先輩のお姉さんはアメリカ西海岸のカリフォルニアの州都サクラメントに住んでいる。孫がセットしてくれたSNSでよく話をしていると言う。乾燥が続き、山火事が頻繁に起きていて、空が赤みがかった灰色になっているそうだ。灰が降ってきて息をするのも苦しいようだ。
西海岸は知事も市長も民主党なので、「トランプ大統領は援助もしない」とお姉さんは怒っていると言う。人の命に係わることなのに、なんというあさましさだろう。こんな人が大統領になるアメリカはどうかしていると思うが、人は倫理よりも利害を優先してしまうらしい。
昼の番組で評論家の一言にビックリした。でも、すぐ納得した。「政治家は政策で一致する訳ではない。好きか嫌いかですよ」。そんなバカなと思うけど、人間は昔から「好きか嫌いか」で一緒になったり離れたりしてきたように思う。
「あいつは好きだから力を貸してやってもいいが、こいつは嫌いだからいじめてやる」。そんなことで歴史は作られてきたのかも知れない。連合赤軍の少年の手記(新潮社)、ブンドの荒岱介著の『破天荒伝』(太田出版)、動労の松崎明を記した『暴君』(小学館)、内部告発の『革共同政治局の敗北』(白順社)、いずれも革命の幻影を追ったのだろうが、どれもこれも凄まじい「好き・嫌い」だったように思う。
人間はどうして好きになる人と嫌いになる人がいるのだろう。もし、嫌いという感情が生まれなければ、決して憎んだり殺したりはしないだろう。好きという感情だけではダメなのだろうか。聖書にも「憎んではならない」とあるし、釈迦も「自分を無にするように」と教えている。完璧に出来ないのであれば、少なくとも嫌いという感情を抑えることくらいは出来るようにしたいものだ。
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