友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏祭りに向けて

2012年08月03日 19時21分22秒 | Weblog

 夏祭りが近づいてきたというのに、なんとなく気持ちが乗っていなかった。いつも中心になってやる人が長い間アメリカに行っていたから、彼が帰ってくるまでは動けなかったこともある。しかし、最大の原因は今年の場所にある。屋台の場所は抽選で決まる。ところが今年は一番端っこを引いてしまった。しかもいつもなら2団体で出かけていって、2ブースを確保してきたけれど、今年はその1つが当たらなかったので、1ブース分しかない。例年の半分の面積しかないばかりか、その場所も人通りが最も少ないところなのだ。

 そうした悲観な要素のせいでやる気が遠のいていた。別に金儲けのために屋台を行なっているわけではないのに、知らず知らずのうちに金儲けに傾いていたのだろうか。もともとこの夏祭りは、市民が自分たちで考え、自分たちで企画し、実行し運営することで、市民の一体感を作っていこうとするものだった。これまでの的屋ではなく、市民が自ら店を出してものを売り、その収益は市民の活動資金にする。だから、文化やスポーツクラブ、地域の仲間などがそれぞれに工夫をこらして屋台を出した。

 食べるものがないので、焼きそばや焼きおにぎりはよく売れる。もちろん夏祭りだからビールや発泡酒などの飲み物も売れる。変わったところではカブトムシやクワガタムシなどを売っている屋台もある。お抹茶を飲ませる屋台もある。古くなったオモチャを格安に売るグループもある。人々を呼び込む工夫もいろいろである。私たちの屋台も小学生の何人かが大きな声で道行く人々に呼びかけてくれるし、女性軍も活発に売り子を演じてくれる。

 市民が自ら行なう屋台が多くなれば当然にも夏祭りに参加する市民も増える。そういう祭りの提唱者のひとりである私としては、屋台の希望者を制限せずにどんどん増やしていく方向へ持って行きたかったが、現在の市政の方々は違っていた。団体同士が話し合って場所を交換することにも制限が加わった。祭りを盛り上げていくためにはどうしていくか、そうした視点が次第に遠のいてきたように感じる。

 「売り上げが少なくても、祭りを盛り上げることになればそれでいい」と原点に戻る発言があり、「祭りそのものを楽しもう」と言う。そんなわけで、昨日は必要なものの買出しに行ってきた。アメリカから帰ってきた友だちもエンジンがかかってきた。久し振りに出会った友に、「酒でも飲まんかいね」と誘う。それで昨夜は彼の家に入り込んで酒盛りとなり、ブログを書き上げることができなかった。明日はいよいよ夏祭りである。明日と明後日はブログを休みます。

コメント
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