テレビを見ていたら、薄明りの中を青年のような中年の男が歩いてくるコマーシャルに出会った。リポビタンの新しいコマーシャルだったから、青年では無く中年であろう、夕方では無く朝焼けであろうと解釈して見た。
男は「がむしゃらに走ってもいい。上手に出来なくたっていい。時々立ち止まってもいい。だって僕らはそんなに強くない。それでも前に踏み出せる時がきっと来るから」と語る。木村拓哉さんの声だったが、顔まではハッキリ見えない。
何があっても、人生は前向きに生きていかなくちゃーと思う。けれど、人生の意味とか価値って何なのだろう。その時、何故か分からないが、随分前の石原慎太郎知事の発言を思い出した。「閉経してしまった女は子どもを産むことが無いから、生きている価値が無い」といった内容だった。
勃起しなくなった男も同じでないのかと思うが、石原慎太郎氏は「ババア」だけを取り上げて、「弊害」呼ばわりしていた。類を維持する、あるいは増やすことだけが、与えられた使命の生物は、生殖能力が無くなれば生命も終わる。生殖だけして死んでいくものもある。
けれども人間は、悲しいことなのか皮肉なことなのか、生殖と無縁な存在になっても生きている。松井久子さんの『疼くひと』を読むと、70歳の女性が心と共に肉体の結合を強く求めている。70歳の男性でそんなことの出来る人がいるだろうか。
木村拓哉さん風の男性は、「僕らは悩んで強くなる」と語る。中年にはまだ希望があるが、70歳や80歳の老人には何があるのだろう。大相撲の優勝戦で、白鵬が堂々たる相撲を取って優勝して欲しいと願いテレビを観ていたら、激しい相撲だったが優勝し、君が代を聞いていた時、涙が一筋流れるのを見た。