朝、マンションのごみの集積所へ行った。「段ボールの方は目をつむるが、発砲スチロールは縛って出して」と管理事務所から指示されたからだ。発砲スチロールを見ると、大きなケースの中に小さなトレイがきれいに並べてある。小さなトレイも大きなケースも洗剤で洗ってあるようで、魚臭さも肉臭さもしない。
これのどこが悪かったのかと思いながら、蓋が外れて中のトレイが飛び出さないように縛れと解釈して縛っていると、友だちがやって来て、「中身のトレイをこちらの網の袋に入れておけと言うのではないのか」と言い出す。トレイを洗い、几帳面に整理してくれた本人だ。
そこへ管理事務所の所長さんがやってきた。「ご迷惑をおかけしました。どうすればいいでしょう」と謝ると、「何もせずに、そのままでいいですよ。後はこちらでやりますから」と言われる。私たちは恐縮し、「よろしくお願いします」と頭を下げる。「分別していないゴミの処理は困るけれど、中身を洗い、分けてあるから後は業者が持って行くだけ」と説明される。
市の夏祭りに貢献しているつもりだったが、マンションの人には「よそのゴミを持ち込まないで」と思われている。大きな発泡スチロールのケースを何本も収容する場所はない。ゴミの集積所に乱雑に放り込んだ訳ではなく、きちんと並べて置いた。「ご苦労様でしたね」と言われてもよさそうなのに、寛容に受け入れてはもらえない。
看護師になった孫娘がカミさんと話していた。「日勤の時はそう思わなかったけれど、夜勤や遅番、早番が続くと、アっという間に時間が過ぎちゃう」と言う。若い時は自分の仕事で精一杯だ。カミさんの弟は町内会の副会長なので、地域の盆踊りの「準備や後片付けに追われた」と言っていた。「会長さんは公園の整備に関心がないので、結局ひとりで全部背負い込むことになった」そうだ。
「若い人たちがもう少し地域に関心を持ってくれるといいんだが」とぼやく。若い時は自分のことで精一杯なのだから、「公園で夏祭りがあったと記憶に残してもらえばいいのでは」と私は言う。誰かがやっていれば、そのうち若い人も年老いて、「自分たちもやろう」という気になってくれるだろう。