森さんが東京五輪・パラリンピック大会の組織委員会の会長を辞任する。女性蔑視の発言をしたのだから、辞めて当然である。「辞めてすむ問題ではない」と言った人もいたが、まずは辞めるべきだろう。菅首相も辞めさせられない立場の人なら、自らが責任を取るべきだ。
日本はまだまだ未熟な国だった。民主主義は形だけになっていて、中身は熟していなかった。森さんの辞任を求める声が、女性からばかり上がるのも、マスコミが女性にばかり発言を求めるのも、よくない。男性から森発言を否定する声が上がらないと、体質が変わっていかない。
「男だから、女だからと言ってはいけないのよ」と、母親が小さな子から教えられたと新聞の投書欄にあった。母親は私の娘たちより若い団塊ジュニアだった。母親を教育してきたのは、戦後の教育を受けてきた私たちだ。男女平等は実現目標だったのに、言葉だけ中身が理解できていなかったようだ。
18歳の女性のこんな投書もあった。「私には航空宇宙関係の研究者になる夢があります。(略)だから妻が中心的に働き、夫は『主夫』として洗濯や料理などの家事をするという組み合わせが普及してほしい。(略)男性の『主夫』の選択肢がもっと一般的になることを望みます」。
家族は夫婦と子どもの形が定着してしまったが、この形も変わっていくのかも知れない。働き方が変わり、家族の形が変わり、社会の形も変わっていくのだろう。私が子どもの頃では想像も出来なかった社会になってきているのだから、きっとこれからも変わっていくだろう。
男女差別は、人種差別などとも同様にあってはならないことですが、しかし男女区別は未来永劫に必要な事だと思う。男の性、女の性をお互い尊重し、縦関係ではなく横関係で社会が育って行くことに期待したい。