友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人から鬼へと変わってしまう

2012年09月22日 19時35分51秒 | Weblog

 朝からクシャミを連発している。目も痒くて、ショボショボしている。なんとなく身体がだるくて気力も失せる。秋になってきたのだ。身体は正直で、早くも花粉症の症状になっている。「美味しいものを食べ、ゆっくり休むことが大事だ」と言うのだけれど、「いつもそうしているじゃーありませんか」と相手は聞く耳を持たない。しかし、グダグダしていては絵本の提出期限に間に合わなくなる。さあー、頑張ろうと思っていたところに、長女が3歳の孫娘を連れてやって来た。

 絵本の主人公は女の子だ。物語としては孫娘よりも年上の10歳くらいだろう。でも、それでは絵本にならない気がして、孫娘くらいの女の子にしてしまったというか、描いていたら孫娘の顔になってしまった。普通の顔、泣いた顔、嬉しそうな顔の3場面が欲しかったので、孫娘に「泣いた顔や嬉しい時の顔をして」と頼むけれど、何を言っているのと知らん顔である。まだ、モデルになるという意味が分からないのだから、こちらが彼女を観察して表現する他ない。

 孫娘は3歳になって、さらに意思がハッキリしてきた。好きなことは夢中になってするが、嫌なことは梃子でも動かない。欲しいものがあると上手に甘えて手にいれる。しかし、ダメだと言われれば、大粒の涙を流し大声で泣く。それも目を開けたまま、相手の動きを見ながら泣くから本当に役者である。そうした行為を重ねながら、子どもは学習を積んで大人になっていくのだろう。自分だけでは生きていけないから、大人たちの関心と注目を集めなくてはならず、子どもとしても必死なのだろう。

 最近、子どもに対するネグレクトがよく報道される。こちらが疲れ果てている時に、泣いてぐずられるとどうしようもなく怒りが湧き起こってくる。ひとりで子どもを育てている人は本当に大変な苦労だと思う。ふたりで、あるいは他にも家族がいれば、誰かが冷静に対処してくれるからいいけれど、ひとりなら冷静さなど失って残酷になってしまうかも知れない。子どもへの虐待が起きるのはそういう時ではないだろうか。特殊な事情というよりも、誰にでも起きることのように思う。

 人の心の中には、邪気が潜んでいるが、人は初めから鬼ではない。赤子の愛くるしい顔を見れば心はむしろ癒される。美しい景色や花や小鳥や、そんなものに感動し穏やかになる。美しいものを見れば心は浄化されるのに、人間の生活の場では鬼になっていくようなことが多い。貧困、働く場所がない、多忙なのに収入は少ない、笑う余裕さえもない人もいる。罵倒する怒鳴り声、騒音、汚れ、やりきれない感情が襲ってくる。そのうちに何もかも無気力になる。すると人から鬼へと変わってしまう。子どもが泣いても聞こえない。

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