友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

敵意をむき出しにしてどうするの?

2012年09月18日 19時21分06秒 | Weblog

 台風が過ぎれば、爽やかな秋晴れがやってくるはずなのに、荒れ模様の天気が続いている。友達夫婦が鳳来寺にある四谷千枚田を見に行こうというので、お天気を気にしながら出かけた。ところが雨に降られることもなく、見事な棚田を見ることが出来た。既に稲刈りが済んでいるところもあり、黄金色の棚田とは言えなかったのが少し残念だった。畦にはヒガンバナが咲き、その光景も見事と言われていたけれど、ちょっと早すぎた。今週末にはきっとたくさんのヒガンバナを見られるだろう。

 寒狭川沿いの川魚料理の店で、アユの塩焼き定職を食べた。客は誰もいなかった。「アユを食べたいのですが」と頼むと、「はい、出来ますよ」と言うけれど、「刺身に出来るアユは1尾しかいない」と言うので、それを刺身にしてもらって4人で食べた。店のご主人は気難しそうな人だったけれど、「千枚田のヒガンバナはまだ咲いていなかった」と話すと、店を出てすぐの道路沿いに少しだけれど群生があると教えてくれた。食事の後、その群生を見に行こうと歩いていくと、後からご主人がわざわざ追いかけてきてくれて、話をしてくれた。

 気さくに声をかければ、相手も答えてくれる。しかし、敵意に満ちて接すれば、相手も敵意をむき出しにしてくる。中国の主要都市で、若者たちが激しく反日デモを展開している。今日、9月18日は満州に駐留していた関東軍が満州鉄道を爆破し、これを中国側が行なったとして、いっきに満州を支配した日である。中国の人々からすれば、外国軍隊が我がもの顔で支配していくことは、屈辱以外のなにものでもないだろう。この半年後の1932年3月、日本は満州国を独立させ属国にしてしまう。

 日本が鎖国を解いて、外国を受け入れた時、既に欧米の列強は植民地支配に乗り出していた。明治新政府は、列強諸国に負けない国家の建設を「富国強兵」のスローガンの下に急いだ。最も警戒した国家はロシアだった。欧米諸国は日本からは遠いが、ロシアは隣国である。ロシアの南下政策に対抗するために、1910年(明治43年)には韓国を合併し、続いてシベリア鉄道に対抗して満州鉄道を敷設する権利を中国に認めさせる。こうして満州に莫大なお金を投入し、「日本の生命線」を築いて行った。

 中国は人口の大きさから、欧米諸国にとっては莫大な市場であった。日本も各国にならって中国への進出を行なった。今、軍隊こそ中国に派遣していないけれど、各国の企業が中国に工場や商店や窓口を設けている。領土の小競り合いは、中国に進出した企業への攻撃になってきた。投資家はお金が儲かるなら、どこにでも投資する。危なくなれば、愛国心を煽って権益を守ろうとするが、実際の投資家は愛国心よりもお金に信頼と愛着を抱いている。投資家の手のひらで踊り、争い、死ぬのは普通の国民である。

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