友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

お金持ちになれなくても普通に暮らせるならいい

2012年09月23日 19時20分47秒 | Weblog

 雨が上がったら、急に風が涼しくなった。金融広報中央委員会が、個人のお金や金融に関する知識、考え方をアンケートで探った「金融力調査」の結果を発表した。世の中にはいろんなものがあるようで、金融広報中央委員会なる名称も、「金融力」なる言葉も、私は初めて目にした。それで興味が湧いたので、読んでみた。

 お金の蓄えや使用について、「長期の計画を立て達成するように努力しているか」との問いには、46%が「当てはまる」と回答し、「当てはまらない」と回答29%を上回った。「何かを買う前に余裕があるか注意深く考えるか」と、「自分のお金や金融に関することに十分注意しているか」の問いには、77%が「そうしている」と回答した。

 しかし、「インフレ率が3%、銀行の預金利息が1%なら預金の購買力は1年後にどうなるか」という問いには、「今より目減りする」と正解した人は52%、不正解は14%、「分からない」が33%で、知識面で不安があるという。また、老後の費用について、「年金のみで賄える」は12%、78%が「賄えない」と回答。「賄えない」と回答した人の中で、62%が「準備は出来ていない」という。

 金融という仕組みはいつ、どのようにして生まれたのだろう。シェイクスピアの『ベニスの商人』には貸した金に利息がついている、日本でも江戸時代には強欲な商人が高い利息で人々を苦しめる話が出てくるから、金融は近世にはあった仕組みなのだろう。しかし、お金を貸して利息がつくとはどうしてなのか、今ならば、運用するのだから利息がつくのは当然のように思ってしまうけれど、お金を貸しただけで利息が生まれる仕組みを考え出した人物はエライというかズルイというか、スゴイ。

 昔は、たとえば日本なら村全体で助け合って暮らしていた。水田農業は共同でなければ出来なかったから、たとえ金銭が生まれたとしても基本的には互助だった。農耕が生活の中心であるならば、ヨーロッパでも同じだろう。商業が生まれ、教会や王様以外に、お金を蓄える連中が生まれてくるようになって、金貸しも生まれてくる。そして、カトリック教会に逆らうプロテスタントが誕生すると、新しい職業の人々が同調し、さらに海外貿易が盛んになってきて産業革命を生み出した。

 工場生産はこれまでの農業のような共同ではない、労働の形態へと変えてしまった。人々は工場の近くに住居を構え、賃金の高い方へと移るようになる。余裕があれば、お金を蓄え、投資をしてさらにお金を増やすことが出来る資本主義社会が生まれた。お金のある人はますますお金を産むことが出来る仕組みだ。自由と平等はこうして実を結んだけれど、お金の前には自由も平等も奪われる結果も分かってきた。

 お金持ちになれなくても、普通に暮らしていければよいと考える人は多いだろう。老後の蓄えに一体どのくらい必要なのか、そんな不安をみんなが抱えながら暮らしている。民主党の代表選挙も、自民党の総裁選挙も、少しもこの不安に答えてはくれない。

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