平安京が始まり貴族たちの優雅な生活はますます華やかになっていった。それは農民たちの食うや食わずの生活に支えられたものだった。935年に関東で平将門の乱が、続いて瀬戸内海で藤原純友の乱が起きた。呼応するように起きた乱だったが、通信手段のない平安時代にそんな謀は出来ないだろうと思っていたが、私と同じ様に2つの乱を結び付けて考えるシナリオ作家がいた。
名演小劇場で上映された劇団・新感線の『蒼の乱』は藤原純友と平将門がともに挙兵し、朝廷を東西から挟み撃ちにして「新しい国」をつくろうというものだった。ここには裏があり、関東で兵をあげた将門を支援した蝦夷の王は、実は太政大臣の弟で、天下を取るための策略だった。どんでん返しは作者の中島かずきの得意のところで、新感線の芝居を観てきてよく分かった。
主演は将門の妻役の天海祐希さんと将門役の松山ケンイチさん、脇役に早乙女太一さんや平幹二朗さんが、さらにいつもながら脇役ばかりだが存在感のある高田聖子さんもいて、あっという間の3時間だった。新感線の芝居は歌って踊って、見せ場の決闘シーンやチャンバラが何度も出てくるので、ついその迫力に目が向いてテーマ性がぼけてしまうが、『蒼の乱』は将門の苦悩がよく分かった。
将門は関東に「新しい国」をつくろうとするが、朝廷からの討伐軍と戦う日々が続き、農民たちの離反が生まれる。農民も彼らの土地も愛する妻さえも守ることが出来ないことを知り、最後に自分の首を差し出すことで愛する妻だけは守る決心をする。将門の妻も、夫が愛した関東の平野を守るために戦うが、結局は「新しい国」をつくることが出来ない。侍も農民も蝦夷も異国民も差別のない「新しい国」は次の時代に期待するしかない。
この「新しい国」つくりは現代にも通じる。どんなに戦いに優れた武将がいても、どんなに人々に人気のある政治家がいても、それだけでは「新しい国」はつくれない。何が必要なのだろう、どうすれば理想に向かって進むことが出来るのだろう。将門の乱から1100年近く経てもまだ何も変わっていないのだろうか。