友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は雪景色

2008年02月09日 19時52分28秒 | Weblog
 今日は雪でした。久しぶりに朝からコンコンと雪が降りました。風がないので、本当に静かに舞い降りるような雪でした。友だちが「雪が降っているけれど、そちらはどう」とメールをくれました。かなり広い範囲で雪は降っているようです。以前なら、考えられないことですが、今はメールでやり取りできます。私もこちらの雪景色をメールで送ってみました。

 ブログにも雪景色を何枚か掲載しようと思うのですが、どうしてよいのかわかりません。手引書を読んでもそのキーが見つからないのです。本当にパソコンの扱いには手を焼きます。私にとっては、親しい人たちと直接しかも瞬時にやり取りができることがパソコンの魅力です。友だちのブログは、今彼が何をしているのか、何を考えているのかがよくわかるので、欠かさずに読んでいます。

 その彼のブログに、彼が大事に思っている女性の写真が一度掲載されたことがあります。わたしは直接、彼女を知らないので、掲載された写真が彼女かどうかは判断できませんが、記載された記事は彼女の生まれ故郷のことなので、多分そうだろうと思っています。長い黒髪がきれいな人でした。でも2度目に開いた時にはもう削除されていました。

 その時、私にいたずら心が湧いてきました。12年間も付き合ってきながら、ずーと「友だち以上恋人未満」であったという彼に「ねえ、それって本当にそうなの?」という冷やかしのつもりだったのです。それからもう一人の友だちにも同じ質問をしてみようと思ったのです。私は二人に「女の人から『抱いて欲しい』と言われたら、あなたならどうしますか?」とメールで尋ねました。彼はきっぱりと「できないと話します」との答えが戻ってきました。全く予想通りだったので、何の面白みもありません。

 もう一人の友だちは「それは二人のこと。どうするかは二人が決めることです。私は女の人の気持ちを真っ向から否定するような野暮な人間ではありません。まあ、とことん地獄の底まで行くつもりです」と、正反対の答えです。私ならばどうするだろうか、とても12年間も付き合ってきて、「友だち以上恋人未満」であり続けられるだけの精神の清さはありません。どちらか言えば、後者の友だちと同じかなと思いました。

 雪が雨に変わり、道がぬかるんできています。雪は確かにキレイだけれど、その後はみっともないくらいに泥だらけです。それでもまた、日が差し、やがて春へと変わっていきます。雪景色が一時の夢なら、夢を追う人もいるはずです。それにしても、彼はなぜ自分のブログに「友だち以上恋人未満」の彼女の写真を載せたのだろう。そしてまた、なぜ削除してしまったのだろう。明日の朝、雪は凍り付いているのだろうか。
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45年の歳月

2008年02月08日 22時43分41秒 | Weblog
 昨日、会議から帰ると留守電が入っていた。聞き覚えのない声だ。誰が何しにかけてきたのだろうかと思いながら、電話してみた。声を聞いたがわからなかった。「あれ?誰でしたっけ?」と親しみを込めて聞きなおした。中学高校の友だちだった。先日、故郷の町に「集まって、飲んだんだって?」と聞くから、「アアそうだよ」と言う。そんな取り止めの無い話だったが、そんなことで電話をかけてくるとは思わなかったから、「それで、どうした?」と聞くと、「カネを貸してくれ。今から言う番号に振り込んで欲しい」と言う。

 「わかった。すぐやる」。そう言って切った。先回のクラス会の時も、わざわざ電話をかけてきて、「欠席させてくれ」と言う。話していてすぐお金が無いとわかった。「もうもらったといっておくから出席すればいいよ」と話したから、再びお金の無心はあると思っていた。カミさんが聞いたら怒るだろうが、私は私ができる範囲なら用立ててやろうと思っている。これまでもいろんな人がお金を借りに来たが、借りに来た人でまともに返してきた人は一人もいない。人からお金を借りるような人は大方まともではないのだ。

 昔、私が子どもの頃、裁縫教室を開いていた母のもとに、全く知らない人がお金を貸して欲しいと言ってきたことがあった。教室の生徒だった女性たちは「お金を貸しても戻ってはこないから、絶対にダメだ」と言っていたが、母はいつもお金がないと言っていたのに、その無いお金の中からいくらかを見ず知らずの人に渡していた。その頃は、母はヘンな人だと思っていたが、自分がその立場になると、返ってこないことを承知で工面してやろうとしている。

 卒業生の子が「保証人になってくれ」と言った時はハッキリ断った。あの時、彼が「百万円でもいいから貸してくれ」と言ってきていたなら、用立てたかもしれない。けれども、保証人になって欲しいというので断った。保証人はその時は現金を出さなくて済むかもしれないが、いくらの金額に膨れ上がるかわからない怖さが潜んでいる。私だけでなく、家族までも巻き込みたくは無かった。それは私の兄で経験済みだった。その悲惨なことは自分が身を持って体験した。だから決して保証人にはならないと決めていた。

 こんな歳になって、まだそうやって、人から人へ借金をして暮らさなくてはならない同級生がいる。私が普通に生活できているのは、カミさんに支えられているからで、私がひとりで生きてきたなら、きっと彼のような惨めな人生の終末を迎えていたかもしれない。人生いろいろなどというけれど、同じ中学高校を卒業しても、あれからの45年の歳月は、大きく人を変えてしまった。

 私は今日、とびっきり素敵な人生もあれば苦しい人生もあると思った。二つは別々に存在するのではなく裏表でもあると。
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止めることはできない

2008年02月07日 21時59分56秒 | Weblog
 NPO法人をどんな形にするか、いろいろ議論した後、世間話になった。もう70歳に手が届くようになったかつての猛烈社員たちも近頃ではグチが多い。「どうもこの頃、物忘れが多くなって困ったものだ」「いや、そんなことは誰でも同じですよ」「そろそろアルツハイマーですかね」「アルツハイマーに効く薬があるそうですね」「アルツハイマーかどうかを診断できる医者がいないから、結局アルツハイマーと診断された時は手遅れなんですよ」「それじゃー薬では治らんわけですか」「進行を遅くすることはできるみたいですね」。

 その時、友人が「猫も象も、死がやってくれば、見られないところへ行って死ぬわけですよ。人間もそんな遺伝子があるから、死を受け入れることが出来るんじゃないですか。もし、いつまでも正常な神経のままなら、死を恐れて発狂してしまうんじゃーないかな。だんだん、ボケてくることも自然の摂理としては大切なことじゃーないか」と言う。老いていくことは自然なことで、そう受け止めて生きていくことだというのだ。

 私もそう思っている。今朝のNHK連続テレビ小説『ちりとてちん』を思い出した。師匠が病で倒れ、病院に担ぎ込まれる。主人公が師匠のベッドの脇で「私を置いて逝かんでください」と泣きながら言う。すると、師匠は「ほんまに馬鹿やちゃな。それじゃーお前は私よりも先に死ぬというのか。順番じゃ。順番だからいいんじゃ」。そんなことを言っていた。

 アルツハイマーを止めることも、肉体の老化を覆すことも、ましてや時間を取り戻すことも、人間にはできないし、すべきではない。あるがままを受け入れていくことが私は一番大事だと思っている。私も含めて、戦争を知らない世代が圧倒的になってきた。国会中継を見ていても、若い政治家が多い。そんな若い世代の人たちは戦争の悲惨さも知らないし、権力に抗したデモだって行ったことも無ければ見たこともない。どんなに戦争の悲惨さを強調したところで、実感としては受け止められない。社会的な抗議行動は跳ね上がりとしか受け止められない。

 武力で国が守れるのか、兵器が平和をもたらすのか、若い世代の人々はきっと理屈で現実を考えてくれるだろう。私はそう期待している。科学技術の発展は確かに人々に豊かさをもたらした。けれども豊かさと同時に地球の破滅も芽生えさせた。人は殺し合ってはならない。人は人を憎んだりせずに、愛し合うことの方がいい。ささやかに生き、静かにこの世を去る方がいい。若い世代に残せる死に方をしなくてはならないと思う。
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アメリカ大統領予備選挙

2008年02月06日 22時23分04秒 | Weblog
 ヒラリー・クリントンが大苦戦だ。オバマ候補が名乗りを上げなかったなら、民主党の大統領候補のイスは確実に彼女のものであったはずだ。二人をテレビで見ていると、やはりオバマ氏の方がなぜか堂々と見える。ヒラリーさんの伝記を読んだ私は、彼女が大統領になったなら、アメリカは大きく変わるだろうと思っていた。しかし、以前にも書いたが、ヒラリーさんの主張は二転三転と変る。これは絶対に支持者に受けないなと思ったが、結果はそのとおりになった。

 オバマ氏がどのような考え方の持ち主か私はよく知らないが、二人の演説を聞く限りでは、「この国を決めるのはあなただ」「あなたがアメリカの政治を変えるのです」「新しい国を一緒につくるチャンスです」と、ほとんど同じようなことを言っている。主権は国民にあり、国民が国政をリードするという、民主主義なら当たり前のことを二人は主張している。イラク政策について、オバマ氏はアメリカ軍の撤退を明確に主張するが、ヒラリーさんはあいまいだ。

 共和党が70歳のマケイン上院議員を大統領候補に選ぶなら、民主党としては60歳のヒラリーさんよりも46歳のオバマ氏の方が選挙戦では有利であろう。1年近くかけて予備選挙を行い、民主・共和の両党の候補者が出揃ったところで、この他の党の大統領候補も加わり選挙戦となるが、結局は民主・共和以外から大統領になることは至難の業なのだ。予備選挙を見ていても、ものすごくお金がかかることがわかる。人手も物資も紙も想像以上に必要だろう。だからカンパを呼びかけ、何十億のお金が集められるのだろうけれど、お金が動くということは、お金を出してくださった人のために働くことになるから、それが本当に「国民主権」となるのか、疑わしい。

 このまま、ヒラリーさんとオバマ氏との間が僅差のままで、ヒラリーさんが上回っているなら、オバマ氏を副大統領に指名して、大統領選挙に臨むべきだろう。もし、オバマ氏が彼女を上回るのであれば、副大統領など受けずに、オバマ候補のために全力で大統領選挙を戦うべきだと私は思う。

 アメリカの大統領候補者選びも関心はあるが、私の友だちのことも気になっている。それはまた、明日にしようと思う。
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これからの人とこれまでの人

2008年02月05日 22時26分12秒 | Weblog
 2月1日から、カミさんは頼まれて働き出した。1日目は顔合わせ程度だったと思うけれど、「こりゃー大変だわ」と言って帰ってきた。2日目の昨日は、夕食にビールを飲んで、そのまま眠り込んでしまった。3日目の今日はちょっと落ち着いたのは、昨夜と同じく一人でビールを飲んだが、今のところまだ起きていて、明日の仕事の準備をしている。

 カミさんが仕事をするようになって、家事は私の仕事となった。実は私が教員を辞めた時も、「主夫をやるから」としばらく家事にいそしんだことがある。家事労働をやってみてわかったことは、「報われない」ことだ。どんなに掃除をしてきれいにしても、どんなに美味しいものができても、家人にとっては当たり前のことだから、わざわざ「きれいにしたわね」とも「美味しいわね」とも言わない。家事労働は苦労の割には評価されない労働だと思った。

 家の中にいて、掃除や洗濯や料理や、そうしたことがいやだとは思わなかったし、午後の空いた時間に本が読めることや庭造りも楽しかった。けれども、そのうちに「何かが足りない」と痛切に感じるようになった。新聞やテレビを見ていて、社会の動きはわかるのに、自分は社会に存在していない。社会から切り離されて生きることはこんなにもつらいことなのか、そう思った。社会の中で、良いにしろ悪いにしろ、自分が評価されることは、自分が生きている証拠なのだとわかった。

 孫娘をプールに送り届け、家に戻り夕食の準備をする。孫娘と私たちの食事を用意して、孫娘の分を弁当に詰め、プールに迎えに行き、駐車場で弁当を食べさせて今度は学習塾に送る。それから家に戻って、夕食である。10時に孫娘を迎えに行かなくてはならないから、私はお酒を飲まない。「悪いわね」と言いながらも「飲んじゃおう」と、カミさんは一人でビールを飲む。遅れて帰ってきた長女は「今夜は夜勤で、すぐに出かけるから」とご飯は食べずにおかずだけを食べ、残りを夜食用に持っていく。

 孫娘は学力検定試験があるというので、昨夜は12時近くまで起きていたのに今朝は5時に起床して勉強していた。「睡眠不足だと大きくなれないよ」と言うと「大きくなれなくても、成績がいい方がいいもん」と答える。とても私が及ぶところではない。私はささやかであっても満ち足りたものが欲しい。これからの人とこれまでの人の違いは大きいなと思う。日常は容赦なく過ぎていく。
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節分の太巻き寿司

2008年02月04日 22時26分46秒 | Weblog
 昨日は節分、そして今日は立春です。東京など関東以北は大雪で、今年は寒さが厳しいようですが、この地方はそんなに寒いとは感じません。でもまだまだ寒さは続くでしょうから、油断はできません。それにしてもやはり暖かに冬になってしまったように思います。

 子どもの頃は暖房設備も無かったし、着ているものも粗末だったから、格別に寒さが身にしみたのかもしれません。とにかく冬は北風が吹き荒れ、空気が肌を刺すというか、耳なんか千切れそうに思ったものです。手足はしもやけとあかぎれで可愛そうな子どもが多かったように思います。それでも手袋をしていた記憶がありません。

 我が家も節分にはいつの間にか、寿司の太巻きを食べるようになりました。バレンタインのチョコ、クリスマスのケーキ、ひな祭りのちらし寿司、端午の節句のちまき、月見の団子というように、年中行事の1つになってしまいました。昨年から、既製品の太巻きではなく、自分たちで思い思いに作った太巻きを食べることにしました。

 孫娘が「太巻きを食べる時は、心の中でお願いごとをして、食べ終わるまで何もしゃべってはいけないのよ」と言います。そんな決まりもいつの間にかできてきたようです。しかし、太巻きを1本食べるには結構時間がかかるので、ただひたすらモグモグと食べる姿を見ていたら思わず噴出しそうになってしまいました。

 豆まきも行いましたが、孫娘は「63個も食べられていいなあー」と言いますが、歳の数だけ食べるのはちょっとしんどいので、63歳だから6たす3の9個にしてもらいました。豆まきも後片付けが大変だから、一人豆は2個と決め、庭に向かって「福は内」で1回投げ、家の中でもう一度「福は内」と豆を投げつけるだけにしました。勝手な解釈ですが、まあ神様もお許しくださるだろうと願っています。
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仏教はものの見方を変える

2008年02月03日 19時08分09秒 | Weblog
 このところパソコンが随分重くなった。パソコンの知識に欠ける私には原因はよくわからないが、こんな風に遅くなってきて、1台目を放棄したのではなかったかと思い出した。いやな予感である。

 昨日は大和塾の第7回市民講座『いのちの讃歌』だった。塾生も含めて117人と盛況だった。40人から50人も集まっていただければ成功だと思っていたので、うれしい悲鳴だった。イスが足りなくて別のところから借りてきたが、最後にはとうとう塾生の一人が立ったままでいなくてはならないほどだった。

 金美齢さんの講演会を行った時、講座の連絡が欲しい人に住所を書いてもらった。今回はその人たちに封書で案内のチラシを送ったことが参加者を増やすことになったようだ。講師がお寺のお坊さんでしかもシャンソンを歌うというユニークさも興味を引いたのかもしれない。

 今回の講師を引き受けてくださったのは、一宮市三井の観音寺の住職、中野見夫さんだ。大学生の時に60年安保を迎え、教員になってからは管理主義教育を批判する反骨の人でもあったようだ。3歳の長男を水死させてしまったことから、「いのち」と向き合うことになったと話す。「この世は諸行無常だからこそ、今ある命を大切にしなくてはならない」。「いのちと平和を守る」ことが私たちの使命だと説く。

 面白おかしく、「1個の卵子に対して3億もの精子が競い合い、その中のわずか1個だけが卵子にたどり着いて、受精する。あなたもあなたもそうして生まれてきたんですよね」と話す。だから、選ばれた命なのだから大切にしなくてはいけない。20歳から39歳までの死因のトップが自殺であり、10代では第2位にまでなっていると指摘する。

 仏教ではそれぞれのいのちに輝きがあると考える。また、仏教は現世利益には何も役立たない。仏教はものの見方を変える「ちから」になる。「みんながやるから、私もやるということを仏教は教えていない。自分で考え、自分で生きる意味を見つける、それが仏教の生き方だ」と説く。

 シャンソンは、「マイクが悪いのでうまく歌えない」と言いながらも、周りの人の評価は高かった。さすがに毎日お経を読み上げる人は声がいいなとうらやましく思った。

 今日は『歌とリュートによる音楽会』で、フランスの中世時代に流行ったという歌を聞いたが、細く澄んだ声はとても美しかった。中世の頃の歌が今日まで残っていることにも驚いた。日本にも伝承歌はあるんだろうか、それはどんな歌なのだろう。フランスではシャンソンが大衆に根強く支持されているが、シャンソンとこの中世の伝承歌はどうつながるのだろうか。
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夫婦の日

2008年02月02日 18時54分31秒 | Weblog
 2月2日は「夫婦の日」というらしい。誰が考えたのか、日本人は言葉遊びが好きだ。確か、11月22日は「よい夫婦の日」だったような気がする。そんなことを思っていたら、今日の中日新聞の『中日春秋』に、私が思っていたことが書いてあった。その後半で「夫婦喧嘩は体にはいいようである」とあり、次のように述べていた。

 「米ミシガン大のチームが、ミシガン州内の192組の夫婦を17年間調査した結果、お互いに不当な文句を言われても反論せず我慢してしまう夫婦の死亡率は25%に達したのに、片方もしくは両方が反論して問題解決しようとする夫婦のそれは、12.3%にとどまったのだという。ストレスをためず、言いたいことを言い合う方が健康ということだが、肝要なのは、一緒に問題解決しようという姿勢だそうだ。」

 どのように調査をしたのかわからないので、いろいろ疑問もあるが、結論である「一緒に問題解決しようという姿勢」には納得できる。我が家は余り夫婦喧嘩はしない。しないというよりもできないといった方が当たっていると思う。私はカミさんにお願いすることはあっても文句を言うことはない。カミさんから「不当な(と私は感じるけれど、カミさんは正当と思っている)文句を言われても反論しない」のは、反論が決して問題解決にならないと思うからだ。

 ことの発端はカミさんのご機嫌を損ねるようなことをした私にあるのだから、反論などせずに我慢した方が問題の解決になるからだ。そんなことを書くとまた、カミさんから「家のことは書かないで」とお叱りを受けそうだが、私たち夫婦は他人から見ればうらやましいくらいに仲のよい夫婦であるし、私たち自身もごく普通に仲良くやっている。仲良くやっていても、すれ違いは起こるし、埋まらないところはある。夫婦は決して完璧ではないから、「一緒に問題解決しようという姿勢」が必要なのだろう。

 私たち夫婦は他の3家族と1ヶ月に1度は集まって会食するが、その1組の夫婦の「奥さん」は、「ダンナはかけがえの無い人。子どもは命。」と断言される。女の人というのはやはり自分が十月十日間お腹を痛めた子どもというのは特別な存在のようだ。確かに自分の分身という気持ちが強いのかもしれないが、そうなると男はなかなかそこまでの気持ちがもてないように思うのは私だけなのかな。「かけがえ」は代わりの意味だが、もともとは用心に備えておく同種のもののことだから、その時、茶々が入ったように、「男は生活費を運んでくるためには必要なもの」に過ぎないのだろうか。

 そんなことを言いながらも夫婦は、年を重ねていく毎に似通っていく。早く死のうが遅く死のうが、そんなことはどうでもいい。喧嘩してもしなくても、それも実はどうでもいい。夫婦は血のつながりの無い他人が一緒に暮らしているのだ。我慢と妥協となによりもいとおしい気持ちが必要だ。
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JTBの「旅物語」

2008年02月01日 21時34分54秒 | Weblog
 JTBの「旅物語」で「たっぷり別府・湯布院・黒川温泉2泊3日」に出かけた。参加費用は一人29800円とお値打ちである。飛行機の往復だけでもそれくらいの費用がかかるのに、どうしてそんな旅行ができるのかと興味深かった。答えは誠に簡単だった。

 タイトルだけを見ると「たっぷり別府・湯布院・黒川温泉2泊3日」だから、温泉三昧のデラックス旅行のように思ってしまうが、それは私たちが勝手にそう思ったということだった。1泊目の別府は温泉旅館というよりもビジネスホテルだった。2泊目の阿蘇の内牧温泉郷のホテルは夏にはテニスや水泳が楽しめるリゾートホテルのようだが、テニスコートは荒れていて駐車場になっていた。

 落ち目のホテルと安い料金で契約し、このような値段がはじき出せたのだろう。私同様にJTBだから安いといってもそれほどではないだろうと思って参加した人たちが多かったようだ。「あれじゃーね」と陰口を言いながらも「値段が値段だから」と自ら納得させていた。コースはよかったし、宿泊施設さえ良ければ、そんなに文句の出るようなプランではないように思う。

 ただタイトルの「たっぷり」の意味は、朝の始発から夜の最終までの3日間フルという意味だったのかと旅を終えて気がついた。何しろ、朝5時に家を出て、夜11時半に家に戻る、文字通りの「たっぷり」旅行だった。安い旅行ができたと思っていたカミさんは、私が最後の福岡空港での夜食で1人5千円遣ったことや日頃は土産など買ったことがない私がアレコレと買い求めたために、すこぶる不機嫌となってしまった。人の価値観というものはなかなか計れない。非難に甘んじるしかなかった。

 私がこの旅行で一番気になったのは、JTBの経営の姿勢だった。福岡空港に到着し、ツアーの集合場所にそれぞれが集まっていく。近畿ツーリストもあれば、阪急もあり、日本旅行もある。名鉄観光はセントレアから添乗員が同行していた。私たちのJTBが一番参加人数が多いようだった。「本日は44人の皆さんに来ていただいた」とガイドさんは話していた。

 どこのツアーもそれぞれ参加者の点呼をしていたのに、私たちの添乗員は短く挨拶した後、「それでは参りましょう」と言い、バスへと案内していった。それなのにバスはいっこうに発車しない。添乗員はハアハアいいながらバスとターミナルを往復している。「まだ、来ない人がいます」とバスの運転手がマイクで説明した。30分ほどして40代の女性客が二人、「第3ターミナルって‥」などと話しながら「ごめんなさい」の一言もなく乗り込んできた。それでもまだ、バスは出ない。1時間近くも待った。結局キャンセルが4人あったとわかった。

 添乗員は「私のミスで皆様にご迷惑をかけ、誠に申し訳ありません」と謝った。ブツブツ言っている人はいたが、添乗員に食って掛かる人は一人もいなかった。参加者はほとんどが定年退職した夫婦か女友だちといった様子だった。私は添乗員に「あなたの名刺をください」と言った。彼は「私はJTBの人間じゃーないですよ」と言う。「ええ、でも名刺はお持ちですよね」と重ねて尋ね、名刺を受け取った。添乗員も下請けに出していたのだ。彼はこの件をどのように報告しているのだろう。JTBはこれをどのように教訓化しているのだろう。このことが私は一番気になった。
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