昨日、雨の中を、私が初めて担任したクラスの「50年前の学生時代を共に過ごした級友の『今』をお伝えします」と題された、『同級生TIMES』No.9が郵便受けに入っていた。コロナ禍が始まった昨年5月に創刊され、今年の3月にはNo.8にまでなった。
担任だった時には気付かなかった、それぞれの個性を見ることが出来て読むのが楽しみだった。原稿を集め、編集して印刷し、配布する。印刷費も郵送費もかかるのに、「給付金の10万円が元手だから」と笑うが、なかなか出来ることではない。
「我々古希を迎える年に近づく中で改めて半世紀前の仲間と繋がるきっかけを貴方は与えてくれました。本当にありがとうございました。感謝しかありません」と、級友のひとりが書いていた。級友の指摘するように、「世話好きが高じて(新聞の)発行に至った」。
「貴方の道楽的な新聞作りに能動的に協力する人や、受動的に協力する人、それと完全に無視したりする人、他人は誰もが選択の自由があります。同級生だからといっても卒業して其々独立した人生を歩んでいるし、私的な個人情報を同級生に伝える義務もありません。なので各人の多様性を認めるしかありません」と厳しい。
それでも「ご苦労様でした。本当にありがとう!」と結んでいる。私も同感だ。卒業して50年も経ているのに、深い友情で繋がっていることが羨ましい。誰かが言っていたけど、「数字で人を評価してはいけない」っていうのは本当だ。それぞれがそれぞれの道を行く。彼らから教えられることばかりだ。