コロナ禍で出来なかった「親族の集い」を、4年ぶりに開くことが出来た。甥夫婦2組、姪夫婦、私たち夫婦と長女一家、合計で11人が集まってくれた。妹夫婦はふたりとも膝が痛くて、昇り降りが出来ないので不参加すると返信のハガキが来た。
3年もブランクがあると、いろいろと変化もあった。上の甥のところは長男に子どもが生まれ、姪のところも長男に子どもが生まれたと言う。おめでたい話ばかりでなく、姪は胆嚢の手術を受けたとかで元気が無かった。
それでも久しぶりの「集い」に盛り上がった。なのに、会場の和食処の居酒屋は、注文した酒が無かったり、料理も売り切れで無かったりと散々だった。余りにも対応が悪かったので、下の甥が店員に対して、「どういう客対応をしているんだ」と怒鳴った。
慌てて私は収めようとしたが彼は、「ボランティアではないでしょう。金をもらっているのに全く出来ていない」と怒る。でも、日曜日の夕方に働いてくれる中年の女性はいない。それに名前を見ると、日本人では無いようだ。いきなり怒鳴っては可哀想だ。
下の甥のヨメが、「この店に決めた私が全て悪いのよ」となだめにかかる。すると長女のダンナが「来年は日間賀島でやりませんか?」と言ってくれる。上の甥のヨメも、「それはグッドアイデア」と言い、姪のダンナも「ぜひ、行きましょう」と応援してくれる。
甥たちはよくできたヨメをもらったものだ。姪も私の長女も、いいダンナに巡り合えた。人はどんな伴侶に巡り合えるかで、幸せにもなるし不幸にもなる。おそらく自分自身が「素敵な人」にならなければ、よい伴侶には巡り合うことは出来ないだろう。
料理や酒、それに接客に不満はあったが、店を出た時はなぜか、豊かな気持ちにさせられた。夕方、出かける直前は土砂降りだったのに、マンションを出た時には止んでいた。店を出ると、ポツポツと雨が落ちてきたが、すぐに止んでしまった。お天気も味方してくれた今年の「集い」だった。
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