四季咲きの薔薇や日日草、サルビアやアメリカンブルー、クレマチスやマツバボタン、デュランタやランタナなど、夏の花が一面に咲いている。そんな風に植木鉢を並べたのだから当然だけれど、一斉に咲いてくれると結構見栄えもいい。NHKラジオの夏休み電話相談を聞いていたら、「花は仲良く咲いているけれど、本当にそうかな?」と解説の先生が話していた。花は昆虫を呼び寄せるために、いろいろ競い合っているとその先生は言うのだ。
たとえば、花の色は目立つように派手であるし、匂いもいろいろで虫を寄せる重要な働きをしている。それらはみんな、自分の種を残すために、虫に働きかけていると言うのである。確かに薔薇は甘い香りがするし、日日草は私には臭いと感じる。虫たちもどんな花にでも、蜜を吸いに集まるのかと見ていると、どうも好みがあるようだ。日日草に止まってもサルビアには近づかないとか、選り好みをしている。匂いや色で、呼び寄せる虫を花たちも選んでいるようだ。
「原発ゼロへあなたも呼びかけ人になってください」と言われた。私は原発には反対であるし、ゼロにすべきだと思っている。ただ、今の私は市民のための市民講座を開催してきた大和塾の事務局を引き受けている。個人が何を考え、どのように行動しても自由だと思っているが、大和塾は政治の問題も取り上げるけれど、政治活動はしないと決めてきたので、呼びかけ人になることはできない。残念ながらまだ、そうした色眼鏡で市民は見ているからだ。
私自身は政治の問題を特別などと思っていない。政治の議論をする人が、中高年の恋愛事情についても話をする、そういうことがむしろ大事だと思っている。政治の話は高尚で、男女の話はレベルが低いという意識はおかしいと思っている。トータルに、何に対しても関心を持つことが大事なことではないだろうか。
原発ゼロへと多くの人が思っている。もちろん、原発が無くなれば日本経済が行き詰まると思っている人もいる。どのように思うかは自由だ。だからこそ、自分の考えを持ち、異なる考えの人とも意見交換ができなければならないと思う。自分の考えは正しいから他人の考えは聞かないというのであれば独裁である。自分の考えが正しいと思うのであれば堂々と述べ合うべきであるし、そうすることでみんなの意見を集約できる方向が見えてくる。
人も虫と同じように好みがある。それは致し方ないけれど、私たちには自分と異なる意見も聞くことが出来る能力がある。原発ゼロを願いながら、同じ党派の人しか受け入れないのであれば、市民の意識は少しも変わらないだろう。幅広い市民が参加できる仕組みを作り出してこそ、新しい時代が見えてくる。既成の概念や運動では新しい市民運動は生まれてこないだろう。
話し合えることがこれからの道を切り開くと私は思う。原発でも福祉制度でも領土問題でも、根っこは同じだ。人々がみんなで生きていけるようにするためにはどうしたらよいかである。自分や自分の国だけではなく、みんなで生きていける地球にするにはどうしたらよいかである。