朝早くから、小学校の運動場では運動会に向けた練習が行なわれている。「気をつけ、礼、休め」と何度も繰り返している。「礼」の角度が揃っていないと、マイクで怒鳴る女性の先生の声が響く。赤、白、青の3色による縦割りの応援がこの学校の特色なのだろうけれど、それにしてもこんなに暑い中、よくまあ同じことを何度も繰り返して行なうのだろう。おっと、横を見ていた子に先ほどの先生が「前を見なさい」とマイクで怒鳴った。
自民党の総裁選挙が明日に迫ったからか、テレビのニュースでは4人の候補の、町村さんも出馬するというので、5人の顔が何度も映し出されていた。尖閣諸島に中国が、そしてまた今日は台湾の船が近づいているということもあって、4人の演説はいずれも愛国的だった。「この美しい日本の海に外国の船が堂々と出没している。こんなことが許されていいのか」とか、「ジャパン イズ ナンバーワンになろうではないか」とか、息巻いていた。
NHKも民放も、竹島をあるいは尖閣諸島を報道する時、「わが国の固有の領土である」との前置きが行なわれるが、それは政府からの指示だから仕方ないのかも知れないが、領土に固有なんてものはあるはずがないと私は思う。たまたま、私たちはここに住んでいるので、ここが固有の領土になっているけれど、遊牧民ならどこからどこまでが固有の領土なのか、人が住んでいないところはどこの領土なのか、ハッキリしていなかったはずだ。
領土などというものが意識されたのは、一体いつからなのだろう。旧約聖書を読んでいると、ユダヤの民はあちこちと放浪している。先々に前から住んでいる人たちがいるところもあればいない土地もある。どこでも蓄えが出来ている人々が、出来ていない人々を救い、従えている。命を落とすよりも力のある方に従うことを選ぶか、あるいは死を恐れずに抵抗して自分の家族を守るかである。
それから何千年の時が流れたけれど、人々のやっていることは相変わらずだ。中国は低賃だから製品を生み出すのは好条件だった。しかし、働く側からすれば、いつまでも低賃金で働かされるのは我慢ならない。尖閣諸島の問題を契機に、いっきに反日運動が盛り上がった。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読むと、歴史は常に誰が利益を得ているようだ。日本の企業は大きなダメージを受けた。中国やアメリカや欧米の企業はニンマリとしているということだ。
政府は利益を受ける人々の代弁者であるとすれば、日本政府のやり方は失敗だったと言っていいだろう。アメリカは「介在せず」と言いながら、より中国に接近するだろうし、これを機会に欧州やロシアや韓国が中国へ乗り込むだろう。13億人という消費者の存在は企業にはヨダレが出るほどの条件なのだ。かつて、第2次世界大戦前だったと思うけれど、中国でハブラシ1本売れれば1銭の儲けになるならば、利益はその10億倍になると皮算用していたそうだ。安い労働力だけでなく、人口の多い中国の消費に期待しているのだ。
資本主義社会では大儲けするものを潰せば、利益は次に回ってくる。だからお互いにしのぎを削って「スキマ」を窺っている。「気をつけ、礼、休め」と子どもたちはやっているけれど、そのうちに「美しい日本の国を海を守れ」とならないように願いたい。