友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

8月15日についてのコラム

2012年08月16日 19時42分38秒 | Weblog

 高校野球を見ていると、前回に好投した投手が続けてよい試合ができるわけではないし、打撃が好調なチームが好投手の前では手が出ないこともある。プロ野球でもそんなことはよくある。そうかと思うと、やはり凄い投球をする投手もいるし、どんな投手が出てきても打ち勝つチームもある。組み合わせやその時の体調や心理状態など、いろんな要素が重なり合って、そして最後に勝負を決するのは気迫なのかも知れない。

 大会では勝ち進まなければ、勝利を手にすることができない。再び、もう一度ということはできないが、それでもまたどこかでリベンジすることはできる。野球で勝利できなくても、セールスでよい成績を残した人はいるし、スポーツでは散々な結果しか残せない人でも子沢山の明るく幸せな家庭を得る人だっている。野球がダメでも少年野球の審判で活躍する人もいる。人生はどこからでもやり直すことができる。

 しかし、死んでしまったなら、もう一度はない。今朝の中日新聞の『中日春秋』と朝日新聞の『天声人語』を読んで、両紙の体質のようなものがよく現れていると思った。朝日は「殿、ご乱心」という書き出しで、韓国の「大統領の言動がおかしい」ことや尖閣諸島へ香港船がやって来たことを取り上げていた。結論は、「どんな時でも、国民とメディアが正気を保てれば道を大きく誤ることはない」というものだった。

 中日新聞は、昭和天皇の正午の放送を聞いた時、「万事は休した。額が白み、唇から血が引いて、顔がチアノーゼ症状を呈したのが自分でも分かった」と書いている山田風太郎著『戦中派不戦日記』を取り上げ、治安維持法違反で投獄された河上肇が放送を聞いて作った「あなうれし とにもかくにも 生きのびて 戦辞める けふの日にあふ」という短歌を載せていた。そして、この放送を何というか?との問いに、「玉音放送」と答えた高校生は百人中8人しかなく、昭和は遠くなったというものだった。

 終戦記念日に書く記事が大きく違っているのは、新聞がどういう方向へ向かっているかを表しているのだろう。NHKテレビで昨夜、なぜ終戦が長引いたのかを取り上げていた。私は見ていて、日本人の体質なのかと思った。6人の最高責任者が話し合っているけれど、建前ばかりで本音が言えない。こういう現象は戦前も戦後も変わらないし、右翼も左翼も同じだ。誰も責任を取ろうとしない。もし誰かが本音を言ったなら、みんなで卑怯者呼ばわりをして叩き潰してしまう。

 朝日新聞は戦前のメディアがなぜ正気を保てなかったのか、その反省に踏まえているのだろうか。スポーツも人生もやり直しはできる。けれども、死んでしまっては何もできない。人生に夢を描いていても、国が戦争になれば、夢はたちまち消えてしまう。多くの人の取り返しができなくなるような事態はあってはならない。領土があるから奪い合いになるのなら、領土のない社会にすればいい。メディアはそういう提案をする役目を負っていると思う。

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