友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

東洋と西洋の融合?

2012年08月27日 19時27分10秒 | Weblog

 もう8月も終わろうとしているのに、暑い日が続いている。カミさんは朝5時30分に起きてゴルフに出かけた。この炎天下でよく頑張れると感心する。私たちの井戸掘りは、「暑いからやめとこまい(止めておきましょうの意味の方言)」と夏休み状態が続いている。みんな年寄りだから口は元気でも体力が続かないのだ。

 朝、いつの間にかセミの鳴き声が聞こえてこなくなった。夕、地上30メートルのルーフバルコニーでも虫たちの演奏が聞こえてくる。虫はどこからやってくるのだろう。コウロギやマツムシなどの鳴き声が植木鉢のどこかから聞こえてくる。椿の木に小さなカマキリもいた。他所から跳んでくるのか、それともここで越冬するのだろうか。

 暑さの中で、確実に秋は準備されている。北極海の氷の面積が小さくなっているとか、アメリカの干ばつで穀類は高騰し、その影響は計り知れないとか、干ばつがあれば豪雨があり、地球環境の変化に警鐘を鳴らす学者もいれば、全体のバランスは保たれているのでそんなに心配することはないと言う学者もいる。今年の夏は特に暑さが続いたように思ったけれど、人の体感なので実のところはよく分からない。

 暑い、暑いと言いながら、寒い、寒いと言いながら、暮らしているけれど、そういう季節の変化の中で暮らしていけることは多分とても恵まれている。日本に四季がなかったなら、日本人の感性や考え方もかなり違ってしまっただろう。四季は変わるもので、変えることはできない。耐えて待てば必ずよい時がやってくる。私たちは四季の変化からそう学んできた。

 移ろいやすいということは、しかし固執しないことにもなる。水に流すとか、明日は明日の風が吹くとか、責任を追及しないことにもなる。「ゆく川の流れは絶えずしてもとの水にあらず」と諦観してきた。過去のことはもう取り返すことはできない。生きている今を大事にしなければならない。

 キリストもまた、「明日のことを思いわずらうな」(マタイの福音書)と同じようなことを言っている。キリストの場合は過去ではなく、先のことを、しかも思い悩んでいることは愚かなことなのだとその前の部分で指摘している。「空の鳥を見るがよい」とか「野の花がどうして育っているか」とか、キリストの喩えは誠に巧みだ。

 私たち東洋人が四季の変化から流転とか転生を考えたけれど、キリストは「だから神の心を自分の心として生きなさい」と言う。あらゆるものに価値を見つけて生きてきた私たちには「神だけを求めなさい」というキリストの言葉は受け入れがたいものだった。今、世界は西洋化して、キリストの言葉が受け入れやすくなったが、同時に東洋人の変化から学んだ社会づくりにも注目されているから面白い。西洋と東洋の融合?そこから何か新しいものが見えてくるのだろう。

コメント
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