友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人には必ず華やいだ時がある

2019年04月08日 19時20分26秒 | Weblog

 昨日の「メモリアルコンサート」に、たくさんの人が来てくれてホッとした。友人・知人に頼み込んで出来る限りの人集めをしたつもりでいたが、もし少なかったらどうしようという不安はあった。予想を超える参加者に、私としては面目を保つことができた。演奏者からも「大勢入ってましたね」と言っていただき安堵した。

 そして何よりも、参加者から「とてもいいコンサートでした」とか、「素敵なコンサートにお誘いいただきありがとうございました」と言われた時は本当に嬉しかった。私が思い描いていた以上に宗教色が出ていたが、それも亡くなった彼への思い出として語られたので、嫌味にはならなかったのではないかと思う。

 亡くなる前の彼は信仰心に目覚めたかも知れないが、全盛期の彼はかなり世俗的な生き方だったと思う。それが悪いとは思わないし、秀でたマネジメント能力を活かして己を通していた姿は羨ましくもあった。ランチを出していた居酒屋で、昼間からビールを飲む姿を見たこともある。豪快だったが気配りもでき、根は優しいが自分の考えは貫く人だった。

 高校で教えていた時の卒業生が遊びに来た。昭和43年の入学の彼らとの付き合いはもう50年になる。デザインや絵画の話ではなく、糖尿やガンの話が多くなった。妻を亡くした男はかなりショックでぶっ倒れていたが、今日、見た限りでは元気そうに見えた。「順番通りにはいかない、そういうこともあると身を持って知った」と言う。

 歳を重ねていけば、どこかで身体に変調がくる。それは仕方がないこと、それを受け入れて生きていかなくてはならないのは誰でも同じだ。卒業生も亡くなった彼も、それぞれに活躍した全盛期があった。彼らは謙遜するかも知れないが、人には必ず華やいだ時があるものだ。待て待て、これからだと言う人もいるかも知れないが、悪い日ばかりが続くことはないし、良い日ばかりもない。

 卒業生は食べ切れないほどの大きなシュークリームを持って来てくれた。甘党の私はそれを食べ切ってしまったら、もう晩御飯は要らなくなった。美味しいものを食べ、大いに話し、そして美味しい酒を飲む。こんなに贅沢して、本当にありがたいと思う。

 

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「モリコロパーク」へ行って

2019年04月06日 17時19分51秒 | Weblog

 「モリコロパーク」へは前にも行ったはずなのに、何だか大きく変わっていた。社会人となった孫娘が子どもの頃だから、その変化について行けないのかも知れない。「モリコロパーク」の前身は「愛・地球博」で、この時も外国のパビリオンなどを珍しがって回ったはずだが、その時の遺物は空中廊下が一部残っているだけで、公園としてすっかり整備されていた。

 小4になる孫娘はこども広場にある児童総合センターがお気に入りで、ここは大勢の子どもたちで溢れていた。この建物は各地にある児童館を大型化したようなもので、いろんな遊びができる。真ん中にある「チャレンジタワー」は、大人もOKと言われ私も挑戦したが、斜めに造られているためか頭がクラクラして気持ちが悪くなってしまった。

 子どもたちを見ていると、友だちと来ている子が多いせいか、遊びの途中で出会っても新たに一緒に遊ぶことはないようだ。初めて会う子と仲良くなるのは、子どもでも無理なのだろうか。何が原因なのか分からないが、もの凄い血相で泣きじゃくっている子がいた。母親は「いい加減にしなさいよ」と叱りつけていたが、そんなに叱れば子どもは更に心を閉ざしてしまうだろうと思いながら見ていた。

 子どもは何か不満を抱えているはずだ。それを泣きじゃくることで表している。子どもがわがままを言ったら叱るのがいいと私には思えない。子どもの言いなりになっていたら、子どもはいつまでも成長しない。泣きじゃくるのには原因がある。1歩子どもに近づいてやれば、子どもは安心する。子どもとの触れ合いが上から目線であったり、「バカ」とか「ブス」とか「のろま」とか、否定されれば子どもは委縮するばかりだ。

 日陰にチューリップを移したのに、成長は止まらない。来週の半ばには咲き揃うだろう。皆さんにチューリップを見に来てもらうにはいつ頃がいいかと思案している。子育てが終わり、孫たちも大きくなって、ジジイは花だけが生き甲斐になっている。これもまた寂しい限りだ。

 明日の「メモリアルコンサート」は午後2時半開場、午後3時開演。場所は北名古屋市文化勤労会館大ホール。入場は無料。駐車場は会館南のプールの南。ぜひ、おいでください。

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またしても”忖度”

2019年04月05日 18時58分34秒 | Weblog

 「説明責任を果たしていく」と言っていた、塚田一郎国土交通副大臣が辞任した。理由は事実と異なる発言をし、行政への信頼を損ねたからと本人は説明している。派閥の親分である麻生副総理が推す知事候補のための応援演説が、今朝の新聞にその内容が掲載されていた。正直といえば聞こえがいいが、保守政治家の本性と私は思った。

 政治家が選挙の時、街頭で演説する内容は、「皆さんのために働きます」というものだ。これからの社会に向けて、どうあるべきかを提案していく、そんな候補は数少ない。目先の、ハッキリ分かる課題の解決、それで有権者の関心を引く、そんな演説が圧倒的だ。有権者も景気をよくする利益には関心があっても、地域の明日や地球の将来など語ろうものなら見向きもしない。

 有権者の利益になることを塚田副大臣は演説したが、確かに調子に乗り過ぎた。「私は物分かりがいい。すぐ忖度する」と笑わせたが、そんな発言が危険と理解できないことがこの議員の情けないところだろう。演説の前半で、「(私は)麻生太郎命、一筋でやってきた。筋金入りの麻生派」と述べ、「麻生派は渡世の義理だけで動いている。ほとんどやせ我慢の団体」と話すなど、とても社会の理想を語れる政治家ではない。

 けれど、有権者はこういう政治家に1票を投じてきたのだ。私のブログにコメントをくれるアリスさんは子どもの頃、父親から「政治家とマスコミの記者と芸能人にはなるな」と教えられたという。その理由は、「ウソが多く、他人から批判される。真っ当な人間が選択する職業ではない」からであった。軍医だったお父さんはこの3種の人たちにひどい目に遇ったのだろう。

 マスコミの記者になりたかった私は、ちょっと戸惑う。記者がウソを書くことがあるのだろうかと。もちろん記者も検討不足のまま記事を書くこともあるかも知れないが、政治家のような腹黒さがあるとは思えない。社会の行く末を見つめながら、記事を書いている記者の方が圧倒的に多いだろう。誰を信じるか、何を信じるか、結局、受け手の側の問題意識と言える。

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東邦が奇跡の優勝を成す

2019年04月03日 17時29分44秒 | Weblog

 寒風に震えながら小牧山へ上った。私が初めて上ったのは40年くらい前だったか、ハッキリ覚えていないが随分変わっていた。公園としてしっかり手入れされていた。私のぼんやりした記憶では、うっそうとした森の山城という雰囲気があった。東側の裾野は芝のきれいな公園となり、こんな寒い日でも「桜の宴」を行う人たちがいた。

 この辺りにもっと桜を植えたなら、市民の憩いの場になってもっと花見客も増えるだろう。小牧山は史跡だったのに、市役所と中学校が建てられ、おまけに頂上に鉄筋コンクリートの「天守閣」まで建築されてしまった。さすがにまずいと思ったのか、市役所と中学校は移転したが、「天守閣」は歴史館として残されている。

 織田信長が築城したという城は、山城だから江戸時代のような天守閣は無かっただろうが、どうしてそんな検証もせずに造ってしまったのだろう。最近の調査では結構大規模な城であったようだが、その調査資料はどこにあるのだろう。市役所の中を見たが、とても立派な建物で広々としている。40年前に私が出会った職員はもうひとりもいない。

 市役所の食堂で売っているという「花見弁当」は、午前11時半だったが既に売り切れていた。仕方がないので隣りのスーパーで寿司を買い、急いで帰宅してテレビをつける。センバツ高校野球の決勝戦は、愛知の東邦と千葉の習志野の対決である。習志野は粘り強く逆転で勝ってきたチームだけに油断はできない。東邦のピッチャーは1回戦からひとりで投げてきたから、疲れもあるだろう。

 けれど、まるでドラマ仕立ての決勝戦になった。終わってみれば完封勝利という、決勝戦らしくない結果で東邦が習志野に圧勝した。、東邦の石川投手の投打の活躍が目立った。平成の初めと終わりは東邦の優勝という、奇跡が現実のものとなった。やはり高校野球は面白い。何が起きるのか、何が起きてもか、ハラハラドキドキする。

 明日は小4になる孫娘と23歳の孫娘とカミさんと私の4人で、「モリコロパーク」へ出かけるので、ブログは休みます。

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花冷えの日々

2019年04月02日 17時58分23秒 | Weblog

 「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」(安倍首相談話)願いを込めて新元号は発表された。安倍首相は「悠久の歴史と薫り高き、四季折々の美しい自然}と言い、それを日本の国柄と表現してきた。言葉がとても美しい。

 最近の安倍首相は、自信と決断に満ちている。何の迷いもないから、批判や非難に全く動じない。むしろ見下している気さえする。口では「丁寧に、分かりやすく、真摯にお答えしていく」と口癖の言われるが、「分からない連中は放っておけ」といった態度がありありと見える。思想的には右派で、経済政策的には自由主義だが、やっていることはかなり社会主義国家に近い。

 「国民一人ひとりが活躍できる社会」「女性が輝く社会」「働き方改革」「企業は賃上げに努力を」など、かつての左派の政策を取り上げ、加えて、他国からの脅威に備えた軍備の充実拡大と、国際協力を口実にした海外派兵を進めている。立憲民主党は「専守防衛のための自衛力を着実に整備して国民の生命・財産・領土・領海・領空を守る」が基本政策だから、安倍政権と同じだ。

 4月に入って花冷えの日が続いている。我が家のチューリップはかなり花のしたを伸ばしてきた。出来るだけ花の時期を揃えたいと思って、花が大きくなってきた鉢を日当たりの悪い場所に移動させたが、果たして思惑通り咲くのを止められるのだろうか。みんなが揃って咲いてくれると嬉しいが、安倍首相のように「ひとり勝ち」のチューリップが生まれそうだ。

 明日は小牧山の桜を見に行き、「お花見弁当」を市役所の食堂で食べる計画だが、愛知県代表の東邦高校が決勝戦へ進んだので、観戦するためにはどうしようかと思案している。平成の初めと終わりが、東邦の優勝となればまるでドラマである。果たしてそうなるのだろうか、ガンバレ東邦!

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「令和」という時代

2019年04月01日 17時22分55秒 | Weblog

 新元号「令和」が発表されたが、何の感情もない。国民の多くが天皇制に親しみを感じているのに、反対だと言う気はないし、だからと言って何が何でも維持しなければという考えもない。むしろ、天皇やそのご家族が、「私たちにも一般の国民と同じ権利を」とおっしゃるなら、その意思を尊重すべきだと思う。

 元号は天皇家やそこにつながる人々が大事に受け繋げばよい。役所やそれに準ずる機関は、元号を使用せずに西暦で統一して欲しい。昭和だと何年、平成では何年、などといちいち計算しなくてはならないのはとても不便だ。日頃、頭を使わないのだから、そんな時くらい計算させるために元号を残しているのだろうか。

 しかし、今日は新元号が発表されるというだけでまるでお祭りのようだった。人は何かにつけ、祭りが好きなのだ。きっと、何かウキウキすることがないとやっていけないくらい「つまらい毎日」を送っているからだろう。毎日が日曜日のような我が家も、今晩は新元号の発表を祝して乾杯することにしよう。

 安倍首相が嫌いな友だちは、「安の字だけはつけて欲しくない。これで、憲法改正まで突き進んだら、もうお先真っ暗だ」とボヤいていたが、次は確実に憲法改定へ進めるだろう。

 安倍首相は「若い世代の新しいムーブメントは、確実にこれまでの政治や社会のありように大きな変化をもたらしつつある。本当に頼もしい限りで、日本の未来は明るいと感じている。新しい時代には、若い世代の皆さんがそれぞれの夢や希望に向かって思う存分活躍することができる、そういう時代であってほしい。この点が今回の元号を決める大きなポイントでもあった」と述べた。「令和」はそういう新たな時代になるだろう。

 

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