友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

美意識の違い

2012年08月15日 18時59分04秒 | Weblog

 朝でも昼でも、いつでも睡魔がやって来て、瞬く間に眠ってしまう。気持ちが緩んでいる証拠なのだろうけれど、眠い時は眠ればいいという安直な意識がそうさせている。何が何でもこれをやらなくてはという切羽詰ったものがないのは、嬉しいようだけれどちょっと淋しい。

 中国の民間人を乗せた船が尖閣諸島へ上陸しようとしているとか、韓国の有名な歌手や俳優が泳いで竹島に渡ろうとしているとか、そんなことをテレビが報じていた。内政がうまくいかない時は、外国との小競り合いに持ち込むというのは政治の常套手段だ。排外主義というのはどこの国も同じだ。

 韓国へ遊びに行ってきた人の話では、あれほどオリンピックでメダルを獲得しているのに、韓国国内ではそんなに話題になっていなかったと言う。福山雅治さんのロンドンからの記事を読むと、ロンドン南部の海水浴場は人々でぎっしり埋まっていたとある。オリンピックのチケットは高くて手に入らないし、ロンドンの渋滞をなくすため、「期間中は自宅で仕事を」「運転は控えて」とのキャンペーンが効いて、市中は活気がなく小売店の売り上げは減ったとあった。

 オリンピックで活躍している選手は、人種や民族、宗教の垣根がなくなっている。価値観や生活習慣を越えて、スポーツを楽しんでいる。韓国へ遊びに行った人は、旅行会社のツアーではなく韓国の友人と一緒に行ったので、泊まるところも韓国の人の家だった。彼の旅行談の中で食事の話が一番面白かった。韓国の人は食器を置いて食べるし、女の人は膝を立てて食べる。中には食器に顔を突っ込むようにして食べる人もいる。彼の妻は、「行儀が悪い。しつけができていない」と不機嫌だったそうだ。

 しかし、これは韓国の食事の習慣で、むしろ食器を手に持って食べる方が行儀は悪いのだ。食事をみんなでするのはおもてなしで、これは人類に共通するが、その食べ方となるとかなり違いがある。鍋のようにみんなで同じものを分けて食べることは最高のもてなしだが、日本で育った韓国の子どもには違和感があったようだと言う。韓国の人は食べ切れなかったものを鍋に戻すので、その子どもはそれを避けて真ん中のものしか食べなかった。日本人の潔癖症が子どもに移っている。

 人は長い歴史の中でそれぞれの文化を創り出し、価値観を育ててきた。中東からヨーロッパでは数学的に割り切れる様式が美しいとされてきた。寺院や宮殿、庭園などはシンメトリー(左右対称)に造られている。がっちりとした安定した形は永遠につながるからだろう。日本ではむしろ左右非対称に美を求めてきた。完成されない不安定な破調こそが美しいと考えてきた。これは日本の自然に大きく影響されているし、日本人の死生観にもつながっている。

 欧米の生産力が世界を支配していた時代は、シンメトリーのような完全なものに価値観があったけれど、そうした社会が行き詰まってきて、日本人の美意識に評価が高まってきた。日本人が欧米に追いつき追い越せと躍起になっているのに、その先端にいる人たちは日本に注目しているのは面白い。今日は終戦記念日、野田総理の挨拶は相変わらず空虚だ。

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