入社式が各地で行われている。市役所にも新しい職員が配属されていた。今日は孫娘の初出勤の日で、新人はどこかに集められ県知事から祝いの言葉と訓辞を聞いたことだろう。どんな気持ちでこの時を過ごしたのかと思う。昨日は暖かく桜が一気に咲いたが、今日は午後から冷たい風が吹いている。
若い人は前途洋々なのだろうが、明日の予定が無い老人は元気も湧いてこない。子どもの頃、「悪法も法なり」だから法には従う以外ないと思っていた。古代ギリシアでも裁判は行われていて、ソクラテスは毒杯を飲んで死んだ。どうして悪法に従ったのだろう、それにしてもなんと潔い死に方なのかと思った。
ソクラテスはどんな人物なのか、それが心に引っかかっていた。清水書院から高校生向けに出版された『人と思想』シリーズは、1)が老子、2)が孔子、3)がソクラテスで、街の書店で見つけた時、思わず3冊買ってしまった。西洋哲学の祖といわれるソクラテスはどのように生きたのか、なぜ死ななければならなかったのか、そう思って読んだが、失礼だが著者の中野幸次先生の文章は古くて分かりにくかった。
ソクラテスが生きた時代は古代ギリシアの全盛期で、都市国家は民主制であった。多分、広場では禅問答のようなことが行われ、自然について論議されていたのだろう。ソクラテスは石工の息子だから家業を受け継いでいたはずだが、広場で論戦することに夢中になっていたのだろう。そんなソクラテスは「アテネで一番賢い」と言われるようになる。
それは同時にソクラテスの敵をつくることになり、「神々を信ぜず、若者に不信仰を煽っている」と告発される。ソクラテスの支持者たちは金を用意し、牢から脱出することを進めるが頑固に拒否する。アテネの神々を冒涜したことはないし、自分が考え人々に話したことに何も間違いはないと裁判で主張する。それをプラトンが『クラテスの弁明』で記述した。キリストも釈迦も孔子もすべて弟子が綴ったものが経典となっているがソクラテスも同じだ。
ソクラテスが死を受け入れたのは70歳とされている。社会人となったばかりの若者と違い、この歳ならいずれ死ぬわけだから怖くはなかっただろうと、73歳になる私は理解できる。