカミさんの実家でも行なっている。私が、自分が家族の一番上の男だからと思っているように、カミさんの弟も自分がみんなを呼び寄せなければという思いが強い。私の兄弟は4人で、子どもたちはみんな結婚した。カミさんは3人兄弟で、弟は2人、妹は1人の子どもがいるが、まだ誰も結婚していない。集まるのは叔母と私たち夫婦と妹と弟夫婦である。

 先日、義理の弟が8ミリフィルムを見せて、「これは義兄さんが撮ってくれたものだと思うけれど、まだ一度も見てないんです」と言う。見ると私の字で、結婚式(1)(2)とある。私は映画を作るつもりで、最初のボーナスで8ミリ撮影機を買った。大学の友だちで映画好きなのがいて、その友だちの知り合いの歯科医にやはり映画好きな人がいて、3人で映画を作ろうとなった。脚本を大学の友だちが書き、撮影を私が担当し、歯科医が車を提供し、どういう映画にするかを3人で話し合った。

 記録を撮るつもりではなかったけれど、弟の結婚式だからと撮影機を回したのだろう。1つのフィルムで4分だった記憶がある。2個あるから8分ほどのものだ。映写機もその後のボーナスで買ったけれど、撮影機も映写機もどこにあるのだろう。その後すぐにビデオ撮影機が出始め、瞬く間に家庭用に小型化され、一般化してしまった。誰でも簡単に撮影できるようになり、記録ならこちらの方が優れていたから、私はビデオ撮影機は買わないと意地を張った。

 8ミリフィルムを持っていても見られないが、以前のことだが、8ミリをビデオにしてくれる写真屋があったので、今ならDVDにしてくれるだろうと思って話したところ、富士フィルムでそういうサービスがあるという。その出来上がったDVDを持って、弟の家に行きみんなで見た。弟はとても喜んでいた。今はもういない人も画面で見ることができる。8ミリは音がないのが悔しいけれど、それだけに写真の連続として見れば、結構面白いと思った。

 亡くなった義父や義母、叔父さんたち、まだ小さかった私や妹の子どもが写っている。挨拶する義父の姿は今の弟よりも若い、弟も父親そっくりになってきた。そんなことから義父が私に語った話などすると、弟が思わぬことを話した。それは初めて聞く話だった。まだ、結婚しない前のことだと思うけれど、「僕は包丁を持って、親父を追いかけたことがある」と言う。どうしてそうなったのか全く覚えていないけれど、「お袋をそんな風に言うなと怒鳴って追い回した」らしい。

 義父はただひとりの男である弟に大きな期待を抱いていた。そのために、つい言葉がきつくなったり、バカにしたように聞こえることもあっただろう。「お前の育て方が悪い」と母親に当たることもあったかも知れない。子どものためと思ったことが子どもには大きな負担になっていることはいくらでもある。おとなしい弟も我慢できずに感情が爆発したのだろう。何事もなくてよかった。それ以後、義父は決して弟に嫌味を言うことはなかったそうだ。

 父親の思いが今なら分かるけれど、父親と息子という関係は私には「超克」である気がしてならない。息子からすれば父親は乗り越えるべき対象であるが、父親になってみると息子のために何か力になりたいのになれないというジレンマを負っている。自分の子どもであっても婿であっても、男同士の関係は難しい。義父の最後の言葉は「(弟は)大丈夫だな!」だったと姉であるカミさんは言った。

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