友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

受験生の君へ

2012年08月24日 15時25分17秒 | Weblog

 高校3年の孫娘は、大学受験で悩んでいる。受験塾に通っているが、「なかなか結果が付いてこない」とカミさんに打ち明けていた。カミさんは真面目に「どういう勉強をしているのか」とか、「教科書を声を出して何度も読むべきよ」とか、アドバイスしている。あのねえ、1ヶ月や2ヶ月くらい勉強したからと言って、すぐに成績が上がるようなら、そんな魔法があるなら、みんなもうやっていると思うよ。

 「テストで間違えたところをノートに書き出して覚えるという人もいるけれど、そんなことしてたらすーごく時間がかかっちゃう。もっと効率的に成績を上げる方法はないの?」と聞いている。アホっか。効率のよい勉強ができるよな人ならもう既に、学校でトップになっているだろう。いや、そういう優秀な子でも日頃からコツコツと勉強時間を積み重ねているはずだ。

 1日に3時間勉強する子と4時間勉強する子では、4日目でもう1日分の勉強時間に差が生まれる。1ヶ月あるいは1年なら、その差はさらに大きく、1ヶ月や2ヶ月受験塾で勉強しても追いつく筈がない。ではもう手はないのかと問われれば、手はないだろう。それでも受験までにはまだ何ヶ月間かある。それに賭けるしかない。

 受験生も人の子、みんながみんな全時間を受験勉強に注ぎ込んでいるわけではないだろう。1日に4時間勉強する子も、土日は余り勉強しないかも知れない。トータルで見れば、1日3時間の勉強時間の子と4時間勉強時間の子と、1年分以上の差がつく子もいれば、それほどの差がない子もいる。だから諦めずに、最後の最後まで、コツコツと勉強する以外にないのだ。

 結果は、それまでの模試ではなく、大学受験だろう。水泳の練習で「やれば結果は付いてくる」と学んだのは誰だったのか。目先のテストの結果などに振り回されずに勉強すればいい。時々、息抜きに我が家にやって来ては、録画してある大好きな井上真央さんが出演しているテレビを見ている。結構余裕があるじゃないか、焦っているようでもまだまだのんびりしている。それくらいでいいと私は思う。

 偏屈な私は、試験は実力で受けるものだと決め込み、塾には行かず、補講は受けず、中間や期末の時以外は試験の勉強はしなかった。高校3年になって、周りがどこどこの大学を受験すると言い出して、確かにちょっと焦った。担任に「何になりたい」と言われて、「映画監督になりたい」と答えた。確かに映画監督には憧れていたが、憧れだけならまだ他にもあった。

 建築士や造園士、新聞記者である。新聞記者になるには早稲田か東大とこれも勝手に決め込み、自分の学力では入学できない。建築士も造園士も理系だから無理だ。日大芸術学部なら入学できるだろう。しかし、どのくらいの金が必要なのか、そんな金が家にあるのだろうか。そう思っていた時、父親が亡くなり、これで全ては終わったと思った。大学受験はなくなった。バンザイ!だった。

 人生なんてどこでどう変わるか分からない。高校3年の孫娘も、今は目標に向かってひたすら努力する、そういう時を生きている。頑張れ!と言うしかない。

コメント
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