友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2012年09月08日 19時06分24秒 | Weblog

 私は先の戦争について、ずぅーと不思議に思っていたことがある。戦争を進めた人はなぜ責任をとって自害しなかったのだろう。なぜ、もっと早く終結できなかったのだろう。戦争をした理由は、たとえばアジアの解放であったとか、アジア人のよる共同の地域づくりであったとか、資源を確保するためだったとか、いろいろと聞いたけれど、何が戦争へ突き進ませることになったのだろう。

 戦場の悲惨さは、うわさで聞いたり、映画になったものを見たり、級友の父親が戦地から持ち帰った写真を見たりして、知ることが出来た。特に級友の家にあった写真は強烈だった。日本軍の兵士が中国人の首を軍刀で切り、その首を縄で結んで丸太につるしてあった写真は忘れられない。今も残っているなら、とても貴重な戦争資料だろう。

 地域新聞を始めてからは、戦争を語る特集を組み、兵士だった人から話を聞いた。兵士の多くが戦場の悲惨な体験は語っても、自分がどんな風に相手を殺したかと話すことはなかった。「ひどいことをした」と話すけれど、それは自分ではない「兵士」のことだった。自分の苦しい思いでは語ることが出来ても、自分が行なった「兵士の行為」については語らなかった。

 ベトナムやイラクからの帰還兵が、戦争の様子を語っても自らがどのような行為をしたのかについて沈黙を守るのは、語るべきことではないからだろう。戦争は人殺しなのだから、非道を極めている。平和な日常の中でそれを語ることは出来ないのだ。戦場はいつの時代でも普通の神経ではいられない。先の戦争では滅茶苦茶な作戦命令が出されている。そんな馬鹿なことがなぜ行なわれたのかと思うが、逆らえば軍法会議で死刑が宣告され、実際に何人もの兵士が見せしめのために殺された。

 加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んだ。軍部は勝手に戦争を進めたが、圧倒的な国民が最初はそれを支持した。なぜそうなったのだろうと思っていたので、ぜひ読んでおきたかった。この本は、加藤さんが高校生に、日本が戦争へと突き進んできた過程を、文書や統計などの資料を見せながら行なった授業を再現したものだ。いろんな人物が出てきて、そうだったのかと思うところもあり、すいすいと読める。

 しかし、なぜ「選んだ」のかという結論は出てこない。資本主義社会の中で、各国が自国の利益を押し進めていく。その鬩ぎ合いは今も変わらない。武力こそ用いられていないが、外交交渉はそのままだ。加藤さんは1960年生まれと実に若い。「時々の戦争は、国債関係、地域秩序、当該国家や社会に対していかなる影響を及ぼしたのか、また時々の戦争の前と後でいかなる変化が起きたのか」を考察したものがこの本と言う。確かに、ぜひ多くの人々に読んでもらいたいと思った。

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