「過去に戻ってやり直したい?」と、聞かれたことがあるが、やり直したいと思ったことは無い。過去に戻ってもきっと、私は同じことを繰り返すだろう。私が歩いてきた道は、私が選択したもので、誰かから強制されたことは無い。
中学・高校の時代はとても楽しかった。正に青春そのものだった。1番のカケは高2の時、学校の校門の外で登校してくる生徒に、自分たちで作った「新聞」を配ったことだろう。私が新聞部の部長を務めていた時で、友だちが書いた「主張」が校長の逆鱗に触れた。
自由に発行できないのなら自分たちで「新聞」を出そうと、みんなから3百円集め、私が編集して町の印刷屋で刷ってもらった。校門の外で配れば、学校とは関係ないとの理屈だった。それでも「退学になるかも知れない」と、「金は出すが記事は書かない。配布もしない」と言う友だちもいた。
「俺たちがやった」ことにすると、私を含めた3人は覚悟したが、大事にはならなかった。私たちが大学に入った頃は、60年安保と70年安保の間で、ベトナム反戦デモに参加する程度だった。3人は共に大学の新聞部に入部し、将来は新聞記者にと約束していた。
けれど、2人は新聞部をやめてしまったが、私は2年間在籍した。先輩から全学連大会を取材してくるように言われ、1年生のふたりで出かけた。大会の受付で、「泊まるところはあるのか?」と聞かれ、全く考えていなかったので「ない」と答えると、男女がごちゃ寝している部屋に連れていかれた。
大学名と名前を書いたことから、教師になってもオルグが来るようになった。訳の分からないうちに、組合青年部の活動に引き込まれてしまった。強く拒否することが出来ずにズルズルと付き合ってしまい、鉄パイプで滅多打ちに遭った。
過去に戻ってもやり直す強い意志を、私は持つことは出来ないだろう。それが私なのだから仕方ない。悔いなど無いと言えばウソだろうが、後悔することも出来ないだろう。人には人の道があり、皆、それぞれに歩むしかない。台風11号の風がまだ吹いている。
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