バレンタインにチョコをプレゼントする習慣はいつ頃から始まったのだろう。私は昭和42年に高校の教員になり10年間勤めたけど、女生徒や女性教員からチョコをもらった記憶がない。ただ、先輩の先生から豪華なチョコの詰め合わせが家に送られてきたことがある。先輩の先生から「お世話になった」と文もあったが、私はプレゼントされるほどのことは何もしていなかった。
たまたま、私は建築科の生徒に絵を教える授業を受け持っていた。我が家が材木屋で建築には関心があったが、数学が苦手だったので建築家にはなれないと諦めていた。それでも間取りのことを考えるのは好きで、建築科に通うのは楽しみだった。建築科の教官室にはいろいろと興味のある雑誌もあり、建築の話を聞くことも出来た。私にチョコを送ってくれた先輩の先生は私の倍くらい、40代半ばから50代初めだったと思う。
先生は学校には来ていたけれど授業することはなく、教科に中で孤立していた。今でいうウツ病だったのだろう。そんなことを知らない私は、先生に家造りについて話し、教えてもらっていた。先生が建築科の中で厄介者扱いされているとは感じていたが、私も職員会議で生徒指導部に対して平気で質問する困った奴だったから、まあ同じような者だった。知識も豊かで性格も温厚だったから年齢順なら当然、教科主任になっても良いくらいだった。
教科の中で主任を選ぶ習慣はなく、上から命じられる以上仕方ない現実だった。そうした上下関係がありながら、職員会議は新任も古参も平等とばかり、私は他の新任教師と共に発言をしていた。工業高校には教科ごとに助手がいるが、身分も不安定でしかも他の教科の助手とのつながりもなかったので、職場に青年会を作り、親睦のためにハイキングなどを計画した。組合の青年部長ではない工業科の教員の呼びかけだったから、工業科の先生たちも許してくれたのかも知れない。
チョコの豪華な箱詰めをもらったのはこの時限りだった。あの先生はあれからどうされたのだろう。おっと、仙台にいる次女からチョコが届いた。娘たちふたりにありがとう。