戸外で運動するにはよい季節になった。私にとっても、今日ようやくマラソン・シーズンが始まった。東京マラソンが決まらないことには始まらない・・・と嘯いて、落選通知があってから更に二週間が経ってしまった。この年齢では練習量が日本一少ないのではないかと自慢にもならないことを自慢するズボラな私には、これから半年程のシーズンに突入するにはそれなりの覚悟が必要で、夏場の半年間は完全休養して、また走ってみようかという気になるまで待たなければならないのが、自分でも厄介だ。
今年の東京マラソンへの応募者は32万人と相変わらずの人気ぶりだが、昨年より1,700人弱減った。僅かとは言え、これまで確実に応募者を増やして来て、減少に転じたのは初めてではないだろうか。また今年は、東京マラソン(来年2月25日)の一週間前に開催される青梅マラソン(来年2月18日)の申込みが先行してしまい、東京マラソンに落選したから青梅マラソンに流れる・・・はずが、やや躊躇する事態となった。まあ確率的には躊躇するほどではなく、どうせ・・・と高を括り、やっぱり・・・当選せず、この冬も青梅マラソンを目標に身体を造って行くことになった。
実に半年振りのジョギングだった。最近、ちょっと下腹部に皮下脂肪がつき始めたのが気になっていて、走り始めると、下腹部もさることながら、皮下脂肪は背中全面に広がっているのだろうか、背中全体が突っ張るような感じがして、所謂身体のキレが悪い。心臓の筋肉も衰えているようで、すぐに息切れがする。後半になると、腰や背骨周りの筋が衰えて上半身を支え切れないのだろうか、腰が痛くなり始めた。靴も、半年前、シーズンで最も身体が出来ていた頃の靴紐の状態のままで締めると、ちょっとキツイ。いつもは10キロを軽く1時間ほどで走るコースだが、15分ほど余計にかかってしまった。ところで、走ると足に体重の3倍の力がかかるといわれ、走り終わる頃にはヨタヨタなのだが、内村航平選手の着地には700キロ?だったかの圧力がかかると森末さんが言われていたので、更にその3倍以上の力になる。意識と身体がちょっとズレると大怪我に繋がるのは道理だ(うっちーも歳かなあ・・・)。
しかし、久しぶりに意図して汗をかくのは心地よい。普段、歩くときに痛む右足指の関節まわりも走るときには何故か気にならない。途中、拓殖大学の学生さんの一群(陸上部かどうか分からない)とすれ違って、とぼとぼ走る私には、その軽やな走りが羨ましい。私だって十代の頃は飛び跳ねるように走っていたものだが、今はそんなバネや全身のバランスの良さは見る影もない。歳をまた一つ重ねて、同じ練習をしているだけでは衰える一方で、今年はどうやって記録を伸ばそうかと、しばし思案中である。
今年の東京マラソンへの応募者は32万人と相変わらずの人気ぶりだが、昨年より1,700人弱減った。僅かとは言え、これまで確実に応募者を増やして来て、減少に転じたのは初めてではないだろうか。また今年は、東京マラソン(来年2月25日)の一週間前に開催される青梅マラソン(来年2月18日)の申込みが先行してしまい、東京マラソンに落選したから青梅マラソンに流れる・・・はずが、やや躊躇する事態となった。まあ確率的には躊躇するほどではなく、どうせ・・・と高を括り、やっぱり・・・当選せず、この冬も青梅マラソンを目標に身体を造って行くことになった。
実に半年振りのジョギングだった。最近、ちょっと下腹部に皮下脂肪がつき始めたのが気になっていて、走り始めると、下腹部もさることながら、皮下脂肪は背中全面に広がっているのだろうか、背中全体が突っ張るような感じがして、所謂身体のキレが悪い。心臓の筋肉も衰えているようで、すぐに息切れがする。後半になると、腰や背骨周りの筋が衰えて上半身を支え切れないのだろうか、腰が痛くなり始めた。靴も、半年前、シーズンで最も身体が出来ていた頃の靴紐の状態のままで締めると、ちょっとキツイ。いつもは10キロを軽く1時間ほどで走るコースだが、15分ほど余計にかかってしまった。ところで、走ると足に体重の3倍の力がかかるといわれ、走り終わる頃にはヨタヨタなのだが、内村航平選手の着地には700キロ?だったかの圧力がかかると森末さんが言われていたので、更にその3倍以上の力になる。意識と身体がちょっとズレると大怪我に繋がるのは道理だ(うっちーも歳かなあ・・・)。
しかし、久しぶりに意図して汗をかくのは心地よい。普段、歩くときに痛む右足指の関節まわりも走るときには何故か気にならない。途中、拓殖大学の学生さんの一群(陸上部かどうか分からない)とすれ違って、とぼとぼ走る私には、その軽やな走りが羨ましい。私だって十代の頃は飛び跳ねるように走っていたものだが、今はそんなバネや全身のバランスの良さは見る影もない。歳をまた一つ重ねて、同じ練習をしているだけでは衰える一方で、今年はどうやって記録を伸ばそうかと、しばし思案中である。