「オリビアを聴きながら」は、尾崎亜美が作詞・作曲し、後には躍動的な杏里がしっとりと歌ったデビュー・シングルで、数えたら、かれこれ44年も前のことになる(信じられない・・・)。発売当時はオリコン・チャートで最高65位とパッとしなかったようだが、その後、多くの人に歌い継がれ、愛されている名曲だ。ここで歌いこまれたオリビア(・ニュートン=ジョン)が亡くなった。享年73。
「オリビアを聴きながら」では、私らしく一日を終えたい夜に、眠り誘うジャスミン茶を飲みながら、オリビアを聴くのだが、私はメランコリックに当時の雰囲気に浸りつつ、日本酒をちびちび舐めながら、聴く。私が彼女を知ったのはラジオの「ながら族」だった中・高生の頃で、「カントリー・ロード」のようなカントリー調から現代風の「ジョリーン」や更にはディスコ調の「フィジカル」へと移り変わる躍動感を目の当たりにした。その変化を象徴するようなミュージカル映画『グリース』に出演したことから、月刊誌『スクリーン』にもしばしば登場し、歌声といい笑顔といい、妖精のような愛らしさに魅せられたものだった(今でこそYouTubeで当たり前に動画を見ることが出来るが、当時は音と静止画が中心だった)。「歌姫」と言えば、私の世代では聖子ちゃんや明菜が浮かぶが、一足先に洋楽において「歌姫」の原型イメージを植え付けた存在だった。
死因は明らかにされていないが、1992年に乳がんの宣告を受けた後、繰り返し再発し、2017年からステージ4の状態で、脊髄に転移していると診断されていたそうだ。このあたりの事情は知らなかった。そのため、財団を設立し、がん治療の啓発活動や環境問題に取り組んでいたらしい。欧米の成功者らしいところだが、その華やかな前半生と、社会的名士としての後半生のストーリーが、今となっては涙を誘う。オーストラリアでは国葬が執り行われるというニュースが流れて来た。さもありなん。
1970年代(から80年代初め)という、古き良き時代の話だ。今、動画で見る初代「歌姫」にあらためて魅せられながら、当時の時代風潮と相俟って、私たちの青春時代と重なるような、明るい歌声と若々しくきらめく躍動感は、私たちの記憶に永遠に生き続けることを思う。ご冥福をお祈りし、合唱。