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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ものを整理する難しさ

2014年03月19日 17時22分56秒 | Weblog

 70歳を間近にして、整理を始めている人が多い。私もまた、時間があれば押入れの中や書棚の中の整理をしている。「身の回りの整理をするとお迎えも早い」と揶揄する人もいるけれど、むしろそのためにしているとも言える。私のものは私にしか意味も価値もない。遺しておくようなものは何ひとつない。人はよく、自分が生きた証を遺したいと言うけれど、私はむしろ抹消しておきたいと思う。

 長女が、住んでいた家を整理しに来てくれた。長女も私も、いらないものは捨ててしまいたい方だが、カミさんは「そんな、まだ使えるじゃーない」と思う方だ。物を大事にすることや倹約することに反対するつもりはないけれど、そんなに無駄な物を貯め込んでどうするのかと思う。私とカミさんが一緒に整理すれば意見は一致しないから、物の取捨は任せることにしている。それでもカミさんがいない時に判断を迫られると、私は躊躇なく捨てることにしている。

 友だちは「子どものものを整理していたら、段ボール3個もあった」と言う。今度、行なわれるリサイクルバザーに提供するものだ。もう使うことのない新品同様のものなら、必要な人にあげた方がいい。学校の制服や体操服などは3年しか着ていない。クリーニングに出せばまだまだ役にたつ。不要になった物を提出し、役立ててもらうリサイクルバザーはいい企画だと思う。それにしても家の中を見渡せば、本当にいらないものが多い。「思い出の品」は残しておくと言い訳するが、いつ誰が見るというのだろう。

 物知りの先輩に言わせると、「日本人くらい物持ちはいない」そうだ。家の中にはあらゆるものが揃っている。確かにアメリカに行った時も、イタリアへ行った時も、家の中はシンプルだった。どうも私たち日本人は物を買い過ぎるし、貯め込み過ぎる。貧しかった過去に対する反動なのか不安なのか、狭い家なのに物で溢れている。だから整理の本が売れるのだろう。そういう私も、「いつか読む」つもりで買った本が書棚に溢れているし、中学から書いてきた日記が捨てられない。やっぱり死ぬまでに整理してしまうのは無理なのかも知れない。

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規制派にはなりたくない

2014年03月16日 17時56分42秒 | Weblog

 チューリップの芽がずいぶん伸びてきた。植物は短い間に大きく成長するし、少々傷ついても自ら再生していく能力もある。動物もまた再生能力を備えている。人間だって、傷口を塞いだりする能力を持っている。そうした再生能力を作り出せたならと考えるのは不思議ではない。ips細胞とかSTAP細胞はそうした画期的なものだが、STAP細胞に疑念が集中している。

 まさか全てが捏造とは思えないけれど、理化学研究所の野依理事長が「未熟な研究者が膨大なデータをずさんに扱った」と釈明している。しかし、これでは小保方晴子さんだけの責任になってしまう。小保方さんを使って、最初の発表を演出した理化学研究所の責任は重いと思う。彼女を利用した上司の笹井芳樹副センター長が釈明しないのも不思議だ。

 若くてかわいいことをネタにしたマスコミにも罪はあるだろう。そんなことを思って中日新聞を読んでいたら、ビックリする記事があった。『上野千鶴子さんの講演中止』である。山梨県山梨市で18日に予定されていた上野さんの講演が急遽中止になったとある。上野さんの講演のテーマは在宅医療や介護についてである。市のホームページなどで参加者を募集し、164人の申し込みがあったが、「問題発言が多い上野さんを公費で呼ぶのはおかしい」という市民からの意見があり、市長は中止を決めたとあった。

 私の市でも、国際交流で韓国フェステバルが企画されたが、右翼団体の嫌がらせに屈してアジアフェステバルに変更した。そういえば、松江市の教育委員会が漫画『はだしのゲン』を学校図書館の開架から一時撤去したことがあった。これも市民からの要請があったからだが、「新しい歴史教科書をつくる会」が全国的に行なっているものだという。以前にも有害図書撲滅キャンペーンなるものがあったけれど、有害か否かは本を手にする本人が決めることで、国や自治体が決めることではない。

 「問題発言」とは、誰にとってのことなのか。こんな風に表現することがどんどん抑えられている。何も考えずに圧力に屈しているし、自ら規制してしまう。反発しているのは高齢の人たちで、若い人たちは無関心か、積極的な規制派ということも恐ろしい。明日と明後日は旅行のため休みます。

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時代遅れと思った

2014年03月15日 18時06分19秒 | Weblog

 昨日は名演で前進座による『あなまどい』を観た。上演時間が2時間45分と長いものだったが、さすがに前進座の俳優は声がよく通り、飽きるということはなかった。題名の『あなまどい』とは、秋分を過ぎても冬眠する穴を見つけられずにいる蛇のことをいう。年老いた夫婦が故郷を離れ、旅の途中でこんな蛇を見つけて、「私たちのようだ」と言う。

 夫の方は父親の敵討ちのために34年間も家を空け、妻はひとりで家を守ってきた。長い年月、離れていなければならなかった夫婦の愛情物語なのか、敵討ちの苦難の末に辿り着いた男の物語なのか、実際のところ私にはよく分からなかった。夫は敵を追って旅を続けるが、そのうちに生活費に困り野菜売りをしたり、挙句の果てに物乞いまでするようになる。

 こうして夫は、武士には武士の生き様があるように、物乞いにも物乞いの生き様があることを悟る。逃げる男も物乞いで暮らし、追う男も物乞いで頭を下げる。いったいどうしてこんなことになったのか、それは武士が決めた掟にある。この国がこんな哀れで馬鹿な仕組みを作ったという考えに行き着く。彼は仇討ちを果たし、帰参して家督を取り戻すが、養子に全てを譲り、老夫婦で江戸へと旅立つという筋書きである。

 江戸時代の敵討ちが実際にどんなものだったのか分からないが、相手が物乞いにまでなっていたのでは探しようが無かったのではないかと思う。結局、夫は仇討ちしなかったのだが、したことにして帰還した。それまで彼に代わって、叔父とその息子が一家の頭となっていたが、彼が帰参すると役職を取り上げられるので、彼を殺そうとする。そこで彼は「殺せば脱藩者として一生涯逃げ続けることになる。その覚悟があるのか」と問う。

 私は演劇を観ていて、百田尚樹氏の『永遠のゼロ』を思い出した。男の生き様というか美学のようなものが漂っているように感じた。社会の仕組みが悪いといっても、今はそんな時代ではない。原作者や前進座が何を言いたかったのかよく分からない。最近、感動できる演劇に出会わない。私には余りにも時代遅れの作品であった。

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男女共同参画という不思議な言葉

2014年03月14日 18時22分24秒 | Weblog

 国の政策は、地方自治体で具体的に実施されていく。安倍首相の女性を重視する指針を受けて、「男女共同参画」が進められている。私の市では、「△ちゃんと□ちゃん」がこの事業のマスコットである。「参画」をこんな風に分解してしまうのは面白いかも知れないが、年寄りには何のことなのか分からない。また、この事業の情報紙は「とらいあんぐる」という表題だが、トライアングルから参画を連想できる人も少ないだろう。

 元々は男女同権あるいは男女平等であったのに、いつの間にか「男女共同参画」などという、よく分からない言葉になってしまった。同権とか平等ならはっきりとイメージできるが、共同参画が分からず、会社経営と間違えていた人もいた。同権や平等という言葉が嫌いな人たちが苦肉の末に考え出した言葉のようだ。男女同権や男女平等は、社会の中から男女の違いによる不平等をなくしていこうというものだった。

 生徒会長は男でなければならないということはないし、PTA会長も校長も社長も、長のつかない議員も、女でもいいはずだ。同じ仕事をしているのに、女は男よりも賃金が低いのは間違っているし、男は出世できるのに女はできないということも間違っている。男だから女だからと差異を設けるのは止めよう。社会における男女の差をなくす運動が発展し、家庭の中での男女の役割分担も見直されるようになった。

 先日の会議で、男性がいみじくも「社会ではまだ女の人が弱いかも知れないが、家庭でははるかに女の人の方が強いでね」と発言して笑わせたが、社会ではまだ女の人が弱い立場にあることが問題で、それを制度としてどう解決していくかが議論されなくてはならない。個々の家庭がどうかは全く別の問題だと私は思う。女性が家事の一切を行なっているのはダメだとか、男性が子育てに加わらないのはダメだとか、そこが問題ではなく、そうなってしまう社会の仕組みを変えなくてはいけない。

 「男女共同参画」事業がいつまでも祭りで人を集めることに終始しているうちは、ただ形ばかりの取り組みでしかないように思う。昨夜から強い風が吹いている。日差しは暖かいのに、寒さが戻ってきた。春はまだ来ない。

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浅薄な物知りから抜けられない

2014年03月13日 17時40分43秒 | Weblog

 朝から雨が降っている。今はシトシトと降っているけれど、大雨の時もあった。ルーフバルコニーの鉢植えのサザンカは雨を受けて寒そうだ。白いサザンカだからいっそうそんな風に見えるのかも知れない。サザンカの足元には花びらがたくさん落ちている。中にはもう色褪せてきているものもある。その隣りにあるパンジーとチューリップは雨を受けてなぜか活き活きと見える。

 チューリップはかなり芽が伸びてきた。今日のような雨はきっと恵みの雨なのだろう。一雨毎に暖かくなっていくのだろう。どこの公園の梅も今が満開なのだろうか。花めぐりは時期を合わせるのが難しい。本当によい時に行くには、何度も通う必要があるのかも知れない。マンションの仲間で毎年行なっている「桜の宴」も、「夜桜の宴」から「桜の宴」に変わった。主な原因は、私たちが歳を取ったためだが、もうひとつは、寒いよりも暖かい方がよいというので、午後3時開始になった。

 丁度見ごろは4月5・6日辺りだろうけれど、その日は都合が付かないということもあり、やはり暖かい方がよいという理由で12日になった。「どちらにしても、花よりダンゴだから」と言う人もいる。私はクラブツーリズム主催の「誕生日ツアー」という企画で、兵庫県の「夢千代の里・湯村温泉」へ、今月17・18日と出かける。よい天候であって欲しい。「夢千代日記」で有名になった温泉地だが、物語や原作者は知らなくても、吉永小百合さんが出演した映画であったことだけは知っている。

 私はクイズのような浅薄な物知りの領域から抜けていない。物事を広くしかし曖昧に記憶していて、体系的に深めることを怠ってきた。頼まれればかなり努力するけれど、自分のために何かを極めることがない。これはマズイし、情けない。もっと頑張らなくてはいかんと思いながらもう70歳になろうとしている。先は見えているからどうしようもないが、STAP細胞を作り出した小保方晴子さんはまだ30歳だ。きっと皆さんを納得させてくれると信じている。

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姉が頼りの妹

2014年03月12日 18時01分54秒 | Weblog

 仙台の次女が出産のために里帰りしてくる。そのため、長女らが住んでいた隣りの家で暮らせるようにと準備している。隣りの家は長女が再婚して出て行ってから、空き家になっている。本当はリフォームして、私の事務所にする予定だった。しかし、長女たちの用品がほとんどそのまま残っているので、それを片付けないと事務所にも生活する場にも出来ない。けれど、首長にはなれなかったので、リフォームする気力が失せそのままになっていた。

 まさか次女が出産で帰ってくることになろうとは思わなかったが、こういうことでもなければ室をリフレッシュしようとも思わなかっただろう。私は貯金を使って本格的にリフォームしたかったけれど、「そんなにお金をかけて、どうするの?あの子はせいぜい3ヶ月くらいしかいないのよ」とカミさんから叱咤され、自分のお金を持たない私は「わかった」としか言えない。宝クジでも買っておけばよかったなどと馬鹿なことを夢見る。

 長い間、人が住まない家は悪くなるというが、全くその通りだった。トイレの便器から水漏れがするので、これはどうしても新しくしなければならない。便器を取り替えるだけでなく、壁紙も照明も新しくしたかったけれど、「それはもったいない」となった。台所のガス台は35年前のものだから新しくする。その時も、システムキッチンそのものを取り替える案もあったけれどダメだった。しかし、蛇口はひどく汚れていたのでこれは取り替えることなった。

 システムキッチンを新品にすると65万から85万くらいかかるが、ガス台と蛇口だけの取り換えにしたので25万で済んだ。いろんなところがきれいになると逆に古いところの汚れが目立ち、ますます全室をリフォームしたくなる。「あなたは現実も見ずに夢ばかり見るのね」と嫌味が飛んで来そうだ。次女が里帰りするので、ダンナはもちろんダンナの両親もこちらへみえる。少しはキレイにしておきたい。私のささやかな見栄である。

 40歳の次女は初産なので、私としては高齢出産が一番心配だ。次女は長女の働いている病院で出産するが、それも長女が新生児治療の看護師だから安心なのだろう。小さな時から、私たち親よりも姉を一番頼りにしていたが、この歳になってもそれは変わらないようだ。

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人生に大差はない

2014年03月11日 18時07分34秒 | Weblog

 高校の教師を定年退職した先輩と昔話をしたことがある。彼がいわゆる二流校に勤めていた時、同僚の教師が「うちの生徒はどうして頭が悪いんだろう」とぼやいていたそうだ。彼は「挫折したことのない優秀な人は、勉強ができない人の気持ちが分からない」と思ったが、成績が上がらない原因までは分からなかったと言う。それがいわゆる一流校へ赴任してみて、「これだな」と思ったことがあった。

 「それは何ですか?」と聞くと、「一流校の生徒は、分からないことは質問してくる。ところが二流行の生徒は、分からないことも分かったような振りをして、質問に来ない」と教えてくれた。その話を同じ教師でも小学校で勤め上げたカミさんに伝えると、「振りしているのではなく、分からない子は、どこが分からないのかが分からないのよ」と言う。分からないことが質問できるのは勉強しているからというのだ。

 私は教師を10年しか勤めなかったので、エラそうなことは言えないが、卒業した生徒たちに何年かぶりに会ってみると、学校の時の成績など全く人生には関係ないと思う。みんな立派に生きている。みんなキチンと仕事をやっている。それは専業主婦でも同じだ。社会に出れば、誰もが人生の主人公である自分をキチンと演じている。幸も不幸も、強い時も弱い時も、紆余曲折はあるけれど、精一杯に生き抜いている。

 小学校や中学校のクラス会に出ると、学校の時の成績は全く意味がないことがよく分かる。誰もが素晴しく輝いているし、的確に判断しているし、自信に満ちている。「私は頭が悪い」と大学生の孫娘はよく言うので、「頭のいい人と悪い人の差はあまり無いんだよ。あるのは勉強にかけた時間。あなたが頭がよいと思っている人は集中しているが、あなたは集中できていないのだから、倍の時間をかければ一緒だよ」と言ってやる。一生懸命で生きていれば、人生に大差はない。

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人生は運と欲とセンス

2014年03月10日 18時00分22秒 | Weblog

 同級生の住む豊田市へ行って来た。中学3年の担任が編集発行したクラス誌『麦の歌』の複製本を届けるためだ。『麦の歌』の表紙は彼女のデザインで、彼女は大学紹介の記事も書いている。いつもクラスではトップだった。背は私よりも高く、身体は痩せていてすらりとしていた。面長の顔と切れ長の優しい目は昔と変わらなかった。歌うことも好きで高校ではコーラス部に入っていた。インターホンから聞こえた声は昔のままだった。

 私が『麦の歌』を渡すと、「あっ、これ私の絵?」と表紙を見て言った。「もう、すっかり忘れてしまった」と彼女は言う。第1号も見つかったので、秋のクラス会までには複製本を作るつもりでいることを告げて帰ってきた。帰りは大府の友だちのところに寄るつもりで家を出たのに、雪が舞って来たせいか、気持ちが萎えてしまい、そのまま家路に着いた。朝は青く晴れていたのに、時々雲がかかり、雪が舞う荒れた天気になった。

 仕方ない。そんなものだ。昨夜、長女夫婦と居酒屋で食事をした。この辺りでは評判のよい店だから、必ず誰かに会う。飲む時は気を使いたくないので、出来れば知り合いがいない店に行きたかった。入った途端、知り合いに出会った。また、帰りがけにも知り合いに会った。彼がわざわざ席を立って、握手するので無視することは出来ない。私も握り返して、早々に退席するつもりだった。

 「私はアナタを本当に尊敬している」と彼は言う。「とんでもない。あなたは成功者だけれど、僕は落ちこぼれですよ」と答える。彼は病院のオーナーを務める朝鮮人だ。きっと苦労して今の地位を築いただろう。その苦労に比べれば、私の人生など甘いものだ。昨日のテレビで「週刊プレイボーイ」編集長のドラマが放映されていた。その中で、今東光さんが「人生は運と欲とセンスだ」と言っていた。

 長女が私を評して、「パパは本当にいいかげんなんだから」と言う。「それも信念でいいかげんだから困る」と。よく見ているなと思う。私に確固たるものがあるとすれば、「いいころかげんがいちばんいいよ」だと思う。「無秩序の中から秩序はうまれる。規制したり強要したりしてはいけない」。中校生の時から余り進歩していない。

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気になるウクライナの動き

2014年03月09日 21時12分23秒 | Weblog

 ウクライナに知り合いがいるわけではないが、これからどうなっていくのか、とても気になる。ソ連の崩壊でウクライナは独立国家になったけれど、それでもロシアの衛星国家だった。それがオレンジ革命で大きく変わった。ところが再び、ロシア寄りの政府かそれともEU寄りの政府かで流血騒ぎとなるデモが繰り返され、首都キエフにEU寄り政府が生まれた。ロシアはこの政府は武力革命で生まれたもので正当性がないと主張している。

 ロシア軍港があるクリミア半島のクリミア自治共和国が、ロシアへ編入するか否かを住民投票で決めるという。ウクライナは絶対に認めないと言い、ロシアは見守ると言う。EU寄り政権が嫌なら分離独立するところだが、ロシアへの編入である。これではロシア領になるということで無茶な選択だと思ったけれど、元々ロシアから仕事で移って来た人が多いのでそうなるらしい。

 アメリカはロシアの軍事介入は世界の安定に反していると非難するが、ロシアはアメリカのイラクへの軍事介入を取り上げて応酬している。世界中が戦争にならなければよいがと心配する。これまでの歴史では、何がきっかけで戦争という最悪の事態に発展するか、分からないことばかりだ。ロシアは暴動の中心に右翼がいると指摘していた。ロシアよりも右翼がいるのかと疑問だったが、それは民族主義者のことだった。

 ウクライナはウクライナ人で、ギリシアはギリシア人で、ヨーロッパはこんな風に民族主義が盛んになっている。他民族を排斥する動きだ。まるで先祖帰りの考えだと思うけれど、不思議な現象が進んでいる。アメリカは新政府に10億ドルの支援をすると言う。ロシアも同額を提起しているし、EUも支援を行なうという。どちらもウクライナを相手側に渡したくないのだ。ただ、アメリカはウクライナとの貿易が少ないのに対して、ロシアとEUはウクライナを切って棄てるわけにはいかない。

 結局はカネの問題なのかも知れない。援助は、国が安定し貿易が盛んになれば充分に元が取れる、そのための投資というわけだ。気前よく資金を出すように見えるけれど、どこもつながりを保ち、貿易で稼ごうという政策である。それならいっそのこと、どんどん小さな国に分裂した方がいいのではないか、そう思う。

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「退院する」と姉は言うが‥

2014年03月08日 18時16分16秒 | Weblog

 姉は脳の血管にいくつも小さな血栓があり、たまたまその位置が悪かったのか、意識不明になってリハビリ病院から総合病院へ2月8日に転送された。見舞いに行った時は顔面蒼白で意識はなく、いよいよ最後かと思った。手術は出来ず薬の投与だけであったが、3週間経てほぼ元の状態に回復したので、2月28日にリハビリ病院へ戻った。6日に見舞いに行くと随分とリハビリを頑張っていた。

 「もうすぐ退院するでね」と言う。「うん、頑張ってね」と答えたが、ひとりでは暮らすことは出来ない。病院を出てもどこかの介護施設で世話になるわけだが、その現実を受け止めることが出来るか、心配になる。姪っ子が姉の部屋を整理していて見つけた、姉が私の誕生日のために書いた手紙を見せてくれた。姉の還暦か古稀の祝いかを行なった返礼で、「百合の花の香りが部屋いっぱいに立ちこもり色どりもきれい、すてきで見る度に幸せでした。(略)これからは人生の分別盛りにかかり、人の心を思いやる事の出来るやさしい人間に成長していける時期だと思いますので頑張って下さい」とあった。

 姉はこの手紙をなぜ投函しなかったのだろう。書いたものの時期を逸してしまったのだろうか。姉とは15年も歳が違うので、私が姉を知った時は既に嫁にいった「オバサン」だった。小学生になってからはよく姉の家に遊びに行き、姉のダンナに相撲を教えてもらった。「ケンカは先手必勝だ」と教わった。「相手に考えさせる時間を与えるな」と言っていたから、予科練にでも行っていたのか、予科練に憧れていた少年だったのだろう。

 何が原因なのか知らないが、私が高校生の時に離婚してしまった。私は小学生の時、子ども用の自転車に乗って、姉のダンナの実家があった碧南まで行ったことがある。昭和20年代だから舗装された道はなく、海沿いに行けば着くだろうと思って出かけた。実家には中学生の弟がいて、その子が読んでいた雑誌に差別のことが書かれていた。私はそれを読んで、強い衝撃を受けた。

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