昨日は中学時代の話で盛り上がったが、どうしても引っかかる点があったので、帰宅してから中学校と小学校の卒業アルバムを引っ張り出してみた。私たちのクラスで成績がトップだったケイコさんが、好きだという男子生徒のことだ。
「野球部のイトウ君」とケイコさんは言ったという。中学校のアルバムを見ると、確かにイトウ君がいた。背が高く、筋肉質で、日本人には見えない、とても彫りの深い顔だ。陽焼けを苦にせず野球に夢中に打ち込んでいる姿が、ケイコさんのハートを射たのだろう。
彼と私は縁が深い。小学校の5年の時も同じクラスだった。前にも書いたが、5年生の初め頃、男子の多くでストライキをした。場所を移動する度に学校へ帰る者が出たが、私はみんなで決めたことだからと最後まで残った。
イトウ君も最後まで一緒だった。その後のことはよく分からなかったが、ある時、突然、彼は大阪に引っ越していった。彼の家は鉄工業で、スプリングを生産していた。私は彼の家に遊びに行き、工場も見せてもらった。
突然の引っ越しは彼がストライキ事件の首謀者と見なされ、学校に居られなくなったのかも知れない。リーダーの素質は確かにあったが、遊びの延長でしかなかったから、彼には責任は無い。あるとすれば、学級委員の私が責められるべきだった。
中学校に復帰してきたのに、私は全く知らずにいた。1クラスが55人もいるし、クラスは8つもあった。クラスが違うと顔を合わせることも無かった。ケイコさんは彼と同じクラスになったことがあったのだろうか。
小学校のアルバムを見ると、彼の姿は無い。同じクラスになったと思ったのは間違いだったのかと思いながら見ていたら、最後のページの準会員のところに名前があった。住所は大阪府となっていた。
高校の時だと思うが、彼に誘われて集会に参加したことがある。信者を伸ばしていた創価学会の青年部の集まりだった。10人くらいの青年が、入信の体験を熱心に語った。けれど、私の求めていたものでは無かった。
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