岐南町の町長がテレビカメラの前で、怒ったり泣いたりしていた。町長が女性職員の頭や手や尻に触ったり、ハグしたりした行為はセクハラだと昨年、週刊文春に報じられた。見聞きした職員が多くいたし、された女性職員も我慢ならなかったのだろう。
第3者委員会が調査すると、セクハラだけではなく、「お前はクビだ」とか、育休予定の男性職員に「ボーナスは減るし、出世ゾーンから外れる」などと発言していた。町長は「ねぎらいや感謝のつもりだった」と弁明していたが、明らかにパワハラである。
町長という権力を手にして、奢りがあったとしか思えない。第3者委員会についても、「結論ありきで、中立性に欠いている」と批判していて、全く自分の立場が理解できていなかった。最後に涙を流していたけれど、悔しくて泣けてきたようだ。
愛知県の東郷町の町長も、同じような言動で問題になっていたが、時代が変わったこともあるけれど、ふたりとも権力者の奢りが見て取れる。どういう町にするのか、それを考えていたなら、セクハラやパワハラなど起こりようがないだろうに。
私はマンションの友だち家族で食事会を行っていた時、年上の女性から「肩が凝っているから揉んで」と頼まれた。子どもの頃、祖父があんましてもらっているところを見ていたので、軽い気持ちで揉んであげた。「気持ちいい」と喜んでもらった。
他にも女性がいたので、平等にと思って肩を揉んだ。今ならセクハラと言われそうだ。男女の関係は難しい。町長が女性職員に密かに恋心を抱いていたとしても、それを具体化することはセクハラであろう。心の中に留めて置く他ない。
吉本隆明の『対幻想』の前書きは次の文章で始まる。「恋愛は論じるものではなく、するものだ。とおなじように性にまつまる事柄は、論じられるまえに、されてしまっていることだ。またこれらをみな対幻想の領域として包括させるとすれば、それについて考察することは、それについて行動することよりも、いつも劣っているとみなされる唯一の人間的な領域だといえよう。」
全く今も、私には理解できない。
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