今朝、先輩のふたりと井戸が欲しいと言われる家に行って来た。広い家で、母屋の入り口とは別の、洋風の石造りの門の方へ案内された。石を積み上げた塀にはバラが巻きついていて、もう白い花を咲かせている。入口から奥へ石を敷き詰めた道が出来ている。その途中に枕木を並べた道があり、なかなか風情がある。道の左手にあるハナミズキは白い花が満開だ。
石積みの塀も門もこの家の主が「自分で造った」と言うから、庭造りには並々ならぬ思いがあるようだ。奥庭の樹木や門の前の庭に水を遣りたいので井戸が欲しいという訳である。現場を見せてもらい、工事にかかる日取りなどを打ち合わせる。先輩のひとりは「今年は注文が殺到する気がする」と言うが、そう願っているのであって何の根拠もない。「やるぞ」と言うけれど、どういう手順で仕事を進めるのか、考えているのだろうかと不安になる。
いつも楽天的で前向きなので一緒にいても楽しいが、何をどのように進めるかとなると緻密さに欠ける。仕事にかかる前から「ダメじゃーないか」と後ろ向きな人よりはいいけれど、無計画というのも困る。井戸掘りの日程でいくと、丁度、私の大腸の内視鏡検査の日と重なるので参加が出来ない。私に代わって誰かが調整役を引き受けてくれないと、現地に行っても「あれが足りない」「これが出来ていない」と、仕事とが進まなくなるようで不安だ。
やっぱり井戸掘りのマニュアルを作る必要がある。後の人に技術を伝えるためには絶対に必要だが、その前に私たち自身が整理するためにも必要だ。場当たり的に適当にやってきたが、それを整理しておくことが必要だ。その原本作りは私の役目のようだ。人にはそれぞれ持ち分のようなものがある。人の上に立つ人は、それぞれの人の持ち分を見分け、上手に使うことが出来る人でなければならない。