友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

花の命は短くて

2017年04月23日 17時35分40秒 | Weblog

 とうとうチューリップも終わりに近づいた。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」(林芙美子)と母はよく口にしていた。時には「苦しき」が「悲しき」となったり、「多かりき」が「多かれど」に変わったりしていた。高校の時だったかに調べてみたら、「花の命は短くて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」と『浮雲』にあった。

 母がどんな気持ちで口にしていたのか分からないが、花に自分を例えていたのだろう。輝くような時期はわずかしかなく、苦しくて悲しい思いばかりだったのかも知れない。母と父は当時としては珍しく恋愛結婚だった。しかも父は母よりも2歳年下の代用教員で、小説家を夢見る色白の痩せた青年だった。父の夢をかなえさせるために母は尽くしたと姉が話してくれた。小説家にはなれなかったが、今も私の手元に父がノートに書いた童話がある。

 父が職場の女性教師に恋していたと思われるノートもある。校長室の卓上に置かれた花を見て「貴女が活けてくれた」と賛美し、「運動場から貴女の美しい声が聞こえてくる」とある。ふたりがどうなったのか私は知らないが、父の浪漫を見るようでちょっと嬉しい。54歳で母が亡くなり、2年後に父も後を追った。完全無欠な夫婦はいないから、きっとあの世でも母が一方的に怒り、父は黙ってうなずいているのだろう。

 カミさんのゴルフ仲間が朝の練習を終えて、我が家のチューリップを見に来てくれた。「わあー、凄いわねえ」と言ってくれる。私がコーヒーの用意をしようとしたら、「もう、飲んできたからいいわよ」と言われるので、カメラのシャッター係りを担う。チューリップも咲き揃い始めて1週間が限度で、花の終わったものを切り取っているが、後4.5日もすれば全てを切り取ることになるだろう。

 サクラもチューリップも花の期間が短いのに、ランはずいぶん長く楽しませてくれる。写真のランは正月初めから咲き始め、昨日やっと全部の花が開花した。今年は花のもちがよい。「根気と愛情が無ければ花は咲かないわよ」とゴルフ仲間が言う。「随分お金がかかったんじゃ―ない」と心配してくれる人もいる。一瞬の幸せを求めるのは愚かなのかも知れない。でも、好きなのは仕方ないようだ。

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