イギリスで50万人の公務員のストライキがあり、学校は休校し大英博物館も休館となったニュースがあった。10%とに及ぶ記録的なインフレに、賃金アップを求めたストライキである。
フランスでも政府の年金改革案に反対し、100万人のストライキが行われた。労働者のストライキは沈静化にあったが、ここに至って我慢の限界を迎えたようだ。同じような状況にある日本だが、まだストライキの声は聴かない。
今日の中日新聞サンデー版を見たら、日本の労働者の組織率は低く、欧州のような産別の労使交渉は無いようだ。大企業で働く労働者には組合があるが、労使交渉で妥協してしまう。過酷な労働を強いられている労働者は組合も無い。
労働は細分化され、正規労働者は減らされ、パートのような非正規労働者が増えている。こんなに労働者を使用する側に有利な状況になっているのに、不満を抱いたとしても、それを変革するだけのパトスは見当たら無い。
私が高校の教員になったのは1967年(昭和42)だった。組合の先生が入会の手続きに回って来られ、教員になれば組合員になるのが当たり前とサインした。賃上げストもあり、参加するのは労働者として当然だと思ったが、不参加の教員がいることも知った。
ストに参加した教員と不参加の教員が不仲だとは感じなかった。人にはそれぞれに価値も生き方も違う。だからと言って非難し合うことは無いと思っていた。工業高校だったので、専科には助手が何人かいた。
彼らは組合には入れなかったので、私は30歳以下の教員と助手の親睦会「青年会」を立ち上げ、ハイキングなどを計画した。労働環境や賃金の改善につながると思ったが、何よりも若い人たちの結束を目指した。
日本の労働者がストライキを忘れてしまったのは、何をやっても無駄と諦めてしまったからなのか。もしそうなら、先輩である私たちに大きな責任があるのかも知れない。
この現実が労働組合運動の衰退を如実にあらわしている。