友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

絵本に挑んでいます

2012年09月20日 22時12分44秒 | Weblog

 「絵本の募集があるので、描いてみませんか」と言われて、久し振りに絵筆を持つことになった。何年か前に、子どもたちに絵本の読み聞かせをしていて、絵本も結構面白いなと思った。絵本を描くというよりも、「書く」方に興味が湧いて、サンタクロースに関する童話を書いたが、あれから何をすることなく過ごしてきてしまった。やってみようかと思ったが、いざ文章を読んで場面を思い浮かべ、下書きを描いてみるけれど筆は進まない。

 絵を描くことから随分遠ざかっていたから、やっぱりスムーズに鉛筆が動かない。ああでもない、こうでもないと、何日間かやっているとちょっと気分が乗ってきた。人から声をかけられたりして中断すると、やはり集中力が途切れるので、まずは簡単に出来ることから初めて、緊張感を高めていく。昨日の夕方、訪ねて来た友だちが描きかけの作品を見つけて、「なかなかうまいもんだね」と褒めてくれた。「昔は教えていたんですから」と答えると、「ああ、そうでしたね」と恐縮していた。

 この歳になっても褒められるのは嬉しいことで、そうか、もう少し頑張ろうという気になるから不思議だ。それでカミさんには出来るだけ家にいないようにしてもらい、せっせと絵筆を動かすことに集中する。すると、こんな時に限ってカミさんに電話が入る。アメリカに住むカミさんの大学時代の友人からで、写真を送ってもらったことへのお礼だった。写真を送ったのはカミさんではなく友人だったのだが、その送り主に電話をしてもつながらなかったからと言う。

 彼女には随分お世話になった。長女は学生の時に1週間ほど、彼女の紹介でホームステイしたことがある。私はお礼に、千代紙と何冊かの折り紙を解説した本を送った。彼女はそれを見て研究し、折り紙の先生になったし、アメリカで本まで出している。彼女が我が家に来た時に初めて、生い立ちやなぜアメリカに行ったのかという話を聞いた。電話で話していたら、今月末からマサセッツ州の娘さんのところに行くと言う。娘さん夫婦が買ったという家の写真を見せてもらったけれど、家の周りは林で鹿が写っていた。自然のままにしておくのが州の規則だとも言っていた。

 彼女の話では、今年はひどい乾燥が続き、山火事が絶えないそうだ。山火事の後で雨が降ると、濁流が押し寄せて来て家が流されるところもあると言う。彼女のアメリカでの生活は傍目で見ると幸せそうに見えたけれど、苦難の連続だったのかも知れない。私が彼女を見たのは大学1年の時だった。友だちがいた学生寮に行った時に、初めて出会った。出会ったといってもそれはただ遠くから眺めたに過ぎなかった。大人の女の人がいると思ったが、後から聞いたけれど、彼女は年上だった。まるでフランス映画に出てくるような大人の女の雰囲気があった。

 そんな昔のことを思い出しながら、再び絵筆を握るがやはりなかなか進まない。今月末が応募の締め切りである。何とかそれまでに完成させなくてはと思って励んでいる。

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夫婦って難しい

2012年09月19日 18時56分40秒 | Weblog

 「やっぱり、お休みだったでしょう」。素敵なお店があるからというので、出かけたが定休日だった。「この道で間違いない」と車を走らせたけれど、一向に目的地に辿り着かない。「尖閣諸島は台湾の東にある。石垣島のすぐ西だろう。えっ、違う。それは先島諸島のことだって。そうか、尖閣諸島は石垣島の北か」。

 そんなたわいのない会話だったが、その時、彼のカミさんは「いつもそうなの。この人は間違ってても絶対に謝らないんだから」とクギを打ち込む。自分では定休日ではないと思っていたからであり、道だって間違っているとは思っていなかった。尖閣諸島の位置なんか、抗議をしている中国の学生だってよく知らないし、日本の政治家だった正確に答えらない人はいるだろう。

 思い込みとか記憶間違いとか、みんなあるはずだ。そんなに鬼の首を捕まえたように、ぐいぐい締めなくてもいいだろう。彼は黙って頭をかいていた。もちろん、「間違ってしまった。ごめん」という気持ちはある。確かにカミさんが指摘するように、「男が廃る」という意識が働いて、素直に謝れないのかも知れない。男たるものと言う時代に生きてきたのだから、大目に見て欲しい。

 夫婦は長年一緒に暮らしてきたのだから、何もかも分かり合えているかといえば、そういうわけでもないし、ましてや相手の欠点を許し合っているかとなると答えは暗い。夫婦は似たもの同士の場合もあるが、だいたい性格も趣味も好きなものも違うことが多い。「だからこそ、うまくやっていけるのさ」と先輩は言うが、そんなものかも知れないと思う。

 夫婦ふたりだけの家でトイレットペーパーの使い方でケンカになったところもある。ペーパーの減り方が早いとカミさんはダンナに使い方を問いただした。ダンナの方は正直に長々と引っ張り出したペーパーを半分に折り、それをまた半分に折りと繰り返して使うと答えた。すると、彼のカミさんは「どうしてそんなに長く引っ張るの。もっと短く使って」と言う。そんなことまで言われたのでは、息も詰まってくる。

 「たまには何もかも忘れて、どこかへ行ってしまいたくなる」時があるそうだ。毎日、食事をつくり、掃除や洗濯をして、夫と子どもたちの世話を繰り返す。夫も子どもたちもそれを当たり前のように思っている。「ちょっと手伝って」と言えば手伝うけれど、言わなければ知らん顔だ。そんな馬鹿なことってあるの。どうして私ばかりが何もかも抱え込まなくてはならないの。「1週間でいいから蒸発してしまいたい」。

 カミさんも孤独だけれど、ダンナの方も孤独だ。謝ることも出来ず、そうかと言ってカミさんの思いを汲み上げることも出来ず、どうしようもなく一日を過ごしていく。「人生はそんなことの繰り返しだよ」と先輩は教えてくれるが‥。

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敵意をむき出しにしてどうするの?

2012年09月18日 19時21分06秒 | Weblog

 台風が過ぎれば、爽やかな秋晴れがやってくるはずなのに、荒れ模様の天気が続いている。友達夫婦が鳳来寺にある四谷千枚田を見に行こうというので、お天気を気にしながら出かけた。ところが雨に降られることもなく、見事な棚田を見ることが出来た。既に稲刈りが済んでいるところもあり、黄金色の棚田とは言えなかったのが少し残念だった。畦にはヒガンバナが咲き、その光景も見事と言われていたけれど、ちょっと早すぎた。今週末にはきっとたくさんのヒガンバナを見られるだろう。

 寒狭川沿いの川魚料理の店で、アユの塩焼き定職を食べた。客は誰もいなかった。「アユを食べたいのですが」と頼むと、「はい、出来ますよ」と言うけれど、「刺身に出来るアユは1尾しかいない」と言うので、それを刺身にしてもらって4人で食べた。店のご主人は気難しそうな人だったけれど、「千枚田のヒガンバナはまだ咲いていなかった」と話すと、店を出てすぐの道路沿いに少しだけれど群生があると教えてくれた。食事の後、その群生を見に行こうと歩いていくと、後からご主人がわざわざ追いかけてきてくれて、話をしてくれた。

 気さくに声をかければ、相手も答えてくれる。しかし、敵意に満ちて接すれば、相手も敵意をむき出しにしてくる。中国の主要都市で、若者たちが激しく反日デモを展開している。今日、9月18日は満州に駐留していた関東軍が満州鉄道を爆破し、これを中国側が行なったとして、いっきに満州を支配した日である。中国の人々からすれば、外国軍隊が我がもの顔で支配していくことは、屈辱以外のなにものでもないだろう。この半年後の1932年3月、日本は満州国を独立させ属国にしてしまう。

 日本が鎖国を解いて、外国を受け入れた時、既に欧米の列強は植民地支配に乗り出していた。明治新政府は、列強諸国に負けない国家の建設を「富国強兵」のスローガンの下に急いだ。最も警戒した国家はロシアだった。欧米諸国は日本からは遠いが、ロシアは隣国である。ロシアの南下政策に対抗するために、1910年(明治43年)には韓国を合併し、続いてシベリア鉄道に対抗して満州鉄道を敷設する権利を中国に認めさせる。こうして満州に莫大なお金を投入し、「日本の生命線」を築いて行った。

 中国は人口の大きさから、欧米諸国にとっては莫大な市場であった。日本も各国にならって中国への進出を行なった。今、軍隊こそ中国に派遣していないけれど、各国の企業が中国に工場や商店や窓口を設けている。領土の小競り合いは、中国に進出した企業への攻撃になってきた。投資家はお金が儲かるなら、どこにでも投資する。危なくなれば、愛国心を煽って権益を守ろうとするが、実際の投資家は愛国心よりもお金に信頼と愛着を抱いている。投資家の手のひらで踊り、争い、死ぬのは普通の国民である。

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今日は「敬老の日」

2012年09月17日 19時44分11秒 | Weblog

 今日は「敬老の日」。総務省の発表では、65歳以上の人は3千74万人で、総人口に占める割合は24.1%となり過去最高となった。75歳以上が1千5百万人を越えたのも初めてという。それでも、昨年度働いていた65歳以上の人は544万人で、就業率は男性が27.6%、女性が13.1%、65歳から69歳までに限ると男性は46.2%、女性が26.9%だという。定年退職してもなお、働き続けていることを喜ぶべきか悲しむべきか、微妙なところだ。

 私の友だちもまだ多くが働き続けている。定年を過ぎても働く場所があり、収入があることは羨ましい。そうかと思えば、年金でつつましく生活し、自分の趣味を楽しんでいる人もいる。会社務めの人は厚生年金と社内年金とで比較的豊かな生活を送っているけれど、国民年金の人は蓄えた貯金を切り崩して補っている。株や投資信託やらで収入がある人はいいけれど、国民年金だけでは生活できない。

 それでも、65歳以上の貯蓄の平均は2千4百万円だそうだ。世帯で見ると貯蓄額は400万円から600万円が一番多く、400万円以下もかなりの数だ。平均がこのような数値になっているのは、巨額の財産を有している人がいるからだ。あるところには有るということで、それで平均を出されたのでは実態とあまりに違う。90歳近い女性が、「先のことが心配だから貯金を崩せない」と言っていた。一体何歳まで生きるつもりなのかと思ったが、お金が無くなることは死ぬ以上に恐いことなのかも知れない。

 福島原発の周りは、何年経っても人が住めることのない地域だ。「うばすてやま」ではないけれど、全国から65歳以上の高齢者を集めて、生活保護程度で暮らしていけるようなら、私は福島へ移り住んでもかまわない。農業は出来ないかも知れないが、私が出来る仕事もあるだろう。自給自足でいいと思うし、多少は人の役にも立てるだろう。貯蓄がない私のような者でも社会に役立つことがあれば、生きていく価値を見出せると思う。

 中国の若者たちは元気だ。他国に支配されたり、他人にこき使われる理不尽さに腹が立つのは若い証拠だ。何も言わず、何も考えず、時の過ぎ去るのを待つだけでは生きている意味がない。対立するならその要因を無くせばいい。「敬老」の人々は、社会に役立つ日を待っている。

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小学生だった子も来年は社会人か

2012年09月16日 18時10分06秒 | Weblog

 昨夜の「夏祭り慰労会」は、随分盛り上がった。懐メロに合わせてダンスする人たち、ヨソのカミさんと踊って、そのダンナに向かって恐縮する人、しかしカミさんの方は堂々としていて、「アナタも踊らない!」と声をかけていた。子どもたちもカラオケで歌う子、おしゃべりと食べることに夢中な子、大人たちはいろんなところでいろんなグループが出来て、盛んに話したり笑ったり飲んだりしていた。私はたまたま一番端の席に座ったので、どちらか言えば高みの見物で、あれ、あそこにひとりになってしまった人がいると見つけて傍に行って、酒を注いで話し込むようにしていた。

 酒の勢いで、ついものを言ってしまう人もいて、マンションの運動会のやり方で大激論になったところもあるし、ダンナの海外勤務が長く、嫁である娘の父親から心配話も聞いた。娘さんはとてもよく出来た女性で、何事にも積極的であり、私たち年寄りは何かにつけて彼女を当てにしている。いわば、年寄り男性のアイドル的存在だ。何でも間違いなくキチンとしかも黙ってやってくれるから、みんなが可愛がるけれど、父親としてはそれが不満でもあり、危なっかしくも感じるのかも知れない。

 そうかと思えば、デザイナーとして働き続けてきた一人暮らしの女性が、「子どもには絶対に弱いところを見せられない」と言う。素直に自分をさらけ出してしまえばもっと楽に生きられるだろうに、しかしそうすれば、しゃかりきに生きてきた、そのために子どもたちに寂しい思いをさせてきた、自分の生き方を否定するようで、「出来ない」と言うのだ。それは彼女が彼女らしく生きてきた結果であり、その姿を貫いていいのではないかと思う。子どもたちもそれなりに母親を受け入れてきている。「仏壇やお墓は私が始末しておいた方がいいかしら」と言うので、「どうするかは子どもたちが決める。今は何もしない方がいいと思う」と答える。

 還暦を過ぎて、古美術の鑑賞や音楽会あるいはハイキングに出かけている男がいる。「カミさんのことは愛しているけれど、一緒に音楽会やハイキングに行ってくれる女性が欲しいと思って、声をかけるのに振られてばっかりなんだけど、どうすればいいの」と言う。「相手の女性の家庭も自分の家庭も、壊してしまってもかまわない、そのくらいの決意もなく、ただ付き合って欲しいと言うような男に、女の人は信頼しないでしょう」と答えると、「そうなんですよ。どうして?」と言う。「アナタはただ、一緒に行ってくれればいいんでしょう。そういう付き合いならと思っている女性はたくさんいると思うけど、オーケーしないのはアナタに魅力がないということ。諦めた方が無難ということですよ」と答えるが、彼は納得しない。ならばやってみるしかないと思う。

 みんながそれぞれに、人生を精一杯生きている。10月には就職のための面接があると言う子がみんなのところにお酌をして回っていた。きっと合格するだろう。小学生だった子がもう、社会人になるのかと思うと感慨深いものがある。

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流れを見守っている

2012年09月14日 19時25分38秒 | Weblog

 民主党の代表選挙と自民党の総裁選挙の顔ぶれが揃った。民主党は4人、自民党は5人と立候補者は多い。こんな困難な時なのに、それでも一度は首相と呼ばれてみたいもののようだ。それにしても応援したいと思う人が見当たらない。民主党は野田さんが圧倒的に強いだろう。その野田さんは、「弱い側に立つというのが民主党の原点」と指摘されてそれに同意しているものの、実際に力を入れてきたのは消費税の増税であり、原発の再稼動である。「社会保障と増税は一体的に」と言いながらも社会保障関係は何も進んでいない。

 野田さんで決まるだろうと思うのは、民主党の地方議員と話していた時、彼自身は消費税増税には反対だけれど(でも、いずれは引き上げなくてはならないと言う)、「野田さんは信念の強い人だ」と、評価していたからだ。私の友だちで先輩でもある政治談議好きも、「野田はぶれないところがいい」と言う。ぶれない中身こそが問題なのに、ぶれないことを男らしいと感じているのだ。だから「目つきが悪いが、石破もいい」と評価する。石原さんがなぜダメかというと、「谷垣総裁に幹事長にしてもらいながら、谷垣を蹴落とす行為は仁義に反する」と手厳しい。

 自民党の総裁候補は5人とも、憲法改正を主張する保守派である。民主党が自民党に近づいたために、自民党はさらに保守化してしまった。次の選挙では第1党になるだろうとウワサされている『日本維新の会』は、名前からして保守であり、自衛権の行使を主張しているから自民党とは政策が一致する。『日本維新の会』の理念は、競争と自己責任を基本とする『みんなの党』と同じ小泉路線である。『日本維新の会』には50代や40代の若い人が多いのは、小泉さんが政権を握っていた時を見ているからだろう。

 小泉さんの「自民党だってぶっ壊す」と威勢のよい言葉に、多くの国民が期待したけれど、進められた構造改革で貧富の差は大きくなり、弱者はさらに切り捨てられた。やっぱり自民党政権ではダメだと民主党に期待したのに、何のことはない民主党は自民党と変わらない。その絶望感が『日本維新の会』に対する期待になっている。どういう政治が、どのような政治の仕組みが、求めるものなのか、そのビジョンを打ち立てる人も組織も見当たらない。まだまだ先は長そうだ、そう思って流れを見ている。

 NHKテレビの朝のドラマ『梅ちゃん先生』で、大学病院の名誉教授になることを拒んだ梅子の父は、「後輩に道を譲るのは先を行くものの務めだ」と言う。頑張って生きてきた人もいつかは退かなくてはならない。退いたなら、暖かく見守ることが大事だ。そういう時代に私たちの世代は来ているようだ。

 明日は高校3年の孫娘の学校祭を見学に行き、夜は夏祭りの慰労会があるので、ブログを休みます。

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劇団民芸『白バラの祈り』

2012年09月13日 21時21分01秒 | Weblog

 9月の名演は劇団民芸の『白バラの祈り』だった。第2次世界大戦のドイツではゲシュタポが政府の方針に反対する人々を弾圧していた。そんな中で、ミュンヘン大学の学生が反戦を呼びかけるビラを撒いた。ゲシュタポは犯人を見つけ出し、尋問を行なう。演劇は逮捕から裁判までの5日間を尋問する役人と学生とのやり取りを通して、流される大衆と抗する学生の、その生き方や価値観を次第に鮮明にしていった。

 学生たちが発行したビラには「白バラ」と記されていた。白バラは一日で色褪せてしまうはかない花だが、何事にも染まらない意志の強さを表している。私がミュンヘン大学の反戦組織「白バラ」を知ったのは、大学1年の時だった。大学自治会は共産党系の学生組織の民青だった。民青のやり方に不満を持つ学生たちが中心になって、アメリカの原子力潜水艦の寄港に反対する運動をやろうというので集まった時に、名前をどうするかとなり、誰かがミュンヘン大学の学生たちの運動に学ぼうと「白バラ反戦学生会議」を提案した。

 余りにロマンチックな名前だと思ったけれど、その幼さが逆にアピールしたようだった。しかし今思えば、私たちの反戦運動は甘ったれたものだった。もちろん公安警察は学生たちをマークしていたかも知れないし、自治会役員となった者は就職できないこともあった。けれども、ミュンヘン大学の学生たちは「国家反逆罪」で死刑である。日本でも政府の方針に反対する人々を特高警察が捕らえていたけれど、組織をあげて反戦運動を展開した例を私は知らないが、日本にも彼らのような学生はいたのだろうか。

 戦争は嫌だと誰もが思っているのに、そこに戦争の大義が大手を振って歩き出すと、人々は口を閉ざす。ましてや反対の意志を示せば、直ちに独房に押し込められるとなると、ますます閉じ篭るようになっていく。誰かが自分を見ていないか、落とし穴に落とされるのではないか、災難が降りかからないようにとばかり気を使うようになる。さらには物言わぬ大衆に留まらず、積極的に政府の方針に賛成し、言動することで我が身を守ろうとする。

 流れに逆らわず、じっと時の過ぎるのを待ち、ささやかな幸せを求めるのが、最も多い人々の生き方だとゲシュタポの尋問官は言う。「なぜ、そうした生き方が出来ないのか」と彼はまだ若い女学生に問う。「分からないままについてきたと調書に書いておいたから、サインすれば命は助かる」と尋問官は女学生に助け舟を出すが、彼女は拒否してしまう。彼女が大切にしたいのは、命ではなくどのように生きるかということだ。

 日本の学生も「天皇陛下バンザイ」ではなく、「お母さん、さようなら」と言って、敵艦に体当たりしていったと聞く。「自分のために死を選ぶというのは個人主義だ」と尋問官は彼女を諌めるが、人は皆、自分のために生きていることは尋問官自身も承知している。自分がどのような生き方をするのか、そこに価値の違いがあるということだろう。

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いじめの記憶

2012年09月12日 22時55分25秒 | Weblog

 文部省は全国の小・中・高の学校で昨年、7万件のいじめがあったと発表した。調査は都道府県によってばらつきがあるというから、実態はもっと深刻ということだろう。どのような方法で調査したのか分からないけれど、学校によってのばらつきは大きいはずだ。それにしても、自殺した小中高高生が200人もいたことには驚いた。中日新聞には32歳の男性が、「ニュースを聞くたびに、いじめの記憶が甦る」と言い、「いじめの傷は癒えていない」と語っていた。

 いじめられた方は、ずぅーと心の傷になっているのに、いじめた方はとっくの昔に忘れてしまっている。それがなんとも悔しいしが、そんなことだったのかと思うと、馬鹿らしい気持ちになった。私は小学校4年の時にいじめられた思い出がある。それが私の出発点だった。小学校6年の卒業文集に、友は「はげましあい、卒業の岸にたどりついた。ここまで導きくださった諸先生に、感謝をささげ、さあ ゆこう」と希望に満ちた文章を書いている。ところが私の文章はいじめ克服の決意しか書いていない。

 「あー、意志の弱かった自分がにくらしい。こういう悪童は何人でもいる。だからこういう者をなくすとどうじに反抗できる強い意志が必要だ。どんな苦難にも打ち勝つのは強い意志だ。私は意志が弱かったため数多くの苦難に負けてしまったがただ1回だけ、クラーク先生の言葉を思い出して自分の行いを反省してみて、災難に負けずにすみました。何事にも強い、強い意志が必要なのです。強い意志をもて、強い意志を。少年よ、大志をいだけ」

 中学生の私は、小学校の時の私とは決別した私でした。小学校4年の時に、宿題をやらされたり絵画コンクールの作品を描かされた悪童と同じ中学校だったけれど、彼がどこにいるの?と思うくらいで、私の方が学校で目立っていた。だから逆に、私はいじめた側にいなかったのかと心配している。中学1年の時、国語の先生が「君たちはもう大人だ。父ちゃん、母ちゃんなんて言うな。大人として生きていけ」と言ったことで、私は自分を大人になったと言い聞かせてきた。中学生や高校生はもう大人だ。だから高校でもいじめがあるということが理解できない。

 先に読んだ綿矢さんの『勝手にふるえてろ』の主人公の女性が憧れる男の子は中学の時、「男子も女子もみんなが彼をかまいたがった。彼は人気者でも(勉強や運動ができて)モテる子とはちがって、うちのクラスのペット的な存在だった」。彼女は彼が「素敵な男だから」周りがじゃれ付いていると思っている。ところが彼は、「おれなんか中学時代はいじめられてる思い出しかない」と言う。彼女は、「うそ、ちがうよ。みんなはかまってほしくて意地悪しただけ」と大人になった今でもそう思っている。

 彼女にはそんな風に見えていたけれど、じゃれ合っているようでも、されている方は耐えられないほどの苦痛なのだ。人は誰でも仮面を被っている。仮面が小さい人もいるし、仮面が全く別のもののような人もいる。素顔だけでは生きていけないから、それは知恵であるけれど、素直に馬鹿正直なほどさらけ出している人もいる。生き方はそれぞれに違うから、いわば個性である。だから、どう生きていくか、人はいつも無意識に考えているのだろう。

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人は何を求めているのか

2012年09月11日 21時04分35秒 | Weblog

 昨夜は凄いカミナリで、光と音が1秒差もないくらいだった。ドーンという地響きがして、この世の終わりもこんな風かと妙なことを考えた。稲妻が部屋の中まで差し込んできて、一瞬辺りが真っ白くなる。それに地響きで、マンションの12階にある我が家も揺れる。こんな時間が1時間も2時間も続いたらきっと誰もが恐怖で狂い出すだろう。幸いなことは、じっと耐えていればカミナリはどこかへ移っていく。

 朝、浸水で道路が見えなくなっているかと思ったが、別に普段と変わらない景色だった。そういえば昨日の朝、道端でヒガンバナを見た。それは白い花で鉢植えだったから、そこの畑の持ち主が植えたものだろう。ヒガンバナといえば赤く怪しげな花だったのに、最近ではこのような白やピンクのものを見るようになった。何よりもビックリするのは、花屋さんで売られていることだ。

 ヒガンバナを見ると、もう秋だなと思う。新城市の山奥に、四谷千枚田という棚田があり、そろそろヒガンバナが咲くというので、友だち家族で見に行くことになっている。秋の伊吹山もきれいだと言うが、まだ私は行ったことがない。花は春と秋に多く咲く。それは冬になる前に実をつけるためで、どちらか言えば秋の方が鮮やかな花が多いような気がする。昆虫たちを呼び寄せて受粉するためだ。

 植物も動物も子孫を残す為に、並々ならぬ努力をしている。20歳の時に芥川賞を受賞して話題の人となった綿矢りさの『勝手にふるえてろ』の中に、「古代はきれいに渦を巻いていたアンモナイトが時代が進むにつれ巻きがどんどん普通じゃなくなってきて、最後はただの醜いひもになる。進化も進みすぎると狂うことの代表例みたいに言われているよな。でも、あれって地球の環境が変動したせいでそれに合わせて生きやすいように形を変えたって説が最近有力だよね。見た目の均整が取れてないからってすぐ異常だと決めつける人間の方がおかしいのかもしれない。」と主人公が中学の時から憧れる男が言うセリフがある。

 動物のオスは自分の子孫を残すために必死の努力をする。人間の男性たちも動物のオスに負けないくらいの努力をしていると思うけれど、『勝手にふるえてろ』の主人公の女性もそれなりに努力をしているのだが、その努力と反対側にあるものとの葛藤が面白い。綿矢さんは確実に成長している。芥川賞となった『蹴りたい背中』の男女に比べれば、ここの男女はもっと深い観察で書かれている。

 主人公の女性にはふたりの彼氏がいる。ひとりは中学の時代から憧れている男で、光る黒目、長い睫毛、笑うと目尻がゆるんで、日なたのこもれびみたいに周りが暖かくなる、手を洗うしぐさまでも違うと彼女は思う。この対極にいるのが会社の同僚で、彼女のことが好きで、「付き合って欲しい」と言うのに、なかなか返事をしない。結婚して子どもが出来て、家族のために掃除や料理をして、そんなものは幸せとは思えないのだ。一番好きな人と結婚して彼の子どもを生むことが幸せなのだから。

 そのために努力はするし、ウソも付くけれど、そうして人は何を求めているのかに迫っていく。なかなか面白い小説になっている。

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NHK特集『追跡!復興予算19兆円』

2012年09月10日 18時39分23秒 | Weblog

 昨夜、NHKテレビで『追跡!復興予算19兆円』を見た。東日本大震災の復興に向けて、各省が提案し承認された事業である。NHKといえば報道の自由はあるとはいえ、常に政治家からクレームを受け、総務省の管轄下にある。そのNHKがよく作ったなと思った。でも逆に、官僚は報道されることを見越して、「反対意見はあるのが当然だが、私たちは皆さんのように狭い視野ではなく、10年20年、いやもっと先の国づくりを見据えているのですよ」と言っているように思った。

 実際、私は国会議員の秘書をしていた時、まだ若い30代くらいの役人から法案の説明を聞いたり、私が疑問に思っていることをぶつけてみて、彼らがよく勉強しているとを感じた。いや、そればかりではなく、彼らは自分たちが国づくりをしているのだという自信と自負に溢れていた。その彼らの立案する政策を国会は承認する場なのだと言わんばかりだった。日曜日の大河ドラマ『平清盛』で、貴族の犬だった武士である清盛が、「新しい世をつくる」と何度も口にする。その前の『坂本竜馬』も全く同じで、徳川幕府に代わる「新しい世をつくる」ドラマだった。

 NHKが民主党政権の誕生を期待していたのか、それとも平家が源氏に敗れて武家政治が始まることを暗示しているのか。権力が代わることはあっても、政治を実行している官僚は変わらないことを伝えているのか。歴史は表舞台に立つ、権力者によってつくられているように見えるけれど、本当は政治を支えている官僚によってつくられているのかも知れない。

 さて、『追跡!復興予算19兆円』では、岐阜県関市のコンタクトレンズ会社に復興予算が使われているという。えっ?何で?と思う、こんな事例がいっぱい出てくる。外務省の事業では、海外から高校生を招いて日本の各地を見てもらう事業に予算が付いていた。国土交通省の事業では沖縄県の海岸沿いの道路工事事業が上げられていた。どうして東北3県ではないところで、復興予算が使われるのかと思うけれど、官僚は目先ではなく日本そのものの復興にあると言いたげだった。

 せっかく予算を計上するのだから、普通ならば実行できないような事業に予算を付けられる絶好の機会ということなのだ。文部省は国立競技場の改修に、国家公安委員会はテロ防止に、復興予算を付けているのもその例だと思う。なんだか先に読んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の中に出てくる「臨時軍事費」に似ている。震災復興の予算となれば誰も反対しない。しかもそれで、10年20年先の日本の景気がよくなるのだ(と、思い込んでいる)。何も分からない、先の読めない政治家や国民がぶつぶつ言っても、言わせておけばいい。そんな思いで官僚たちは、この報道特集を見ていたことだろう。

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