孫がもうすぐ9ケ月になる息子を連れてやって来た。彼女は月に1度、顔を出すようにしてくれている。「ヒマだから」と言うが、「ジジババの相手をしてあげなくては」と思っている。スマホやポイントの使い方が分からなくて困っているカミさんに手ほどきし、「パパちゃん、郵貯に小銭を持って行くと、手数料を取られることになったよ」と教えてくれる。
曾孫は来る度に成長しているのがよく分かる。先回来た時は余り食べなかった離乳食を、今日はペロリと全部食べた。何よりも好奇心に満ちた目でジッと見つめ、ニコリと笑ってくれるから、私の方が嬉しくなってしまう。するとそれが彼に伝わるのか、ケタケタと笑い返してくれる。赤子は純真そのものだ。
人は育っていくうちに、汚れていくのは学習の成果なのだが、育つことは罪なのだろうか。初めて地球に誕生した人間、アダムとイブは悪魔にそそのかされて禁断のリンゴを食べた。それから二人は好奇心を持ち、学習することになった。歓喜も苦悩も知ることになった。病気のような試練も受け入れ、乗り越えることもあれば死を迎えることもある。
東京の新型コロナ感染者は増え続ける中、IOCのバッハ会長は広島の平和公園を訪れ、献花し「オリンピックで平和を」とスピーチしている。原爆資料館は見てくれたのだろうか。見たなら、何を考えたのだろう。IOCが率先して反戦・反核運動を展開して欲しいと願う。曾孫たちが迎える世界は、戦争の無い世界であって欲しい。