風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

タクシー業界の試練

2016-06-08 01:00:53 | ビジネスパーソンとして
 先日、業界団体の懇親会だの中学時代の同級生の集まりだのハシゴになって、同じ港区内で会場を移動するのに、地下鉄の乗換えで迂回するよりタクシーの方が早いだろうと、タクシーを拾ったらいきなり渋滞にはまって、そう言えば金曜日の夜だったと後悔しても時すでに遅く、2000円を越える痛い出費となってしまった。時間がかかったもう一つの理由は、タクシーの運ちゃんがナビ頼みの正攻法だったせいもある。ついシドニーを思い出してしまった。
 シドニーで生活したのはリーマンショックの頃のことだが、既に当時からナビゲーション・システムのないタクシーを探すのが難しいくらいナビ全盛の感があった。移民国家オーストラリアで、特段のビジネス・スキルもない移民にとって、車さえ運転できれば、都会でもナビの指示通りに走るのはワケないことだ。言わば参入障壁の低い(その分、給料も低い)仕事なのだ(多分)。日本では、かつてタクシーの運ちゃんと言えば何曜日の何時台はどの抜け道が早いなんていう職人芸が売りだったが、高齢化でそういったノウハウある方々が減っているのかも知れない。勿論、昔から転職したての運ちゃんが道に迷うなんてこともあるにはあったが、もはや日本でもナビ頼みは当たり前になって行くのかも知れない。
 前置きはこのくらいにして・・・そのタクシー業界が、試練に直面している。民泊と並んで白タクはシェアリング・エコノミーの代表格だからだ。アメリカ発のUberは、スマホ・アプリの位置情報から一般人が運転する近くの自家用車を利用できる仕組みで、一足先に導入が進んでいる欧米では商売が脅かされるタクシー業界との間で裁判沙汰になっていると聞く。日本では特区であってもタクシー業界の反発でガチガチに縛りをかけられているが、何と言ってもシェアリング・エコノミーは政府の経済成長戦略の一つとして位置づけられており、今後が注目される。それにしてもネットの破壊力は凄まじい。
 もう一つは、そもそも構造的にタクシー需要が頭打ちで、2007年頃からは漸減している問題だ。初乗り料金の値下げが検討されているのは、訪日外国人観光客が増える中で、海外の主要都市と比べて日本の初乗り料金の設定が明らかに割高に見えるからだったり、今後、高齢化社会に向かう中で、買い物や通院など近距離移動の需要が増えることも期待されたりするからで、なんとか閉塞的な現状を打開したいのだろう。そのため、現在、都心では2キロまで730円、以後280メートル当たり90円加算となっているところ、280メートル当たり90円加算は変えないで、初乗りの距離を例えば880メートルまで刻んで370円に設定して、少しでもニューヨーク(320メートルまで2.5ドル)やロンドン(260メートルまで2.4ポンド)に近づけて、新たな需要の掘り起こしを狙っているようだ。もしかしたら、こちらはそれなりに化けるかも知れない。が、国交省は実証実験を行って効果を検証するのだそうで、ご丁寧なことである。
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ジャパネットたかた

2016-05-20 23:57:35 | ビジネスパーソンとして
 先日、高田明さんの講演を聴いた。ジャパネットたかた創業者で、昨年1月に代表取締役社長を長男に譲ったのはどこかで聞いていたが、TVショッピングへの出演からも引退されていたとは知らなかった。どうりで暫くお見かけしない。
 講演冒頭で驚いたのは、いつもの上ずった・・・と言えば失礼だが、独特の甲高い声ではなく、実は低音のなかなか渋い声だったということだ。普段はこうなんです・・・と笑いをとる。しかし生まれ故郷(長崎県平戸市)の肥筑方言訛りは健在で、この朴訥としたイントネーションが独特の熱(テンション)を帯びて、えも言われぬ雰囲気を醸し出すのである。そしてこの日も、だんだん興が乗るとだんだん声が上ずって、ではなくて甲高くなって、その一途で一所懸命な様がこの方の魅力なのだとあらためて感じ入った次第である。
 話す内容も、長崎の田舎町のカメラ屋「カメラのたかた」を一代で年商1500億円を越える大企業(エコポイントがついて地デジがバカ売れした2010年には年商1789億円!)に育て上げたカリスマ経営者にしては、決して大風呂敷を広げることなく、むしろ朴訥な声の調子そのままに、着実で地に足がついて堅実である。
 例えば、成長の秘訣は、身の丈に合った経営をすることだと言う。自分のペースを守って、着実な成長を心掛ける。無理に背伸びをすると、急成長の歪みが生じて、サービスの質が低下し、お客さまに迷惑をかけることになりかねないから。だから、無理に株式上場を目指さない。もし上場したら、株主から短期間で高い成果を出すことを求められてしまうから。同じ理由で、創業以来、あえて売上目標を掲げて来なかった。高い売上目標を掲げ、社員に厳しいノルマを課せば、社内に歪みが生まれ、お客さまに迷惑をかけることになりかねないから。さらに競合他社のことも意識しない。競合他社に勝つことばかり考えていたら、例えば、お客さまが望まないような機能競争に巻き込まれかねず、従い商売の本質を見失ってしまいかねないから。大事なのは、お客さまの声を知ることであって、お客さまに喜んでもらうにはどうすればいいのか、日々考え、実行していけば、会社は自然と伸びていくと考える。
 そのために、シンプルに考える生き方を勧めておられる。我々は過去でも未来でもなく、「今」を生きている。「今」を生きていると考えると、課題が見えてくる。課題は、常に目の前にあるものだ。目の前にある現状と課題をキチンと受け入れ、先々の理想を追い求めることなく、「今」の成功に一極集中し、「今」に向き合って全力で行動すれば、課題を一つ一つクリアしていくことが出来る。出来ることが1割でもあれば、それを膨らませることが出来るように考え続ける。ジャパネットたかたも、会社を大きくするという大いなる野心を抱いて「今」に至ったわけではなく、与えられた課題を一つひとつクリアする中で、少しずつ成長して来たのだと言う。未来を変えていくのは「今」しかないのだ。
 原点は学生時代にあるように思われる。私も学生時代は勉強しなかったクチだが、高田明さんも(年代から想像できるように)ご多分に漏れず勉強しなかったらしい。しかし英語だけは別で、好きで一所懸命勉強し、卒業後も機械メーカーでヨーロッパを回りながら英語で商談する中で、本当に大切な英単語は1000くらいしかないと気が付いたと言う。大切なことは、ごく僅かな基本的な単語だけで話した方が伝わりやすく、上達すればするほど簡単な単語だけで喋るようになる、という事実だ。この原理・原則は英語でも日本語でも同じであり、TVショッピングのMCでも同じだと言う。仮にある商品の魅力がたくさんあっても、それらを全て喋るのではなく、大切な一つを選んできちんと伝える、その他の特徴もせいぜい5項目以内に絞って、専門用語を避け、簡単な言葉を使う、これらを英語から学んだのだと言う。
 もう少し個人に引きつけて言えば・・・「今」の課題をコツコツこなしていけば、語学学習のように、いつか大きく飛躍する瞬間が訪れる。所詮、人は基本的に一歩ずつしか登れない。一日一段登れば、十日で十段、そこまで根気強く努力を続け、夢を持ち続けられるかどうかが成功するかしないかの分かれ道だ。人の成長は、突然訪れ、次の一歩は十段になるかも知れない。元ソニーの出井伸之さんが創業された会社の社名に使われている「クオンタム・リープ(飛躍的進歩、Quantum Leap)」という考え方だ。やってみなければ分からず、やり続けた人にしか起こらない。でもそんな過程を踏むと、毎日やり続けることが楽しくて仕方なくなるのだと言う。
 まるで高田教の教祖のような、その朴訥ながら熱の籠った言葉につい惹き込まれる。未来への野心を消し、常に「今」に向き合い、目の前の課題に愚直に対処するところは、実に清々しいが、なかなか出来るものではない。実のところ上記内容は、ネットで拾った雑誌記事を講演内容に絡めて再構成したもので、実際の講演ではここまで明確に語られたわけではない。しかし、雑誌のように数百万人の目に触れる可能性がある厳密な言葉や文章と違って、講演会ではせいぜい数百人レベルで、ざっくばらんで気楽な言葉の多くは虚空に空しく消えてしまい、間合いを伴う雰囲気や気分の余韻とともに、幾ばくかのキーワードが記憶に残るだけだ。言ってみれば、タキシードの雑誌記事ではなく普段着の講演会にあって、高田明さんに大いに共鳴したことが二つある。
 一つは、ビジネス・マンとしての基本姿勢だ。もとより零細自営業あがりのカリスマ経営者と、しがないサラリーマンの私とでは、所詮は月とスッポン、高田明さんは「今」を一所懸命生き、着実に目の前の課題(Bottle-neck)を克服してきただけと謙遜しつつ飽くまでポジティブなのに対して、そもそもサラリーマンになりたくなくて、今は世を忍ぶ仮の姿と諦観する私は常々、サラリーマン人生は流れに逆らうことなく、まさにテレサテンよろしく「時の流れに身をまかせ」、「貴方の色」ならぬ「会社の色に染められ」る人生だと揶揄して如何にもネガティブだ。そんな私は、売り手市場の異常な就職戦線で、様々な会社から(「うん」と言えば)すぐに内定を出すと迫られる、今思えば幸運で異常ですらある状況に戸惑いながら、将来性豊かと見られたハイテク企業を選び、それでも20年もてばいいと斜に構えて(つまり大いに期待したわけではなく)入社したからこそ、その後の冷戦崩壊とグローバル化の中で、ハイテクはほどなくコモディティ化し、無限の成長は単なる幻想に過ぎないことも分かって、社内失業の憂き目も一度ならず、その時々で恨めしくも思い、状況に腐ったこともあったが、その時々の仕事に対しては、私なりのプロとしての結果を求め続けて来られたのだと思う。今話題の舛添さん?だけでなく野心に溢れた多くの人たちを周囲に見て来たが、むしろ私は「私」を消して、全体最適を意識しながら会社や事業体として何がベストかを追及して来たのが、ささやかな私のプライドである。良くも悪くも事業環境が激変する中で常に「今」を生き、目の前の課題に挑戦して来たという意味で、高田明さんの生き方に親近感を覚えたのである。表現や夢の方向は違うけれども。
 もう一つは、世阿弥の「風姿花伝」を愛読されていることだ。必ずしも原書でなくても、簡単な解説本でもいいから、最低10回は読んで欲しい、年齢とともに味わいも変わる、そんな読書経験を述べられて、能のことは知らないけれども世阿弥の言葉を愛する私との距離感は一気に縮まった。
 それにしても高田明さんのポジティブさには畏れ入る。静かなエネルギーの源泉はどこにあるのだろう。人それぞれの生き方の違いと言ってしまえばそれまでだ。それでも誰にも多かれ少なかれ夢にかける思いがあり、そこに少し火を点けてもらったような気がする。そして、それを人は「元気を貰った」と称するのだろう。高田教の教祖たる所以だ。
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星野リゾートの組織論

2015-11-10 01:11:19 | ビジネスパーソンとして
 先日、あるセミナーで、星野佳路氏の話を聴いた。
 代理店をリクルートし、それをレバレッジとして飛躍的に売上を伸ばせる量販事業とは違い、ホテル業などのサービス業は、事業を伸ばす場合、人材がボトルネックになる。だからと言って、成長したい人ばかりではなく、職位としてのマネージャーより現場での接客が好き、という人も少なくない。そのため、星野リゾートでは、人を「伸ばす」のではなく、今ある能力を使い切って貰う「発揮」と、それを「継続」してもらうことが重要だと言う。面白い表現だ。
 また、ピラミッド型の組織の場合、拠点が増える程に、その頂点にあって全てを管理するのは大変な工数になる。そのため、現場のことは現場で議論して決めて行くフラットな組織こそ重要だと言う。フラットという意味は、言いたい事を言いたい人に言いたい時に言える人間関係のことだそうで、ルールで決めて実現できるものではなく、文化だと言う。なるほどそういうものかも知れない。そのとき、discussion timeと言って、職位に関わらず「さん」づけで自由に議論して貰い、さらにexecution timeと言って、マネージャーが最終的に決定し、いったん決定されれば全員がそれに従うteam spiritが重要だと言う。
 そんなフラットな議論が大切なのは、一つには間違った意思決定を避けるためであり、もう一つには仮に間違った決定をしても全員がバックアップ(修正)しやすいからでもあると言う。つまり、バックアップ(修正)しやすい議論をすることが重要というわけだ。そのため、一般には上に行くほど情報量が多くなるものだが、フラットな議論を行うために情報を共有する必要があり、つまり情報の流れを変える必要がある。そして最前線の人に頭を使って考えてもらうのだ、と。
 かたやマネージャーは、一般には偉いと思われているが、そうではなく、権限がある人のことだと言う。因みに私は単なる役回りだと思っているが、それはそれとして・・・若手を抜擢すると依怙贔屓と言われ、抜擢しないと年功序列と言われるので、星野リゾートでは立候補制にしたそうだ。勿論、マネージャーより接客が好き、という人も少なくないからであるし、実際に、現場のスタッフの能力と職位としてのマネージャーの能力は、そもそも違うからでもある。マネージャーをやろうとする気持ちが大事なのであって、足りないところは戻って勉強すればいい。一般に下から上にあがることは「出世」と言われる一方、上から下に落ちると「降格」と言われるから恥と思うが、星野リゾートでは、下から上にあがることを「発揮」と言い、上から下に落ちることを「充電」と言うらいしい。なるほど、ポジティブだ。マネージャーだからと言って人間的に優れているというわけではない。だからこそフラットな組織文化が重要だと言う。ごもっとも・・・
 恐らくここでのポイントは、星野代表自身が、思いつきや自由な発想を言いたいらしいのである。それに対して様々な批判が欲しいらしいのである。結果、安心できる。そして、自分が正しいことを言わなければならないという、マネージャー(あるいは代表)としての思い込みから解放される、と言うことらしい。私自身を振り返っても、程度の差こそあれ、マネージャー(管理職の意)として多かれ少なかれそんな思い込みに縛られているものであり、ちょっとした緊張感もあるし、敢えて思いつきを言って批判を貰う相手を持つようにもしている。それだけに、星野代表の気持ちは、なんとなく理解できるような気がする。
 最近、マネジメント領域の本を読むことがめっきり減ったこともあり、また共感できることが多いこともあり、とても新鮮な気持ちで、かつ刺激をびんびん受けながら、久しぶりにスッキリ有意義な時間を過ごすことが出来た。
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東芝問題

2015-09-12 10:52:02 | ビジネスパーソンとして
 不適切会計とは東芝流の表現で、実態は不正会計あるいは世間でよく言われる粉飾決算と言うべきなのだろう。当初、名門企業・東芝が・・・と驚きを以て受け止められ、状況が次第に明らかになるにつれて、とても他人事とは思えなくなったサラリーマンが、私も含めて、多かったのではないかと思う。東芝と言えば、かつて冷戦たけなわの頃、関係会社である東芝機械がココム違反事件(共産圏に輸出された工作機械によってソ連の潜水艦技術が進歩し米軍に潜在的な危険を与えたとして日米間の政治問題に発展した事件:Wikipedia)を起こしてアメリカから叩かれ、親会社の東芝会長と社長が辞任する大騒ぎになったことがあった。それ以来であろうか、またしても信頼を大いに失墜する事態となってしまった。
 ようやく今週になって、2015年3月期の有価証券報告書を関東財務局に提出した。本来の提出期限である6月30日から、8月31日更に9月7日と、二度延期される二ヶ月強の遅れとなり、上場廃止という最悪の事態までも噂された。一連の不正会計で、過年度(2009年3月期から2014年4~12月期)の累計修正額は、税引前損益で実に2248億円にのぼり、2016年3月期の業績予想について、「営業面で行政処分や指名停止などについて予見できない」(室町社長)として、公表を見送るハメになった。
 そもそもの発端は、東芝関係者から証券取引等監視委員会に内部通報があったようだ。そして2月に監視委が東芝に開示検査をするに至って、不正が明るみになったという。さすがに義憤に駆られたのか、それにしても、ここに至るまでに随分時間がかかっている。
 その筋の専門家によると、企業が不正会計や粉飾決算を行う動機は2つあると言う。ひとつは赤字や債務超過状態を隠蔽するもので、そうでもしないと銀行融資が止められるとか、建設業であれば公共工事の入札に参加できなくなるなど、企業の死活問題に関わり、中小企業に多く見られるものだ。もうひとつは経営者のメンツや企業の体面、また社内の確執などに関わるもので、前年度より業績を上げるとか、何%成長させるなど、ステークホルダーにコミットしたばかりに、数字を糊塗して格好をつけてしまうものだ。東芝のような大企業は、当然、後者の方だ。
 そして、その原因として、今年7月、第三者委員会がまとめた調査報告書には、利益至上主義や、上司の意向に逆らうことが出来ない企業風土などが挙げられている。社会心理学の世界に、一人で考えれば気が付くことでも、集団だと見落とし、大きな過ちを犯すという概念で、「集団浅慮」という言葉があり、凝集性が高い、言い換えると同質性が高い組織ほど「集団浅慮」に陥るリスクが高まるとされ、東芝はこの状況になっていたのではないかと解説する専門家もいる。これもまた、さもありなんと思う。大袈裟に言ってみれば雨にも負けず風にも夏の暑さにも負けずカイゼンを繰り返しながら一つの畑を一所懸命に耕すといったような農耕民族・日本の社会では、本来は機能・利益集団である一般企業にしても、学校やその他の組織にしても、構成要員である一人ひとりに同質性が高いものだから、良い意味でも悪い意味でも、いつしか地縁・血縁的で運命共同体的な組織になりがちであり、「集団浅慮」にも陥りがちなことだと思う。
 利益至上主義ということでは、東芝の社長がカンパニー社長と面談する「社長月例」と呼ばれる会議などで、実現がとても不可能な業務目標を社員に強要する「チャレンジ」が話題になり、私も含めて、多くの企業人は敏感に反応した。その「チャレンジ」目標は、各カンパニーから各部へ、更に各課へと落とし込まれ、必達目標として個人にのしかかることになるのだという。これは他人事ではない。日本の企業では、多かれ少なかれ見られる日常のごく当たり前の光景である。日本電産の永守さんも、20%アップなどの目標を与えてこそ成長するというようなことを言われていたが、企業人として、販売拡大にせよ経費削減にせよ、敢えて5%ではなく20%レベルの目標を置かないと革新的な発想に至らないことは、人間心理についてのごく当たり前の知恵として、日常、運用している。いわば普通の人間が力を発揮し得る「のびしろ」のところでの話だ。東芝ではそれが一線を超えてしまったのか。
 東芝でも、その「チャレンジ」は、かつては「可能なら頑張ろう」という意味合いだったらしいが、2008年頃から「必達目標」へと変貌し始めたらしい。きっかけは、西田社長が出身母体のパソコン部門に利益の上積みを求めたことだという。その背景に、東芝の収益構造の悪化、すなわち不採算事業が延命され、稼ぐ力が弱まっていたことがあるという説明は、想像に難くない。
 西田社長と言えば、東大卒で重電部門を経てトップに登り詰めるのが伝統の東芝では異色のパソコン事業出身で、しかも中途入社だ。2005年6月に社長に就任すると、「集中と選択」を推し進め、その後の収益拡大に貢献した功労者で、2006年にはWHを54億ドル(当時約6300億円)で買収するなど、とりわけ原子力発電所事業と半導体事業の二つに集中投資してきた。そして2008年と言えば、リーマンショックに伴う金融危機の煽りを受けて世界景気が反転したときで、東芝でもこの年、過去最大の最終赤字3435億円を計上している。その後、2011年3月に発生した福島第一原発事故の結果、成長の柱として期待されていた原発事業に一気に暗雲が立ち込める。収益構造はイビツになり、2015年3月期の営業損益を見ると、NANDフラッシュメモリなどの電子デバイス事業が2166億円の黒字を稼ぐ一方、テレビやパソコン、白モノ家電などのライフスタイル事業は1097億円の赤字という、半導体事業依存体質に陥っていたという。
 西田社長の生い立ちとキャラクターが追い込まれた状況が産んだ悲劇なのだろうか。この異色の社長を盛り立てようと部下が頑張った、これも日本の組織では当たり前の美談だが、それが空回りしてしまったのではないかという話も聞こえてくる。結果として上司の意向に逆らえず不正に手を染めたのか、上司を盛り立てようと(上司の真意はともかく)上司の意向を汲んで阿吽の呼吸で受け入れたばかりに不正に手を染めるに至ったのか。
 デジャヴのようだ。
 戦前の日本の軍国主義の暴走と敗戦に至る悲劇を、リアリティのない「観念論」に求める議論があるが、「観念論」と呼ぶとアカデミックになって、そこにはまだ論理があるような印象を受けるが、端的に「観念論」(=論理)をも超越した「精神論」のせいだと言うべきではないだろうか。こう言うと一気に俗的になってしまうが、数年前、スポーツ界で体罰が社会問題になったのも、悪しき習慣に育まれた、スポーツ科学(論理)を超越した「精神論」のせいではなかったか。大東亜戦争でも、ちょっと戯画化すると、玉砕や特攻を産み出し、天皇陛下万歳を叫んで殉じる神国・日本として、アメリカをして恐懼させ、日本を弱体化させるために、GHQの占領政策で天皇制や神道を憎悪し、歴史観をも変えさせるに至ったのも、日本の組織に良くも悪くも巣食う、個を抑えた集団的な精神性のせいではなかったか。その戯画化した見立てが必ずしも正しいとは思わないし、日本だけに特有の組織の病とも言わない。欧米にだって同様の、あるいは別の組織の病が潜むものであろう(そして、彼らはそれを防ぐシステムを組織に組み込んでいる)。
 東芝問題の本質はまだ良く分からないが、想像力を働かせる内に、今なお同質性の高い日本の社会として、「絆」を誉めそやすのと裏腹に、組織的な弱点を抱え得るものであろうことは記憶してよいと、自戒を込めて思った次第である。そして日本のような組織では、とりわけコンプライアンスは、種々の再発防止策を立てるのはよいとして、組織の文化として深めるまでトップがしつこく声に出し、構成員が腹落ちして納得しないことには行動には表れないものであろうと思う。
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コピーと技術の話

2015-07-20 23:33:03 | ビジネスパーソンとして
 先月、インドネシアに出張したとき、模倣品、所謂コピー商品が多い国ランキングを聞いて、些か驚いた。私が就職した頃、それこそ30年位前は台湾や韓国がその中心だったが、今は1位バングラデシュ、2位インドネシア、3位中国なのだそうである。中国が1位じゃないのは、私の認識が甘いだけで、世の中はどんどん進んでいるようだ。7~8年前、ペナン島に駐在していた頃、出張者を連れてナイト・マーケットに行ったときに、ブランド品をコピーした時計を売っている店員に聞いたら、台湾製ムーブメントはA級品だと自慢げに語っていて、言うまでもなく中国製がB級品だったのに。それが今やバングラデシュである。ユニクロが進出したことが先ず浮かぶから、軽工業が離陸しつつあるステージにあるということだろうが、こうしてコピー大国が移ろうのは、世の流れである。
 因みに米通商代表部が公表する「2014年スペシャル301条報告書」では、知的財産権保護が不十分などとして、中国を「優先監視国」に指定している。日本の特許庁が3月に発表した模倣被害調査報告書(2014年度)によると、日本企業の海外での模倣品被害を国・地域別にみると、中国が67.0%と最も多く、台湾、韓国がともに19.7%と同率2位となっており、同報告書は「特に中国、台湾、韓国、ASEANにおいて模倣被害が増加傾向であるとする回答が多い」と指摘している。バングラデシュやインドネシアまで監視の目が届いていないのかも知れない。
 そんな中国をはじめとするサイバー攻撃は激しくなるばかりで、年金情報が流出したのは記憶に新しいが、さすがに経産省あたりも、日本の企業情報が盗まれることには神経を尖らせているようだ。中国は、これまで安い労賃を売りに、外資を誘致し世界の工場として経済発展を遂げてきたが、人件費高騰によってこの経済モデルは曲がり角に来ている。日本を追い越し世界第二の経済にまで成長したものの、自律エンジンがなく、中所得国の罠に陥って踊り場に来て焦る中国政府は、「ニューエコノミー(新常態)」と嘯き、表では中国に進出している外資企業の情報にアクセスする権利を主張する一方、裏ではサイバー攻撃により成長エンジンとなるべき技術情報の窃盗に余念がない。しかし技術情報は盗んだところで、そのときはいいが、技術を育てる人がいない限り、続かない。中国の故事にあるように、貧しい人には魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えなければ、やっぱり一生、食うに困ることになるのである。果たして中国の工業生産力は持続可能なのであろうか。
 韓国では、技術や職人を軽視する儒教文化が根強いこともあって、日本のようには中小企業における技術の蓄積が進まず、相変わらず財閥系企業のみが繁栄している。そんな韓国で、韓国製品の中国への輸出が減少しているという統計が発表され、波紋を呼んでいるとの報道があった。近年、中国における模造品や海賊版の品質が高くなっており、韓国に焦りが見えるらしい。韓国も中国も似たもの同士。果たして韓国の工業生産力も持続可能なのであろうか。
 さて、日本では、円安により、生産の国内回帰の動きがあるが、概して技術者が高齢化しており、技術の伝承に苦労している企業が多く、技術立国も安穏としていられない状況にある。思えば、日本だって、モノマネしながら技術を身につけ、世界の工場にのしあがった。その地位を韓国・台湾さらには中国に譲って久しいが、それでもなお製造装置やキー・コンポーネントでは一日の長があって、中国や韓国から頼られている。東日本大震災のとき、中国が最初に言ったのは、お見舞いの言葉ではなく、「早く部品生産を回復してくれ」だったという(が、都市伝説か)。尖閣海域での漁船衝突事件の際、レアアース調達で中国にイジワルされて、代替製品の技術開発に努めたところ、中国のレアアース企業を倒産に追い込むまでになった。日本では自国防衛産業の再生に動き出しているのは主に原低が目的のようであるが、いくら同盟国からとは言え輸入する防衛装備品は二級品(一世代前の旧技術)であるのは至極当たり前の話で、それは中国がロシアから戦闘機を買う場合も、インドがロシアから潜水艦を買う場合も、同様であろう。しかし、それでは防衛力の点でいつまで経っても防衛装備品輸出国に追いつかない道理である。ことほど左様に、技術力は経済力だけでなく国力の源泉でもある。政権交代したときの民主党は、国民に金をばら撒く奇策を打って、世間をあっと言わせたが、そのまま消費に繋がるか疑問だったし、産業政策は貧弱だった。自民党政権で役所がまとめる産業政策に関する報告書は、民主党政権時代よりずっと充実しているそうである。経済の循環は、残念ながら自民党の伝統的政策のように先ず企業から・・・が王道なのかも知れない。
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たかが炊飯器と言う勿れ

2014-10-24 01:59:12 | ビジネスパーソンとして
 日経朝刊に連載されている「食と農」シリーズの月曜日の記事に「世界に広がる炊飯器」のタイトルのもと、コメ卸最大手の神明ホールディングがアメリカ西海岸にコメ加工工場を設け、来春から、ライスバンズ(表裏をこんがり焼きあげた手のひらサイズの薄いコメのパテで、電子レンジで1分間温めて、サーモン、アボカド、半熟卵を載せて食べる)を売り出す話や、中国の富裕層の間で「日本製の高級炊飯器でごはんを炊くのがステータス」という象印の奮闘ぶりや、ローソンのハワイの店舗が日本風おにぎりのコメを日本米に変えたところ、おにぎりに適したコメのもちもち感が現地で受けている、といったエピソードが多数取り上げられていました。食の安全を求める声も加わって、外食や小売りが国産米に回帰していること、また、コメの食べ方を突き詰めて来た日本の加工技術を通して、まだまだ消費拡大を狙えるという、元気の出るテーマ記事です。
 食品会社やメーカーの開発物語は、それは涙ぐましい、しかし実に興味深く、日本人に勇気と元気を与えてくれるような職人芸の世界が今なお色濃く残っていて、テレビや雑誌で取り上げられますので、必ずしも珍しいことではないのですが、受け手(読み手)である私の気の持ちようによって、感涙にむせぶこともあります。この日の日経に、続けて取り上げられていた2つのエピソードを再録します。
 一つは、大阪・堺の大衆食堂「銀シャリ屋 ゲコ亭」のご主人・村嶋孟さん(83歳)の話です。「飯炊き仙人」の異名をもつご主人の美味しいご飯を求めて、店には午後1時までの間に約200人がひっきりなしに訪れるそうですし、これまで多くの炊飯器メーカー社員が弟子入りし、釜の内部15ヶ所の温度を測ってムラのない炊き方を科学的に分析し、コメが重ならない広く浅い釜や二枚重ねの蓋などの工夫を量産化に繋げ、ヒット商品に育てたメーカー(象印「極め羽釜」)もあるのだそうです。83歳のご主人もご主人なら、メーカーもメーカーです。
 「かまど炊きのご飯を再現せよ」というのが炊飯器の開発担当者に共通する合言葉だそうで、それでもなお「食べ比べるとどんな高級炊飯器もかなわない」(東芝ライフスタイル)のが現実だそうです。
 もう一つは、パナソニックの「ライスレディー」の話です。開発中の炊飯器で炊いた白米を食べることを業務とする女性社員8人は、ご飯の味で炊飯器の機種が分かるほどの実力の持ち主だそうで、レディーたちに「美味しい」と言わせなければ発売できない徹底ぶりです。
 たかが炊飯器と言う勿れ。旅行にくる中国人が大挙して銀座や秋葉原で化粧品や炊飯器をお土産に買い求めるのは、日本で売られているのが偽物ではなく間違いなく「本物」だからですが、彼らだって(多分に流行に乗っているとはいえ)良いモノは分かっていると見えます。だからと言ってモノづくり大国・日本の復権を期待するといった大風呂敷を広げるつもりはありませんし、日本経済を牽引して欲しいといった途轍もない夢を語るつもりもありませんが、面目躍如に溜飲が下がる思いがするのは誰しも同じではないでしょうか。このあたりのこだわりはいつまでも失って欲しくない気がします。
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社会的責任・続

2013-11-05 23:24:34 | ビジネスパーソンとして
 前回のブログでは、阪急阪神ホテルズの食材「誤表示」問題に関連して、初動のお粗末さについて書きました。現代の企業経営においては、コンプライアンスに対する感度を高く保持しなければ、ブランド・イメージに甚大な影響を及ぼしかねません。同社の場合も、折角、自主的に調査した結果を公表するという見上げた行為であったにも係らず、社長の態度が非を認める率直さに欠け、往生際が悪いと見えたために、却って世間の反感を買ってしまったものと思われます。
 さて、食材「偽装」表示の問題は、予想外の拡がりを見せています。産経新聞のネット・ニュースは、当初、「阪急阪神食材誤表示」と小見出しがついていたものが、23日には「阪急阪神食材偽装」に変わり、26日からはとうとう特定企業名を冠さずに単に「食材偽装表示」とタイトルされるようになりました。帝国ホテルでは、非加熱加工のストレートジュースをフレッシュジュースとして提供していたことが明らかにされましたし、近鉄系ホテルでも、一部メニューに牛脂注入肉を「ステーキ」と表記したり、解凍魚を使っていたのに「鮮魚」と表記したりしていたことが明らかにされました。今日のニュースでは、とうとう老舗百貨店の高島屋でも、レストランなどの店内テナントで、メニュー表示や商品名と異なる食材を使っているケースがあったことが明らかにされました。
 貧すれば鈍する、ということを思わざるを得ません。
 たとえばホテルは、今や老舗旅館や高級外資からビジネス・ホテルまで入り乱れ、長引くデフレ不況の中で、客足が鈍って価格引き下げの圧力に晒されていることでしょうし、レストランも、高級店からファーストフードまで様々な業態の熾烈な競争環境にあって、恐らくデフレ日本でも最も価格競争が激しく、食材はグローバル調達が当たり前で、製造現場では1円否1銭のコスト・カットにも汲々としていることでしょう。そのあたりを背景にしているであろうことは容易に想像されるところです。勿論、私だって性善説を信じたいですが、全てが善だと信じるほどナイーブではありませんし、人間はそもそもそれほど強くありません。一人きりで判断するときには善であっても、集団となれば別の心理が働くことは往々にして目にするところです。それにしても、どいつもこいつも・・・との思いを禁じ得ません。中には10年近く前から行われていたものもあるようで、それによって、安全な食を正当に届ける努力を続ける正直者が淘汰されて馬鹿を見る、所謂「悪貨が良貨を駆逐する」ようなことがあったとすれば、浮かばれませんし、消費者としても、騙されることはもとより、こうした不正がまかり通る社会は許せません。企業は生き物です。環境も変われば、会社を担うマネジメントも従業員も変わる。だからこそ創業者の思いや、コンプライアンス意識は、繰り返し思い出させないことには、風化してしまいがちです。中国のように健康に害を及ぼすものではないとは言え、消費者のブランド信仰に付け込むという意味では日本らしい、悪質なものでした。
 以前、このブログで、日本人の「正直さ」「清潔さ」を褒めたばかりでした。日本人の商売の基本は、顧客との関係性を軸に「信用」に重きを置くものだったはずです。裏切られた私たち消費者の思いは、やり場のないものです。横並びという決して誇れる性向ではないにせよ、それなりに伝統も実績もある企業が連座する姿は、辛うじて自浄作用が働いている証拠でもあります。これを奇禍として原点回帰し、再生を期して欲しいと思います。とても他人事には思えませんから・・・
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社会的責任のこと

2013-10-31 03:03:20 | ビジネスパーソンとして
 阪急阪神ホテルズ系列8ホテルのレストランなど23店舗で、事実と異なる産地「誤」表示問題が発覚しました。「鮮魚」と表示しながら冷凍保存した魚を使い、「手ごね」煮込みハンバーグや「手作り」チョコソースと表示しながら既製品を使っていたほか、「芝海老」にバナメイエビを、「九条ねぎ」には一般的な青ネギや白ネギを、「霧島ポーク」には産地が異なる豚肉を、「レッドキャビア」にはトビウオの卵を使用するなど、「偽装」料理は47品目に及び、2006年から今年9月にかけて7年半にわたり、提供した顧客は実に8万人にのぼるそうです。
 当初24日に行われた社長の記者会見は、「信頼を裏切ることになったお客さまにお詫びする」謝罪目的のはずが、「偽装という言葉が『偽る意思を明確に持って』という意味ならそうではない」「従業員が意図を持って表示し利益を得ようとした事実はない」として「偽装」ではなく「誤表示」と強弁し、多くの視聴者から違和感を持たれたものでした。そのため、28日に再び開かれた社長の単独記者会見では、「ブランド全体への信頼失墜を招いた」として、不祥事の責任を取って社長を辞任する事態に追い込まれました。
 企業の社会的責任(所謂Corporate Social Responsibility、略してCSR)が叫ばれる昨今、このようなコンプライアンス事故では、初動が極めて大事だと思います。22日に発覚したときにも、「このような事態を引き起こしたことを重く受け止め、再発防止に全力で取り組む」としながら、「メニューの作成担当者と食材発注者がとの連携がうまくいっていなかったことが原因」「意図的ではなく、景品表示法やJAS法の理解が不足していた」などと、およそホテル業あるいはレストラン業のプロらしからぬ言い訳ばかりが印象に残りました。往生際が悪すぎますね。これでは社会的責任ある企業の初動の対応としてはお粗末であり、以て他山の石とすべきでしょう。
 今年6月に、東京ディズニーリゾート(TDR)のホテルやプリンスホテルで、メニュー表記と異なる食材を使ったことが相次いで判明し、この問題が、阪急阪神ホテルズが今回の調査を行うきっかけになったようですが、食の問題に対する消費者の目は厳しく、2007年に料理の使い回しや食材の産地偽装が発覚した大阪の高級料亭「船場吉兆」は廃業に追い込まれたことが記憶に新しい。農林水産省では、昨年3月に「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、無形文化遺産登録を目指してユネスコに申請しているところであり(今年12月に可否が決定される予定)、世界的に信頼性が高い日本ブランド、その象徴として、「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」といった特徴で語られる和食ブランドに与えるダメージは小さくなく、極めて残念と言わざるを得ません。
 しかし社会的責任と言って、北京の天安門前で発生した車両突入事件で見せた中国共産党の姿勢は、見事でした。ご存じの通り、28日正午過ぎ、1台のSUVが天安門前の歩道を暴走し、建国の父・毛沢東の肖像画の下で柵に衝突し炎上しました。警察車両60台以上が出動し、厳重な警戒態勢が敷かれ、かつての新幹線事故同様、中国のお家芸のように、車両はすぐさま撤去されたほか、ネット上の衝撃度の高い写真や「政治的な要求があった」と計画的犯行を疑う書き込みなどは次々と削除された模様で、同日夜には、多くが閲覧できなくなったそうです。また、現場近くで取材しようとしたAFPや英BBCの記者らが一時拘束されたほか、翌日午前11時、この事件をトップニュースで報じようとしたNHK国際放送の画面はBlack-outされ、視聴が制限されたそうです。1989年の天安門事件と同様、人民解放軍は人民のためになく、党の私設軍事組織の如くであり、中国共産党は人民とともになく、清の王朝の如くであることは、今さらながら言うまでもありません。中国に比べたらマシだと思っていてはいけないのでしょう。
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イプシロンと宇宙の夢

2013-10-22 01:59:30 | ビジネスパーソンとして
 かれこれ一ヶ月くらい前のことになりますが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の新型ロケット「イプシロン」初号機が打ち上げられ、搭載した「惑星分光観測衛星SPRINT-A」(「ひさき」と命名)が予定の軌道に投入されました。当初打ち上げが計画されていた8月22日が27日へ、さらに9月14日へと、二度にわたって変更されながら、当日、鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所には、2万人の見学客が訪れたと言いますから、人々の注目のほどが分かります。
 特に私のような世代以前の人には、今から44年前(1969年7月21日)、アポロ11号が人類を初めて月面に立たせた記憶があり、当時、宇宙への夢を掻き立てられたように、その感動を子供たちに伝えたいという思いがあります。そのとき、アームストロング船長が発した言葉が後に有名になります。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.)」 私よりもう一世代古い方々には、ボストーク1号による人類初の有人宇宙飛行(1961年4月12日)を記憶されているかも知れません。成功させたユーリイ・ガガーリン大佐の言葉「地球は青かった」は、実は日本でのみ有名で、4月13日付イズベスチヤに掲載されたルポ(着陸地点にいたオストロウーモフ記者によるもの)「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」(Небо очень и очень темное , а Земля голубоватая)からの引用とされます。日本以外では「ここに神は見当たらない」という言葉が有名なのだとか(Wikipedia)。日本と日本以外の自然観や宗教観を連想させてなかなか面白いと思いますが、余談です。
 二点述べたいと思います。一つは、コンピューターとの関連、もう一つは軍事技術との関連です。
 アポロ11号打ち上げのとき、巨大な管制室に大勢の人が詰めていた状況が思い浮かびますが、実際に地上で待機していたコンピュータ群は、IBMのメインフレーム370シリーズ8台だったと言われます。今回、「イプシロン」を同列に論じてよいのか疑問はありますが、「パソコン2台で機動的に運用できるモバイル管制と合わせて、点検や管制に携わる人手を省力化した」と報じられ(産経新聞)、発射管制室は小ぢんまりしていたそうです。もっとも、コンピュータのサイズ小型化は、性能が進歩しているから当然のことで、アポロ11号のメインフレームは、メモリ2MB、クロック・スピード800KHz、ハードディスクの容量は全部合わせて2GBだったと言いますから、今のパソコン以下の性能で、今回もパソコンで制御しているという意味では、そもそもその程度のことでしかないということに驚かされます。むしろ、今回、機体を自動点検する人工知能装置を世界で初めて搭載したことで、今後、ロケットや探査機は、自律型の宇宙飛行ロボットに進化していくのが、なかなか興味深く感じられました。
 また、今回のような衛星打ち上げ機(Satellite Launch VehicleまたはSpace Launch Vehicle)と、弾道ミサイルの間には技術的な差がないと言われるのはその通りで、搭載物(ペイロード)と飛ばし方(トラジェクトりー)が違うだけなのだそうです(因みに「ロケット」とは推進手段の呼び名で、「打ち上げ機」や「ミサイル」は用途(目的)による呼び名)。そもそも宇宙開発は初めから弾道ミサイルの技術に乗っかって進展して来ました。そのため、中国や韓国のメディアは、今回のイプシロン打ち上げに敏感に反応しています。「イプシロンの技術は弾道ミサイル製造に転用できるため、軍用目的についての臆測を呼んでいる」(中国中央テレビ)、「日本が14日、大陸間弾道ミサイルへの転用も可能な新型固体燃料ロケット『イプシロン』の打ち上げを成功させた」(朝鮮日報日本語版)といった具合いです。航空評論家の浜田一穂氏によると、国内でも、日本のロケット開発は弾道ミサイルの隠れ蓑と疑いの目で見られ(他方、タカ派からは熱い期待を寄せられ)、実際にこれまでの日本のロケット技術はおよそミサイルには向かないように発達してきており、言わば一品生産の工芸品のようなもので、今回のイプシロンによって打ち上げの手間が大幅に簡略化されたとはいえ、大陸間弾道弾の開発には、さらに再突入体(RV)の開発など技術的なネックはあるようです。しかし「過大評価で恐れられるのもまた一つの安全保障」と、同氏も述べておられます(「軍事研究」11月号)。
 「イプシロン」は、旧・文部省宇宙科学研究所が開発したM5ロケットの後継機にあたります。M5と言えば、世界最大級の固体燃料ロケットで、小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げなどで成果を上げましたが、75億円と割高な打ち上げ費用が問題視されて、2006年にいったん廃止されました。そこで、「イプシロン」では、打ち上げ能力をかつてのM5の約7割に抑える一方、低コスト化を徹底的に追求し、開発費はM5と比べて4割減の205億円、打ち上げ費用は半減の38億円(定常運用時)に抑えることに成功しました。これまでの主力機H2Aと比較しても、全長は約24メートルでほぼ半分、ペイロードは1・2トンで約8分の1、その代わり打ち上げ費用は3分の1に近く、日本は低コストで機動力のある新ロケットを手にしたわけです。政府の宇宙政策委員会は、液体燃料を使うH2Aやその増強型であるH2Bなどの大型機と同様に、固体燃料を使う小型機の「イプシロン」を、国にとって不可欠な「基幹ロケット」と位置付ける方針を打ち出しました。こうして、今後、多様化する衛星需要に柔軟に対応できるようになります。
 去る5月、もう一つの基幹ロケットH2Aの後継となるH3ロケットの開発に着手することが報じられました(2020年に打ち上げ目標)。以前、このブログに、技術の伝承の難しさについて書きましたが(注)、三菱重工によると、H2Aの開発が始まった1996年から既に17年が経過し、宇宙開発事業団(当時)とともに開発に携わった技術者は高齢化が進み、同社に部品を供給するなどした会社のうち、2011年度までに54社がロケット事業から撤退したそうで、ロケットの技術力を維持するためには、新規開発の機会が必要だと言います。とりわけ、偵察衛星も打ち上げるH3ロケットは、国の安全保障を担います。ロシアでは、旧ソ連崩壊後の財政難で技術開発が停滞し、この3年半で8回も打ち上げに失敗したのは、「技術者の流出や高齢化に直面している可能性がある」(文部省)と見ており、日本には同じ轍を踏んで欲しくありません。

(注)「ものづくり命」http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130925
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シリコンバレーという生態系

2013-10-11 23:46:47 | ビジネスパーソンとして
 一昨日の日経朝刊に、シリコンバレーにあるパロアルト研究所CEO(スティーブ・フーバー氏)のインタビュー記事が出ていました。
 情報機器の主役は、パソコンからスマートフォンやタブレットに代わり、更に3~6年後には腕時計型などウェアラブル端末が普及するとか、パソコンの時代には、ハードやソフトなど製品毎に製造メーカーが分担する形が効率的だったが、顧客にどんな体験をもたらすかが問われるようになり、ハード・ソフト一体の(もっと言うとハード・ソフトにとらわれない?)アップルが躍進したように、一時の成功者は後れをとり、再編に至るパターンが繰り返される、といったような、いわば当たり前の話から、ビッグ・データの影響は?と問われて、センサー搭載が進み、全てのモノが情報通信インフラの一部になる(「モノのインターネット」と呼ばれる環境)とか、コンピュータだけでなく現実世界から大量のデータが発生するため、自分の車が今どこにあるのかネットで調べるなど、情報に加えモノもググる(検索する)時代になる、などといった、なるほど捉え方がユニークで面白い形容だと思える話もあって、なかなか興味深いのですが、スティーブ・ジョッブズ氏が亡くなって2年になり、イノベーションの停滞はないか?と問われて、彼は驚くべきイノベーター(改革者)だが、その彼もシリコンバレーという生態系の産物であり、生態系からは絶えずイノベーターが誕生しており、革新ペースは落ちていない、と、「生態系」という譬えをしたところが印象的でした。
 多かれ少なかれ街や地域社会も一種の「生態系」を成すと考えられますが、それが特徴的であり、しかも他に比べて突出(outstanding)していることが重要で、パロアルト研究所CEOが単に「生態系」と呼んだ中には、特徴的で突出した、といった意味合いを当然のように込めているものと思います。
 かつて、「現代の二都物語」(初版1995年、新訳2009年、ディケンズではなくて、アナリ―・サクセニアンというカリフォルニア大学バークレー校教授の著作)で、1970年代に、汎用コンピュータより小型で部門コンピュータとも呼ばれたミニ・コンピュータを製造するDEC(ディジタル)やWangやDG(データゼネラル)などの企業を輩出し一世を風靡したマサチューセッツ州ボストンのルート128沿いの地域が、1980年代にパソコンが勃興するとともに廃れていき、新たに西海岸のシリコンバレーが脚光を浴びたことから、両地域の産業集積の違いを比較・分析し、経済地理学の一つの事例として論じられたことがありました。ルート128が、高度に垂直統合され、相互に閉鎖的ないくつかの企業から成り立っていたのに対し、シリコンバレーは、水平分業の企業群(クラスター)が集積し、これらが、西海岸という風土に似て、非公式でオープンなネットワークで繋がれ、開放的で流動性の高い労働市場を形成し、知識やノウハウが地域内で動き、言わば共有されるのが強みとなっている、というような話でした。
 パロアルト研究所のCEOが生態系と形容したのは、まさにこうした特徴的で突出した地域特性のことで、レベルは違いますが、中国の沿海地域も、大小さまざまの部品産業が集積することによって生産・流通システムが確立し、人件費が多少高騰しても、世界の工場としての優位性がなかなか揺らぐことがないのは、こうしたクラスターによる強みのお陰だと言えるでしょう。
 今や都市間のグローバルな競争が取り沙汰される時代で、益々、この著作の内容は産業政策として有益な内容をもつせいか、せいぜい2千円弱の初版(大前研一さん翻訳)は、一時期、中古本で1万円の値をつけて驚かされたことがありました。それほどの人気があってこそ新訳が出て、値崩れを起こしましたが、今またアマゾンでは、新訳の中古本の最低価格が5,472円、コレクター商品に至っては19,250円の値をつけて、再び驚かされます。20年近く前の著作ですが、今、思い返しても、実に現代的な意義があり、トヨタが企業レベルでカイゼンを血肉化したように、地域レベルでイノベーションを生態系として実現できるのか? 日本のアベノミクスで、果たしてこうした産業政策が活かされるか? 国民性や風土とも絡んでなかなか興味深いテーマです。
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