日本の女子レスリングが2個の金メダルを獲得した。バレーボールでもサッカーでも女性たちの活躍は目覚しい。日の丸が君が代の演奏で揚がっていくのを見ていたら胸が締め付けられた。今日は長崎に原爆が投下された日である。広島に続いて長崎に原爆を投下した米軍はこれで、日本政府はすぐに降伏すると考えていたようだが、まだ本土決戦を主張する陸軍幹部もいて決断できずにいた。そこで米軍は日本全土にわたって主要都市への無差別爆撃を行なった。そのために多くの命が亡くなった。
日の丸が揚がるのを見て、君が代の演奏を聴いて、確かに私は涙が溢れてくる。戦争が終わり、もう二度と戦争はしないと誓った時に、日の丸や君が代も放棄して、新しいものにすべきだったと思う。それで、再び戦争をしない決意を国民全体で示すことができたはずだ。そういうけじめをせずにあいまいにしてきたために、イヤだなと思っている日の丸を掲げ、君が代を歌うことになってしまった。戦争と決別の誓いを立てた時に、新しい国旗と国歌を定めておけば、その旗の揚がるのを見て、その歌を聞いて、やっぱり私は胸を熱くしたことだろう。
戦争は愚かだと誰もが言う。戦争をしてはならないと誰もが言う。けれども、他国から攻められたらどうするのだ、お前の家族が被害にあったらどうするのか、そういういかにも現実に起こりそうな(各地で起きている)ことを持ち出して、だから防衛するのは当然だと言う。軍備を持たない国家がどこにあるかと主張する。戦争はしてはならないのが人間の原点なら、戦争をしなくてもよい社会を目指すべきだと私は思う。攻められたらとか、テロを受けたらとか、言うけれど、そこには原因があるわけだから、それを取り除いていくことが人間の知恵だと思う。
オリンピックは余りにも放映権をいくらで売るとか、商業主義になってしまったけれど、逆に華々しい大きな祭典にして、これからは平和を願う祭典に徹したらよいのかも知れない。不況だと言いながらもこれだけ多くの人々が関心を持っているのだから、戦いはスポーツの世界だけに閉じ込める宣言でもしてアピールして欲しい。アスリートは見ていても美しい。技の競い合いであるけれど、同時に美の祭典でもあると思う。
「人生は歩く影法師、あわれな役者だ。つかの間の舞台の上で、身ぶりよろしく動き回ってみるものの、出場が終われば跡形もない」とシェークスピアは言う。人生なんてそんなものだと私も思うけれど、舞台に立っている間は誰もが真剣である。それをいとも簡単に、ある日突然空から爆弾が降ってきて、命を奪われる。誰がそんな社会を作ったのか。戦争も誰かが決めたものだ。知らないところで決められたことで、死んでいくのは決めた人間ではない。全力を尽くしきったアスリートに涙を流しても、理不尽な死を迎えることには決して涙を流したくない。