『常識が通用しない』と題した2月3日のブログに、天邪鬼さんが「『人間なんてララララーララ』変節を繰り返しながら生きているもの。正解などありはしません。それよりも今日をどう生きるかの方が重要。何と言われようとも生きていることに意義があるのでしょう。人はいつか死んでいくものだから」とコメントをくれた。その「人間なんてララララーララ」は、どこかで見た覚えがある気がした。
吉田拓郎の『人間なんて』という歌の出だしだ。1971年の第3回中津川フォークジャンボリーで拓郎が歌ったことで知られている。歌詞を見ると、「何かがほしいオイラ それが何だかわからない‥‥それは誰にも分からない」と、それまでの社会批判から内面に向かっている。拓郎の前は岡林信康や高石ともやが歌っていた。岡林の『山谷ブルース』『友よ』、高石の『受験生ブルース』は1968年に発表され、新宿広場を占拠した学生たちが歌っていた。
高石は1941年生まれだが、岡林と拓郎は1946年生まれ。高石と岡林はクリスチャン。拓郎が通っていた広島の大学はバリケード封鎖などという過激な行動はなかったことが歌詞からも分かる。拓郎の『結婚しようよ』にはもう内面すら見ていない。私は1957年ごろから1968年まで、テレビのない生活だった。ラジオもなかったけれど、下宿の隣の部屋や街角でフォークソングを耳にする機会があった。
『イムジン河』『フランシーヌの場合』『サトウキビ畑』などとてもきれいな曲だと思った。『神田川』が歌われたのは1973年で、すでに学生たちの街頭闘争は終焉していたと思う。上村一夫のマンガ『同棲時代』と重なって、感傷的で抒情的な時代を象徴するようだった。天邪鬼さんが言うように、「変節を繰り返しながら生きているもの」なのだ。歌は多くの人々の心に入り込む。今はメッセージ性の強い歌を聞くことがなくなった。けれど、歌詞のない歌はないから、いつかまた心を摑まえる歌が生まれるだろう。